第3話


『しばらく二人で話がしたいから、一途はゆっくり晩ご飯でも食べてきなよ!』


 食事を終えた俺はコーヒーカップを手に取り、ソファに腰を下ろした。カップを唇に運びながら、目は時計に釘付けだ。テーブルに置いた指がトントンと無意識にリズムを刻む。


「つか、なんで勝手に上がりこんできた幽霊に指図されなきゃいけないんだ……」


 ため息をついてソファに背を預ける。眉間みけんをマッサージしつつ、深呼吸を繰り返すもまったく気分は落ち着かない。カップを置き、足を組み替え、再び時計を見た。さすがにそろそろいいだろう。


「あははっ。気にしなくていいよー、そんなの。そもそも、あたしが頼んだことじゃん」


 自分の部屋から幽霊のデカい声が響いている。


「……外まで筒抜けだぞ。夜だし、ちょっとは声を抑えてよ」

「えぇー? 大丈夫、大丈夫。どうせ、あたしらの声なんて他人には聞こえないもん。ねー、めろちゃん?」

「俺が迷惑してんだよっ」


 逆に「うるさい」と笑われながら部屋に入る。膝の上に抱えられためろんを見るに、思ったよりも和やかな雰囲気だった。微妙にめろんの呼び方も変化している。


「はぁ、もういいよ。で、二人の話は済んだの?」

「うん、ちょうど呼びに行こうって思ってたとこ。こっからは一途にも協力してもらわないとどうにもならないからね」

「あんまり期待されてもな。それって、よるの成仏を手伝えって話だろ?」


 床を占拠されていたのでベッドに座りながら言う。俺の言葉に驚いたよるは、気まずそうにめろんと顔を見合わせていた。


「ま、まさか、聞こえちゃってた……?」

「そうじゃない。時間はあったんだから、俺だって少しは考えるよ。自分を消してほしいって、そういう意味じゃないの?」

「う、うん。あの世への旅立ち的な。よくわかったね?」

「幽霊と聞いてピンときたんだ。相当切羽詰せっぱつまって見えたしさ」

「そう! そうなんだよっ、前から困ってたの!」

「前ね。じゃあ、その格好も関係あったりすんの?」


 俺は彼女の制服とルーズソックスに目を向けた。


「……びっくり。一途って意外と頭良かったんだね!」


 こいつら、人を馬鹿だと思ってるだろ……。

 珍しく感心した様子のめろんを見ても、何だか煽っているようにしか見えない。


「つか、どうして俺なんだ? ぶっちゃけそっち方面は完全に素人だぞ。本土の有名な神社とかを頼る方が、確実じゃないの?」

「うーん。あたしもそれは思ったんだけどさ。なんか島からは出られないんだよ」

「……だとしても。もっと詳しい専門家や、霊能力者とかを探した方が――」

「一途」


 ぞっとして言葉を止める。

 よるの様子がおかしい。体は小刻みに震え、目の焦点が合っておらず、顔面が蒼白だ。


「君じゃなきゃいけない。あたしを認識できるのはだけだ。だから、君じゃなきゃダメなの」

「それって、ど、どういう意味だよ?」

「……」

「よる?」

「っあ? ごめん、げ、限界。も、もう。い、いかっ、いかない、と……」

「お、おいおい、大丈夫――え?」


 俺が立ち上がった瞬間、雪村よるは煙のように消えてしまった。

 慌てて辺りを見渡してもどこにもいない。まるで、最初から何も存在しなかったように、部屋を奇妙な静寂が包んでいく。


「いったいなんなんだよ……」


 力なく伸ばしかけた腕を下ろす。

 マジで意味がわからない。姿が見えなくなっただけなのか、あるいは、本当に消えてしまったのか。

 途方に暮れた俺は、事情を知っていると思わしきめろんを見た。


「わ、私のせいだ……」


 あぁ、これまた厄介ごとだわ……。

 めろんの様子は尋常ではなかった。目にはうっすら涙が浮かび、キツく唇を噛みしめている。


「ふぅ……。何か、俺にできることはある?」

「よ、よるちゃんを探さないと……」

「……わかった。ここにはいないんだな?」


 涙目でこくんと頷く彼女を見ながら、外套がいとうを手に取る。こんなの放っておけるわけがない。


「どこか当てはあるの?」

「そ、それがわからないの。よるちゃんは土地に縛られているから、特に結びつきが深いところだと思うけど……」

「え?」


 ポロリと上着が手から落ちる。

 ……土地に縛られる? それって地縛霊とかいうヤバいやつじゃなかったっけ? 

 

 なに? 俺、もしかして今から“悪霊”探さなきゃいけないの!? 


「あなたは何か知らないの?」

「い、いやいや。俺なんか昨日会ったばかりだぞ? そんなの知ってるわけ……」


 言いかけて、雪村よると出会った場所を思いだした。

 空気のよどむ薄気味悪い場所で、彼女はたたずんでいた。


 “あそこはあたしのホームみたいなものだから”


「……あの樹……」

「え?」

「一つ、俺に心当たりがある……かも」

「! さっさとそこに向かうわよっ」

「えぇ……」


 マ、マジ行きたくねぇ……。

 目的地に当てがつき、やる気満々のめろんに呆然とする。これからやることは、一人で夜の心霊スポットに突撃するようなものだ。しかも、雪村よるはよくない霊である可能性が高い。危ないなんてレベルじゃない。


 背中に嫌な汗をかきながら、バッグに移動しためろんを抱え、家を出る。


「あ、あのー、少しは事情を教えてくれない?」

「う」

「いやね? 俺もめろんのことは手伝いたいけどさぁ。ほら、もう正直自分のことで手いっぱいっていうか……」

「か、関係あるのよ」

「うん?」

「あの子はあなたと同じなの。いえ、正確には同じ“だった”というべきかしら……」

「どういう意味だよ?」

「呪い」

「!」


『二十年前、とある事件があった』


 雨宮の爺さんはそう言っていた。

 昔に流行ったルーズソックス。見慣れない制服は……過去のデザイン?


「――まさか、あいつが“先代”のあまのじゃく返りだっていうのか!?」


「ちょ、こ、声が大きいわよ!」

 

 反射的に辺りを見回せば、まばらな民家の明かりが目につく。耳をすますと、風の音に混ざって、遠くで誰かがささやいている気がした。


「……わ、悪い。でも、そっか……あいつが、二十年前に命を絶った女の子か……」

「これでわかったでしょう? あなたもれっきとした関係者なのよ」


 そうだったのか。そりゃめろんとも顔見知りのはずだよ。


「問題はよるちゃんが今、とても危険な状態にあることなの……」

「は? の、呪いって幽霊になっても何かの影響を受けるもんなのか? 人以外の不思議な存在には、効果はないはずだろ?」


 現にお前と喋っても大丈夫じゃないか。


「それは勘違いよ。正確には“呪われた対象が人と接するなら”呪いの効果は発揮されるわ」

「え、じゃあ、命を失ったところで呪いの呪縛からは逃れられない?」

「そうね。でも、今回のお祭りで次代のあなたへ呪いは継承された」

「あ、あぁ」

「曇良瀬一途にあまのじゃく返りは受け継がれ、よるちゃんは晴れて自由の身。多くの人と同じ、死した人たちの世界へ旅立つ……はずだった」

「何があったんだ?」


 めろんは叱られた子供のようにゆっくり肩を落とした。彼女は目を伏せ、唇を微かに震わせながら言う。


「……手遅れだったのよ。あまりに長く“こちら”に縛られていたせいで、魂が歪んでしまったの。つまり、このままじゃ“向こう”にいけない」

「それが、地縛霊であり危険な状態……?」

「よるちゃんは死んでからも人を避けていた。想像できる? 肉体を失い、誰にも認識されないまま、二十年間ずっと呪いと戦っていたのよ? おかしくなってしまうのも無理はないわ」


 家に現れた時の雪村よるのがらんどうの瞳を思いだす。

 ……そうか。たぶんもう、心の方が限界なんだ。消える前、彼女の様子はただ事じゃなかった。普通かと思えばいきなり豹変したり……実は最初からずっと危うい精神状態だったのかもしれない。


「…………よるは今、暴走しているんだな?」

「そうよ。私たちは止めなきゃいけない。他の無関係な人たちに被害が及ぶ前にね」

「ひ、被害ってなんだよ?」

「あまりに強い念は人や物にも影響を及ぼすわ。たとえば原因不明の病気や事故って、世の中にたくさんあるでしょう?」


 ……そんなん聞いたら、もう逃げられないじゃないか。

 俺はぐしゃぐしゃと髪をきむしった。こんなことになるなら、塩でも持ってくりゃよかった。

 

「――情報がほしい。奴を正気に戻すための、強力ながいる」

「え? あ、あの子を正気に戻せるならお手伝いするけれど、私、ほとんど何も知らないわよ?」


 必ず覚えているさ。いやむしろ、この世界じゃ本人とめろんしか知らない情報だろう。


「よるだって、自分の一番知られたくない罪を突きつけられたら、さすがに目が覚めるだろうよ」

「……何をする気なの?」

「あいつは二十年前の誠実祭で嘘をついた。奴が先代のあまのじゃく返りなんだろ?」

「え、ええ……」


「じゃあ――雪村よるがお前についた嘘を、俺に教えてほしい」




 人々が眠りにつこうとしている島を冷たい風が駆け抜ける。ざわざわと木々が不気味な合唱を奏でる中、俺は震える腕を無意識にさすり、目の前の闇をにらみつけた。


「ここを曲がってすぐだ」

「そ、そのようね。何だか凄く嫌な感じがするわ」


 そこは否定して欲しかったよ。

 これ、絶対に死亡フラグ立ってるでしょ……。


 曲がり角を曲がると暗闇に浮かび上がるような老木が見えた。

 数多に広がった枝は、苦しみながら何かを掴もうとしているように、空に向かって伸びている。月明かりがその影を地面に落とし、まるで巨大な手が地面からい出してくるかのようだった。


「?」

「な、何よ? ど、どうしたの?」

「い、いや、あれ。あの枝に何かぶら下がってて……うっ!?」

「ひっ」


 とっさに指していた手を引っ込める。


 それは最初、大きなてるてる坊主のように見えた。

 一際太い枝に吊され、風に遊ばれているヒト型の物体。よく見れば、それは――


「よ、る?」


 俺たちはロープに吊られ、ゆらゆら揺れる雪村よるを見て、絶句したまま立ち尽くすしかなかった。


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