断章
彼の嘘にみそらは気づけない
Side――――晴川みそら
燃えるような夕焼けが、世界をどこまでも赤く染めていた。
親友が気を利かせてくれたおかげで、教室には一途くんと二人きり。恥ずかしさと期待で、今にも心臓が口から飛び出しそうだった。
「ごめん。みそらとは付き合えない」
「え?」
あまりに冷たい声に、頭が真っ白になる。
一途くんは、すでに私に興味を失ったかのように天井を見上げていた。目の前の彼が、ずっと好きだった人が、急にどこか遠くへ行ってしまったかのようで、私はただ呆然と立ち尽くすしかない。
「悪いけど、どう考えても異性として見れないんだ。付き合うなんて、無理だよ」
む、り……?
耳がおかしくなってしまったんだろうか。一途くんの言葉を上手く受け止めることができない。他に好きな人ができたとかじゃなくて、そもそも、異性として意識されていない……。
――ふと、とても恐ろしい考えが頭に浮かんだ。それを打ち消そうと頭を振るが、答えは一つしかないことに気づいてしまう。
今まで気持ちが通じ合っていたと感じていたのは、すべて私の勘違いだった……?
視界がどんどん涙で
「ごめ、ごめんなさいっ」
結局、私は大好きな彼から逃げ出した。どこをどう走ったかなんて、まるで覚えていない。
ただ赤く、苦い記憶。この日の、血のように輝く夕焼けだけは、もう一生忘れることはないだろう――――
「っ!? はっ? え……ゆ、夢……?」
趣味で集めたうさぎのぬいぐるみが、微かな月明かりに照らされている。呼吸を落ちつけるため、胸に手を当てると、心臓がドクドクと痛いくらいに高鳴っていた。
夢で良かったと感じたのも
「どうして、こうなちゃったんだろう……」
一途くんの気持ちがわからない。
……雨宮さんとは、いつ仲良くなったんだろう。彼女の手を引く彼の姿を思い出すだけで、胸が締めつけられるように痛む。
「わからない、わからないよ……」
一途くんがまるで別人のようで理解できない。
ちょっと前まではずっと一緒だったのに、どうしてこんな風になっちゃったんだろう。
小さなこの島で噂はすぐに広まる。というか、彼にそんな素振りは一切なかった。仮に、一途くんが雨宮さんと付き合っているとしても、私にそれを黙っている理由がまったく思い浮かばない。
「ぐすっ。もう、諦めなきゃいけないのかな?」
枕元のうさぎの髪留めを手に取り、ぎゅっと胸に抱きしめる。
子供の頃、一途くんからもらった大切な宝物。彼を異性として意識し始めたのも、あの頃からだった。照れくさそうにこの子をプレゼントしてくれた一途くんの姿は、今でも心に鮮明に焼きついている。
「一途くんも、こんな重い女に嫌気が差したのかも……でも、それでも……」
彼のことを諦めるなんて、できるはずがない。
――でも、じゃあ、いったいどうすればいいんだろう?
「うん?」
何気なく手に取ったスマホにメッセージが届いていた。
「寝過ぎて眠れない」「早く家に帰りたい」妹からの何でもない連絡に、ふっと緊張が緩み、自分の表情が少しだけほぐれていく。
この普通のやり取りが、こんな時だからこそ嬉しい。
「そうだよね。“ましろ”は病気でもっと大変だったんだから」
“覚悟はしていてください”
いつも優しい父の強張った顔、明るくお調子者な母が泣き崩れている。集中治療室の前、私は、ただ震えながらその言葉を聞いていた。
――あれがつい先週の出来事とは到底信じられない。地獄から天国、そしてまた地獄へ。この一週間の運気の乱高下はジェットコースターのようで、ずっと長い悪夢を見ているようだった。
「妹のましろだってあんなに頑張ったんだもん。私も、いつまでもウジウジしてちゃだめだ」
……もしかしたら、勢いで告白したのが良くなかったかもしれない。今考えると、妹が助かって浮かれてしまっていたのだろう。冷静になってみると、恥ずかしくさで顔が熱くなってくる。
「私、自分のことばっかりだな。一途くんだって、何か悩んでいるのかもしれないのに……」
今さら自分のどこがダメだったのかなんて聞くつもりはない。
ただもし、好きな人が困っているのなら、純粋に力になってあげたいとも思うのだ。
「……うん。一途くんとちゃんと話をしてみよう」
決意して顔を上げると、カーテンの隙間から赤い月が不安を掻き立てるように私を見つめていた。
赤。夕焼けに染まった世界。苦い記憶が脳裏を駆け巡り、一気に恐怖が押し寄せる。
「――それでも私は彼が好きだから。たとえ何があっても、私はもう一度、一途くんに向き合うよ」
密かに決意を固め、白いうさぎの髪留めを握りしめる。それだけで心の底から勇気が湧いてくるようで、緊張していた体から力が抜けていく。
「あれ?」
気づけば赤い月は見えなくなっていた。代わりに浮かぶ厚い雲が、いつの間にか月から私を守るように空を覆っている。
「一途くん……」
あの雲になぜか彼の姿が重なる。私は結局、どこか寂しげな雲が漂う夜が明けるまで、その幻想的な空をずっと見上げていた。
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