第7話


 俺は、廊下に出てすぐ生活指導の男性教師に捕まった。


「複数の生徒から苦情が来ていたから様子を見に来てみれば、曇良瀬っ! いったい学校を何だと思っている!? 別室で話を聞かせてもらうぞ!  ……雨宮は教室に戻りなさい」 


 教師の視線が俺たちの繋がれた手に突き刺さる。もはや現行犯逮捕、言い逃れはどう足掻あがいたところで不可能だろう。


 ――まあ、どうでもいい。


 傷ついたみそらの表情が脳裏によぎる。教師? 雨宮さん? 関係ない。今は自分への怒りで頭がいっぱいだ。


「く、く、曇良瀬……お、おまえっ」

「はい?」


 パクパクと、打ち上げられた魚みたいに言葉をつまらせた教師が目を見開いていた。

 おそるおそる自分の状態を確認すれば、ぎゅっと雨宮さんを抱き寄せている。まるでドラマのワンシーン。なぜか彼女は一切抵抗せず、彫像のように固まっている――あぁ、もう最悪だ。


 教師が般若はんにゃみたいな顔で俺をにらみつけている。



「――いいか? まず当校は心と体の成長を促す教育の現場だ。間違っても不特定多数の女子生徒をナンパする場所じゃない。お前、学校を街コン会場か何かと勘違いしてるんじゃないだろうな?」


 鳴り響くチャイムも一顧いっこだにせず、説教を続ける教師の目は鋭い。ダメ押しのハグが完全に尾を引いていた。それなりだったはずの評価に甚大じんだいなダメージが入った感がある。


「なあ、今日はもう帰って休んだらどうだ? 明日から週末だからな、時間を置いて頭を冷やすことも必要だろう。何なら担任の先生にはオレから言っておくぞ?」


 と、最終的には厄介払いまで受ける始末。

 なんかもうどうしようもない。だいたい俺自身が自分の操縦桿そうじゅうかんを握れているわけじゃないんだ。どうしたって返事は煮え切らないものになってしまう。相手もそれを読み取ったのだろう。


「すいませんでした。失礼します」


 深く息を吐いて目をつむる。結局、今日は早退することが決まった。

 女子からは敵認定、男子も空気を読んで俺に関わろうとしない。ついには教師からも厄介者扱いだ。日を追うごとに状況は悪くなっていく。そして、それを改善させる方法は何一つとして見つからない。


「……あーあ……」


 なんとなく両腕をさする。

 小刻みに手に伝わる振動で、ようやく自分が震えていることに気づいた。ちょっと自身を客観視しただけでこのザマである。できるなら、今すぐ何もかも放り出して逃げだしてしまいたい。


『一途くん、そんなところにいたら風邪引いちゃうよ』


 ふと、昔のことを思いだした。

 家族関係が最悪で、家の前で情けなく膝を抱えていた頃の話。みそらを異性として意識したきっかけになった日。


 懐かしい思い出に体の震えが止まる。




 “生まれてこなきゃよかった”


 あれはまだ小学校に入学したばかりの頃だった。シトシトと頭を叩く雨すら自分を責めているように感じていた。どうすることもできない絶望と無力感で、息をするのも億劫おっくうだった。


『一途くん? そんなところにいたら風邪引いちゃうよ』


 聞き慣れた優しい声が耳に届いた。顔を上げると、そこにはカッパを着たみそらがいる。キョトンとしていた彼女は俺の表情を見て一転、慌てて隣にしゃがみ込む。


『ど、どうしたの? い、いったい何があったの!?』

『……お前には関係ない。早く帰れよ』

『こ、こんなの放っておけるわけないよ』

『離せよ!! ってかこんな所にいたらお前まで風邪引いちゃうぞっ』

『いいもんっ。友だちの側にいられるなら、風邪なんて怖くない!!』

『っ!? ど、どうしてお前が泣いてるんだよ……』

『こ、これは大事な人が苦しんでいるのに、気づけなかった自分に怒ってるだけっ』


 それは彼女にとって何も特別な行動ではなかったのかもしれない。だが、すべてに絶望し、家族すらも信じられなかった当時の俺に、みそらの見返りのない行いは唯一の本物すくいだった。




「――そうだったな」


 一緒に流してくれた涙を忘れない。すくい上げてくれた手のぬくもりを、決して忘れてはいけない。


 今度は俺の番だ。


 “彼女がもう一度、心から笑える世界になりますように”


 ぱんっと両手で自分の頬を叩いて気合いを入れる。好きな人の幸せを願うことが間違いだなんて、絶対に認めない。たとえ彼女の隣にいられなくなったとしても、この思いだけは本物だ。


「…………よし。まずは放置しためろんの奴を探さないとな」


 ここでウジウジしていても何も始まらない。

 小走りで教室に戻った俺は、ガラガラと豪快にドアをスライドさせた。金曜の一時間目は移動教室、この時間であれば誰も残っていないだろう。


「ん?」


 幸いにしてめろんはすぐに見つかった。隣のクラスの微かな授業の音が響く中、放置された俺のバッグの上に腰掛けて、ボンヤリ虚空を見つめている。


「めろん?」

「……あら、戻ってきたの」

「ごめんな、何も言わずに置き去りにしてしまって」


 頭を下げながら、彼女のいつもと違う様子に違和感を覚える。


「べつに。構わないわ」

「どうした? いつもより元気ないけど、何かあったのか?」


 学校に来て早々さっきの騒動だ。普段のめろんなら、鬼の首を取ったように俺をこき下ろす。それなのに、今日はリアクションが薄い。


 それどころか、どこかしょんぼりしているような――


「ねぇ、一つ頼みごとがあるの。いいかしら?」

「え? あ、ああ。まあ、俺にできることならいいけど。急だな」

「紙と筆を用意してちょうだい。紙は少し多めに用意してもらえると助かるわ」

「はぁ? ……いったい何に使うんだ?」


 紙と筆といえば手紙が真っ先に思い浮かぶ。が、出す相手なんているはずがない。

 ……めっちゃ怪しい。俺は目を細め、元気のない小人を見つめた。


 日記でもつけるのか? ――いやいや、まさか。筆なんてこの子の身長くらいある。まともに扱えるとは到底思えない。


「別にいいでしょう。あなたにはまったく関係ないわ」


 俺の視線に気づいためろんは、ぷいっと顔を背けてしまった。

 本当にどうしてしまったんだろう? もしかして、連日学校に来たことで他の連中の真似でもしたくなったのだろうか。 


「……まあいいや。わかったよ。筆ペンと使ってないノートでいいならやる。家にあるから一旦戻ろう」

「? まだ来たばかりじゃない。それに今日は――」

「ちょっと朝のゴタゴタで暇をもらった。どうせ待ち合わせは放課後、めろんの神社だろ? もういっそ、家で寝不足解消して、直接向かうことにしたんだよ」 


 はてなマークを浮かべているめろんに説明をしながらも、ポンポンとバッグを叩いて移動を促す。小人が定位置につくのを待っている間、何気なくこの誰もいない教室をゆっくりと見回した。

 そして、吸い寄せられるように一つ机に目を奪われる。


 ――絶対にみそらに同じ思いはさせない。


「もういいわよ。こっちは準備できたわ」

「……これ以上嫌われずに済ませたいだなんて、俺が馬鹿だったんだ」

「え?」

「なんでもないよ」


 あまのじゃくは人の繋がりに亀裂を生みだす鬼だ。そんな厄介な性質を刻まれた人間が傷つくことを恐れていたら、きっと何も成せずに終わってしまう。


 俺は密かに覚悟決めて、ゆっくりと誰もいない教室の扉を閉めた。




 今回の目的地である雨宮さんの家は姫神社の近くにあるらしい。自宅で十分な睡眠を取った後、めろんを伴い待ち合わせ場所である二ツ鳥居へ向かう。

 夕焼けに染まる鳥居の下で無事二人と合流した俺は、雨宮さんの案内に従いながら最後尾を歩いた。


 道中、雨宮さんは終始無言だった。民家の少ないこの道は人影もなく、周囲の木々が密集していく。景色が徐々に文明の匂いを消し、異界めいた雰囲気が漂う中、俺は奇妙な肌寒さを感じていた。


「ふ、ふふっ、着きましたぁ……」


 マジかよ……。

 不気味な笑い声をもらす雨宮さんのせいで、自然と眉間みけんにしわが寄る。


 姫神社のお化け屋敷。

 島の子供の間で有名なその家は、周りの自然に溶け込むようにして建っていた。こけむした屋根瓦やねがわらと重厚な木材で作られた日本家屋は、来る者を拒む独特な威圧感を放っている。屋根で羽を休める多数のカラスが、無言でジッとこちらを見つめているのも気味が悪い。


 足元に目をやると、地面は苔と泥で覆われ、一歩踏み出すたびに湿った音が響いた。鼻腔びこうには湿った土と草の匂いが漂い、俺たちが自然の中にいることを強調している。


「素晴らしい。一目で歴史を感じられる、良い家だ。君もそう思うだろう?」

「え、えぇ」


 イケメンライターは笑っているが、俺は顔が引きつって上手く笑えない。雨宮さんはそんな俺たちに構うことなく、玄関の引き戸に手をかける。


「……どうぞ中へ……」


 カラカラと音を立てる戸の内側は薄暗く、ここからでは中の様子は見通せない。場の空気に飲まれていた俺は、彼女の容姿から、ほの暗いれ井戸を連想してしまった。


 ぶっちゃけ帰りたい。


 しかし、微笑みを浮かべるイケメンと、興味津々なめろんの圧に負け、俺は半ばやけくそ気味に足を踏み出す。


「お邪魔しま――うっ」


 反射的に身構える。

 視界の先、廊下の向こう側の暗闇に浮かぶように異様な人影が立っている。


 そいつは笑っていた。


 深いしわ、長いあごひげ、微笑みで表情……背格好から老人と思われる男は、なぜか家の中で“能面”を被っている。


「ようこそお客人」


 おきなの面の奧からくぐもった声が聞こえる同時に、パチリと廊下に照明が灯される。壁にずらりと飾られた表情のない数多の能面と目が合った瞬間、俺は心底この家に来たことを後悔した。


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