第2話


 放課後、俺は教室で震えながら頭を抱えていた。残っているクラスメイトがヒソヒソと噂する声が聞こえるが、構うものか。

 俺は横目で締め切ったカーテンをにらみつける。


 ……どうすんだよ。学校まで特定されてしまった。ありえねぇって、あいつ――




 朝、速攻で逃げ出した俺を、雪村よるは追ってこなかった。


『な、なんなんだ』


 不思議に思い振り返れば、彼女は棒立ちでニヤニヤしながらこちらを見ていた。何をしでかしてもおかしくないその雰囲気に、胸がざわつき呼吸が乱れる。俺は頭にこびりついた不安を振り払うように、足早にその場を後にした。


『……?』


 それを見つけたのは一時間目の授業中だった。なんとなく集中しきれなかった俺は、息抜きのため窓際の席から外を眺めて――心臓が凍りついた。


『っ!?』


 いる。場所は校門、それなりに距離があるのになぜか確信があった。奴だ。俺を見ている。あの薄気味悪い笑みを浮かべたまま、真っ直ぐ俺だけを見ている。

 二時間目も三時間目も、その後も……。ずっとその場にたたずんで、彼女は俺に得体のしれない微笑みを送り続けていた。




「どうしよう……どうすればいい?」


 外を確かめるのが怖い。もし、今カーテンを引いて、奴の狂気じみた笑みが目に飛び込んできたら……。 

 想像するだけで足がすくみ、気が遠くなる。こうなると学校の対応にも怒りが沸いてきた。


「あんな目立つ場所に何時間もいるんだから、誰かつまみ出せよっ」


 担任に相談、こういう時は警察か……? 

 もう奴のことで頭がいっぱいだった。今日は異性を意識する暇すらなかったおかげで、呪いが表面化していないことが唯一の救いだろう。


「どうかされましたかぁ?」


 はっとして顔を上げるといつの間にか雨宮さんが来ていた。相変わらずアバンギャルドな髪型で表情はわからない。今も、あの赤い瞳で俺の心を覗いているのだろうか? 


 ――いや、ダメだ。その考えはいけない。


 その目のせいで彼女は孤独だった。雨宮さんは何も悪くない。似た境遇に置かれている俺こそ、彼女の力になってあげるべきだろう……が、――それは決して今じゃない。


 彼女を意識してしまったことで、自分の中で何かが切り替わり、口が勝手に動き出す。


「お、雨宮さん。また先週みたいに家に誘ってくれるの?」


 ざわざわざわ。様子を見守っていた生徒の軽蔑の眼差しが、一斉に俺に突き刺ささる。


 くっそ。こうなるから、教室に近づいて欲しくなかったのに……。


「……いえ、廊下から姿が見えたので。ずいぶん外を気にしているみたいですけど、何かあるんですかぁ?」

「実は、校門で最近知り合った可愛い女子が俺を待っててさ。恥ずかしい話、緊張して足が動かない」


 ――ふざけんな、あれのどこが可愛い女子だ!

 恥ずかしくて足が動かない? アホか! 薄気味悪くて、帰りたくても帰れねぇんだよっ。


「へぇ? ……少し気になりますね」


 俺が内心で自分にキレてる間に、興味をそそられたのだろう。ざわめく周囲を気にした様子もなく、雨宮さんがカーテンの隙間から外を確認している。


「……誰もいないみたいですけど。時間も時間だし、帰ったんですかねぇ……?」

「――うそ? この辺で見ない制服のルーズソックスの子だよ? マジでいないの?」

「え、えぇ……どこにも見当たりません」


 チャンスだ。逃げるしかない。

 

「ごめん。俺、もう帰るからっ」


 関心が雪村よるに集中したおかげか、足が動く。


 首を傾げる雨宮さんも、なぜか教室に残っていたみそらのことも、今ばかりは意識しちゃいけない。まずは無事に帰ることに集中しろ!

 俺は階段を一段飛ばしで駆け下りる。過去最速で昇降口にたどりつき、速攻で靴を履き替え、勢いよく外に出た。


「や。遅かったね。お勤めご苦労さま。学校は楽しかった?」


 意味がわからなかった。

 正面に雪村よるが立ちふさがっている。頭で理解していても、心が目の前の女を拒絶する。


「なっ、な、なんで? 雨宮さんは確かにいないって言ってたのに……」 

「え? あたしずっとここにいたよ?」

「と、とぼけんな。さてはお前、俺を安心させるためにどこかに隠れていたなっ!?」

「は? 意味わかんないんだけど。ってかそんなことよりさぁ、話の続きをしようよ? あたし本当に困ってて――」

「やめろっ。もういい加減にしてくれ。これ以上は、警察に通報するぞ?」

「警察?」


 予想外の言葉だったのか、雪村よるはポカンと口を大きく開けている。


「い、言っとくけどこれは脅しじゃないからなっ」

「う、うーん。それはやめといた方がいいんじゃないかなぁ? いや、あたしがどうこうじゃなくてね。きっと、一途が困ると思うよ」


 ……どういう意味だ? 

 もしかして、今朝のニュースでやっていた痴漢えん罪的なものを言ってるのか? こいつのでっち上げで、逆に俺の方が逮捕されちゃうみたいな。


「まさか……お、俺を脅す気?」

「や、違うし。ううん、面倒くさいなぁ。っていうかね? 繰り返しになるけど、一途は勘違いしてるんだってば」

「……」

「まあ、あたしも人と話すの久しぶりだったし? テンション上がって言葉が足りなかったのはあるかも。ごめんね?」

「謝るより先に説明してくれ」

「ん。あたしのお願いは別に他人に危害加えてほしいとか、そういうんじゃないの。むしろ、逆っていうか……」

「そ、そうなのか?」


 でも、昨日は確実に殺してほしい人がいるって言っていた。

 わからない。辻褄つじつまが合わない。やっぱり俺の早とちりだったのか?


「いやね、消してほしい人って――あたしだよ?」


「……」

「ね? それなら問題ないよね?」

「……いや、対象が具体的になった分、そっちのがタチ悪いから」

「あれれ?」


 不思議そうに小首を傾げる雪村よるを見て、俺は確信した。


 間違いない。こいつメンヘラだ。


 ……マジで最近運が悪すぎる。特に人の縁が最悪だ! この呪いは、イカれたやつを引き寄せるフェロモンでも発しているのか? 


 とにかく冗談じゃないっ!


「お前に必要なものがようやくわかった」

「?」

「医者だ、医者っ! 今すぐ病院へいけ! お前が話すべき相手は俺じゃない。病院の先生だっ。わかったな? わかったらもう、二度と俺につきまとうな!」

「あ。ちょっと」


 すくむ足にむち打って、彼女を突き飛ばす勢いで脇を抜ける。上手く避けられたのか、覚悟していた衝撃はない。


「はぁ、はぁ、な、なんなんだよ、あいつ……」


 朝と同じで、奴は追ってこなかった。

 しかし、全然気が休まらない。最後、背後から微かに聞こえた、よるの呟きが耳にこびり付いていた。


『あー、もうっ。これだけはやりたくなかったんだけどなぁ……』



 言いようのない不安を抱えたまま、遠回りで帰路につく。体力も精神も限界だけど、用心するに越したことはない。


「疲れた……」


 いつもと変わらない自宅を見て、少し心が軽くなる。車がないところを見るに、父親はまだ帰ってきていないらしい。

 俺は鍵を開けて家に入る。そして、玄関の明かりをつけたところで――ありえないものを見た。


「ただいま。遅かったね?」


 家の中に雪村よるが立っていた。


「――――」


 まったく理解できない。だって今、鍵は自分で開けた。間違いなく施錠してあった。

 どうやってこの家を知った? どうして中にいる? ――ふっと体から力が抜け、玄関に尻餅をつく。ドタンっと激しい音が家中に響いていた。


「うっ、うわあああっ!? く、来るなっ」 


 立ち上がれない。腰が抜けている。

 ズルズルと情けなく後ずさる。直ぐに背中に固い感触があった。玄関の扉、行き止まりだった。


「ちょっ、大丈夫?」


 雪村よるが俺の警告を無視して迫ってくる。

 こちらを気づかうような表情が逆に恐ろしい。言動と行動が全然一致していない。


「うわぁ、痛そー」


 眉をハの字にして、奴は俺の前に立った。

 近い。完全に見下ろされている。身動きが取れない俺は、初めて彼女の瞳を下からのぞき込むことになる。


「ひっ!?」


 それは底のない穴だった。


 まったく生気が感じられない。

 喜怒哀楽どころか、目の前の俺すら見えているのか怪しい、がらんどうの瞳。死んだ魚だってもっとマシな目をしている。

 メンヘラなんてレベルじゃない。コレは、雪村よるは完全に壊れている。


「あ、あ、あ」


 殺される。こいつは目的のためなら人の命なんて絶対に気にしない。


「頭でも打っちゃったかなぁ?」


 虚ろな目をした狂人がゆっくり手を伸ばしてくる。

 このままじゃ死ぬ! 俺が拳を固く握り込み、反撃を決意した――そんな時だ。第三者の、のんきな声が遠くから響いた。


「もう、うるさいわっ。あなたのせいで書きものに集中できないじゃない! さっきから何をドタバタ騒いで……えっ?」


 めろんだ。


「あれ? この声って」


 後ほんのわずか、すれすれで俺に触れそうになっていた手が止まる。そして、めろんの声に反応した狂人は、ゆっくり背後を振り返った。


「えっ!?」


 奧にいるめろんは放心状態だった。よほど驚いたのか、口元に手を当て、大きく目を見開いている。


 まずい。こいつ、めろんに興味を持ちやがった!


「ダメだっ。逃げろ、めろん!」


「お前まで殺されるぞ」とさらに声を上げようとして…………もの凄い違和感に襲われた。 


 ――なんか、おかしくね?


 だってめろんだ。姿なんか見えるわけがない。普通の人間は、そもそも瓜子姫であるめろんを認識できない。


「もしかして、神さま、なの?」


 あっさり手を引っ込めた雪村よるは、おぼつかない足取りでめろんに近づいていく。状況の飲み込めない俺は、様子を見守ることしかできない。


「やっぱり、神さまだ」

「ゆ、ゆきむら、よる……?」

「……うん、久しぶり。少し見ない間にずいぶん可愛らしくなったね」


 激しく動揺しているめろんを、彼女は優しく“抱き上げた”。

 訳がわからない。俺は今までの恐怖を飲み込み、かすれる声を何とか絞り出した。


「し、知り合い、なのか?」

「ちょっとね。ってか、最初の質問がそれでいいの?」

「っ、そ、そうだ! お前、なんでここにいる? いや、そもそもどうやって家に入った!?」

「あはは、まだ気づいてないんだ? ま、しょうがないけどね……」 

「は、はぁ?」

「うーん。口で説明するよりも見せた方が早いかな。これ、見てよ」


 雪村よるは、めろんを片手抱っこすると、空いた左手を壁に“突き入れる”。


「!?」


 人の腕がスッと壁に消えていく。

 俺は反射的に自分の頬をつねった。抵抗なく壁に腕が沈んでいく光景は、とても現実のものとは思えない。リアルすぎる立体映像でも見ているようだった。


「……映、像? ま、まさか放課後、雨宮さんが“いない”って言ってたのって……」


 食い違う証言、反応しない呪い、抱き上げられためろん。導き出される答えは一つだけだ。


 こいつ、人間じゃない。

 

「ふふっ、改めて自己紹介しよっか。名前は雪村よる。年齢は……享年一七才って感じ。つまり、もう死んじゃってるの」

「ゆ、幽霊……?」

「そ。いきなり言っても怖がらせると思ってさ、段階を踏んで少しずつ話していこうと思ってたんだけど……」

「だ、だけど?」


「失敗しちった。ごめんね?」 


 雪村よるは悪戯がバレた子供のようにウインクする。


 ――ふざけるな! 


 怒り、恐怖、困惑。俺はごちゃ混ぜになった感情の中、初めて会った時の会話の違和感にようやく気づいた。


 永遠の一七才ってそういう意味かよ……。

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