第9話


 この島はかつて天邪鬼あまのじゃくが姿を消した、いわくの地。鬼の末裔まつえいが暮らすおとぎ話に起源を持つ島、か……。


 薄暗い部屋の中が嫌な沈黙で満たされる中、俺は内心首をひねっていた。


 あまり驚くような話じゃない。

 俺がこの話を聞くのは二度目で、冷静に分析できるだけの余裕はある。年寄り連中が色々口をつぐむ理由も、誠実祭について若者に詳細を語らない理由も、裏を知っていれば納得がいく。

 誰だって、先祖の過ちを、分別のつかない子供に語りたくはないだろう。


 まあ、あまのじゃく“返り”という呪いを知る者としては今更すぎる問題だ。


 誠実祭で嘘を禁ずるのは過去の戒めのため。瓜子姫の名を口外しない習慣は彼女を神として崇めているから。そこまではいい。だが、それら根底には瓜子姫への強烈な恐れが見え隠れする。


 ――そこがおかしい。彼らは幻の存在を本気で怖がっている。


「曇良瀬さん」


 俺はめろんという不思議な存在を知っている。呪いという不可解な現象を知っている。


 そういった知識の下地があるからこそ、奇妙な歴史もある程度は受け入れられる。もし、これらと関わりがなけりゃ、自分はこんな話は鼻で笑っていたに違いない。

 なぜ、島の一部の連中はこんな突拍子とっぴょうしもない言い伝えを盲信もうしんしている?

 もしかして、俺の知らない根拠となるものがまだ他に――


「それ、気になりますかぁ」


 ハッとして顔を上げ、一気に全身が凍りついた。

 目と鼻の先に雨宮しずくがいる。なぜか、彼女はずっと顔を覆い隠していた前髪を手で掴んでいた。


「やれやれ。最近の若いもんはこらえ性がなくていかんのう」

「ふ、ふふっ……だってお爺ちゃん。最初からこの二人はつもりだったんでしょう? 話は終わったのだから、そろそろ本題に入るべきじゃない……?」

「……ふむ、それもそうだのう。頃合いか。すまぬな、しずくのお友達よ」

「え?」


 何だ? こいつらはいったい何を言っている?


「瓜生島の人間は鬼の子孫である。最初にがあると言ったであろう。儂らの家系には秘密があっての。代々の血族には希に、目にあまのじゃくの特徴が持つ者が現れる」

「は?」


 俺の“あまのじゃく返り”の他に、あの鬼の特徴を持つやつがいる……?


「百聞は一見にしかずじゃ、しずくよ」


 能面の爺さんの言葉に従い、雨宮さんは静かに前髪をかきあげた。


「っ!?」

「へぇ」


 血眼。

 ――いや、そんなレベルじゃない。瞳がすべて、真っ赤に染まっている! 

 一目でヤバいと感じる。意外に整った容姿も、目の下に浮いた濃いクマも、その瞳のインパクトに霞んでしまう。

 目が離せない。無性に惹きつけられる。


 これ、絶対に普通じゃない。


 瞳がこちらを見つめると、まるで心の中を直接“見られている”ような不安に襲われた。


「あまのじゃくは人に逆らう者である」


 爺さんがゆっくりと翁の面を外す。

 彼の目も雨宮しずくと同じ……いや、少しだけこっちの方が濃いか? 年相応のシワの刻まれた顔に、深紅の瞳が不気味に輝いていた。


「人を手玉に取るなら、相手の心を読めばいい。つまり、あまのじゃくの目は、人の心を視る」

「ま、まさか……」

「左様。この瞳は特異な力を持つ。あの鬼とよく似たのう」


 自分でも顔が青ざめていくのがわかった。

 ……やべぇだろ。その話が本当なら、この人たちシャレになってない。俺には、絶対に人にバレちゃいけない秘密がある。


「――逃げよう、とでも考えたか?」

「な!?」

「……お爺ちゃん」

「ほほ、少々驚かせすぎたか。心配せんでいい。儂らの目は “本物”の劣化品。かの鬼ように、人の心を完全に読み取るような真似はできぬ」

「どういうことでしょう? さすがに一方的に心を覗くような行いに対しては、穏やかではいられません。僕らにはプライバシーがあり、知る権利がある。詳細な説明を求めます!」

「言葉通りの意味じゃよ。儂らとて、人の心などさしてわからぬ……そうだのう。少々、心の動きに敏感な目、といった具合じゃ」


 口では責めるようなことを言いつつ、目を爛々と輝かせるイケメンに、爺さんはあくまで淡々と語った。

 いわく、彼らの目は人の心の表層を不思議な“色”で視ることができるらしい。


「……空模様を眺める感覚に似とる。好きなものは透き通っていて、苦手なものは黒く濁って映る。そんな風に、大雑把にじゃが心の動きが色で視える」

「ははっ、実に興味深い! 他にどんなことができるのでしょう? まさか、幽霊や神といった、超常のものなども視えたりするのですか?」

「そういった不思議な存在は、生まれてこの方視たことないのう」


 そう言いながら、赤目の老人は顎をなで、思案する素振りを見せた。


「あまのじゃくは人をだまして遊ぶ鬼じゃ。おそらく、この目はあくまで人間に働くものなのじゃろう」

「……いや、それでも凄い。だって、自分が他人にどう思われているか大雑把にわかる感じでしょう? 質問の仕方を工夫すれば、簡単に悪用できそうだ!」


 マジでそれだ。

 それが本当なら、まるで人間嘘発見器じゃないか。あ、……待てよ?


「あの、詳細まで読み取れないんですよね? じゃあ、どうしてさっき俺が逃げようと考えてるって……」

「あぁ、君はあの時動揺しておったろう? ずいぶん目まぐるしく動く色が視えたのでのう。状況から、カマをかけたに過ぎぬ」

「そう、ですか」


 ……だからといって安心できるわけがない。この人たちが目の能力を偽っていても、こちらに確かめる術はないのだ。

 俺を一瞥いちべつした爺さんは、ゆっくりと目をつむり、疲れたように首を振った。


「残念ながら、お二方が思うような便利なものではない。儂らの奇抜な格好を見たじゃろう。この目のせいで、儂らもずいぶん苦しめられてきた」

「というと?」

「生まれてから得をしたためしがない。まだ幼き頃、“視えた色”の話を両親に尋ねた時、彼らの儂を見る目と“色”が未だ脳裏にこびりついて離れぬ……」


 爺さんが言うには、雨宮家では赤い瞳を持つ赤子が希に生まれるらしい。

 虹彩の色が違うだけならカラコンで隠せるけど、見えるものが違うとなると話は別だろう。俺の呪いは自業自得だが、この人たちのそれは生まれつきなのだ。


 唇を噛み、考えていた言葉をぐっと飲みこむ。人に嫌われるのは辛い。身をもって体験しているからこそ、気持ちは痛いほどわかる。


「……まあ、そこまであからさまな差別はないのじゃ。何せ、万が一自分たちの家から儂らのような“先祖返り”が出れば、次はそやつらが迫害の対象になる」

「なるほど。明日は我が身というわけですね」

「ああ。それに一応対策も確立してある。実は、この能面の目の部分には多少細工がしてあっての――」


 何でも彼の言う対策とは、人を直視しないことらしい。視界に何らかの不純物が入ることで意識が逸れれば、色は視えなくなるようだ。

 各々に適した予防術。おそらくそれが、雨宮流厳にとっての仮面であり、しずくにとっての髪なのだろう。


 ……なるほどな。色々と納得した。


 島の一部の連中はこれらを知っていた。だからあんな突拍子もないおとぎ話を、島の歴史として受け入れている。

 もしかしたら、他にも不思議な力を受け継いでいる血筋があるのかもしれない。


 何ともいえない静寂が漂い、老人はその空気を切り裂くように口を開いた。


「そろそろ本題に入ろう」


 爺さんの声は穏やかだったが、その一言で空気が変わった。

 すべてはこの話を伝えるため。俺は、雰囲気から自分たちが招かれた理由を直感する。ちらりと周りを見ると、この場にいる全員が表情を引き締め、姿勢を正していた。


「我が家は、この目の事情や、家の場所が近いこともあって、神社の管理を任されておっての。無論、誠実祭にも関わっておるのだが――昨夜、しずくから聞き捨てならない話を聞かされた」

「……お二人で、妙な噂の話をされていましたよねぇ……?」

「っ!」



 あの噂、知ってる?

 お祭りの日に嘘をつくと、その嘘が“本当”になるって話。

 


 ――まずい。まずい。まずい。

 バクバクと心臓が暴れ、冷や汗が背を伝う。何とか表情だけは取り繕うが、すぐに無意味だと悟った。


 “俺は関係ない! 勝手にこの男が話していただけだっ”


 そうシラを切っても無駄だろう。この人たちの目に、嘘は通じない。


「誰から聞いた?」


 嘘を許さぬ赤い瞳でにらまれ、王手をかけられる。ひと言も発せない雰囲気の中、俺は自分が呪われる原因となった噂の続きを思いだしていた。



 ――君はどう? 

 死に繋がる呪いを受ける覚悟で、願いが叶う嘘をつけるかな?



「これは、善意からの忠告じゃ。あの噂に深入りするな。さもなくば……」


 老人の顔が、ゆっくり不気味な笑みを浮かべる。その表情は、まるで生気を失った翁の面のように見えた。


「死ぬぞ」

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