ちゃくちゃくさま 《甲》

えんがわなすび

まあ、座りや

 いやあ、こうやってあんたと酒を飲む機会が来るやなんてなあ。まあまあ一杯……。こんな木枯らし吹くような寒い日やし、正直酒でも飲んで温まってから帰らんとやってられん――どないしたん、そんな神妙な顔して。

 ん? ああ、もしかしてコレか?

 はは、確かに。いざうた奴の指が三本だけしかない言うたら、そんな顔もするわ。いや、謝らんでええよ。別に不幸の事故とかそんなんでもないし。

 ……まあでも、気になるわなぁ。ふふ。

 ほんなら、ちょっと。酒の肴にもならんと思うけど、昔話しよか。俺が子どもの時の話や。


 あれは俺がまだ六歳の時やわ。よぉ覚えとる。

 俺がまだそんなまい時に住んでた家は、そりゃあでっかい屋敷でなぁ。今のこのちっちゃい居酒屋なんかポンと入ってまうくらい、でっかい屋敷や。何個も部屋があって長い廊下があって、一番端の部屋から一番遠い部屋まで行くのに何個も障子開けなあかん。

 そんで、その何個もある部屋の一つにその日寝てたんよ。夜やないで。まだ日が高くて、でもその時はなんや暇やったんやろうな。一人で畳の上にそのまま寝てた。

 ほいたら急に「ギャア!」なんて声が聞こえたわけよ。俺飛び起きたわ。夢と現実の間くらいでふわふわ気持ち良くなってたんに、そんなところに「ギャア!」なんて聞こえたら、そら犬でも飛び起きるで。

 ほんでその「ギャア!」は、どうも隣の部屋から聞こえたんよ。さらに言うたら声はオカンの声やった。俺、飛び起きた勢いのまま障子パアン! って開け放って隣の部屋見たんよ。なんかあったんや思て。

 ほいたらまず、部屋の左にオカンが突っ立ってた。部屋と廊下の敷居に足掛けたまんま部屋の真ん中の床見下ろして突っ立ってた。ああ、やっぱりさっきの「ギャア!」はオカンやってんなって納得した。納得したのはええけど、そのオカンはさっきから突っ立ったまま全然動かへん。電池引っこ抜かれた猿人形みたいに突っ立ってるねん。

 そこでオカンの「ギャア!」を聞いてバアちゃんも駆けつけた。駆けつける言うても、バアちゃん足悪いからたぶんのっそり歩いてきて、俺みたいに障子だけパアン! って開けたんやと思う。俺の丁度反対側の部屋から現れた。バアちゃんも、何事や! って顔で来て、それから俺みたいにオカンを見つけて、それからオカンの視線追って床を見た。俺ら三人が覗き込んだその部屋の真ん中の床を見たんや。そこで漸く俺も床を見た。

 最初は綺麗な畳しか目に入らんかった。俺の屋敷、畳めっちゃ綺麗やってん。日焼けもさせへん、いつでも新品みたいな畳。それが最初に目に入って、畳がどないしたんや? って思ったわけよ、俺は。でも畳じゃなかった、オカンが見てるんは。

 綺麗な畳の上に、ちっちゃい動くもんがおるんよ。

 虫か? って思った。動き方が蛾の幼虫みたいにくねくねしとったから。オカンは幼虫で「ギャア!」って叫んだんか? って。でも虫でもなかった。

 よぉ見たらそれ、指やってん。

 いやいや、作り話とか幻覚とかやないで。ほんまに、正真正銘、指が畳の上に落ちてたんよ。

 手のひらから指だけがポンて抜けたみたいな綺麗な指が落ちてて、俺の屋敷の部屋の真ん中の畳の上でくねくね生きてるみたいに動いてる。俺はそれがどういうことか分からんでオカンみたいに突っ立ってしまった。どういうことか分からんって言うても、指が畳の上で蛾の幼虫みたいにくねくねして動いてるんやけど、それがなんなんか理解できんかった。後から来たバアちゃんもじっとその指見たまま突っ立ってしまった。

 そしたら急にさっきまで突っ立ってたオカンがぽつんと、

「ちゃくちゃくさま」

 って言うたんや。ちっちゃい声やったけど、確かにそう聞こえた。

 俺は聞いたことない言葉で、なんやねんちゃくちゃくさまって。ってオカンを見たら、一瞬周りの空気が祭りの後みたいにしん……って静まり返って、それから火山が噴き出すみたいにわって騒がしくなった。

「ああああああ!」

 騒がしくなった原因はオカンが気ぃ狂ったみたいに叫びだしたからやった。俺の正面ではバアちゃんも訳分らん言葉発しながら障子がくがくさせて叫んどる。俺はその光景が怖すぎて、その場で畳に手付いてへたり込んだ。親と祖母のそない姿なんか見たことないから、足から力が抜けたんや。へたり込んだら目線が床に近くなって、指が良く見えるようになった。オカンが「ちゃくちゃくさま」って呼んだ指や。指は幼虫が葉っぱ求めて移動するようにくねくね動いて畳の上をゆっくり這いずり回っとる。

 気持ち悪かった。指が落ちてるだけでも気持ち悪いけど、見たあかんもん見た気持ちになって吐きそうやった。

 そしたら気ぃ狂ったみたいに叫んでたオカンがまた急に走り出して、廊下の向こうに消えていった。と思ったらすぐ帰ってきて、俺の目の前に立った。その手には包丁が握られてた。

 一瞬訳が分からんで、それからどっと汗が噴き出た。見上げたらオカンが鬼みたいな顔で俺を見下ろしてたんや。勉強で赤点取ってもあんな顔はせんかった。

「ちゃくちゃくさま出たら指捧げんと。ちゃくちゃくさま出たら指捧げんと」

 何回もその言葉繰り返してた。オカンが壊れたラジオみたいに思えた。

 だからなんやねんちゃくちゃくさまって。なんでオカン包丁なんか持ってきてるん。そんなん俺の目の前に持って来んといてよ危ないやん。

 そう思っても言葉が出んくて、頭の中でオカンに訴えてたら、また急にオカンがすとんって座った。ほんまに、ただ立ってるのがしんどくなって、すとんって座った感じやった。

 俺が畳の上に付いてた左手の、人差し指と中指が包丁で切られてた。すとんって。野菜切るみたいに。

 オカンは俺の顔凝視しながらずっと「ちゃくちゃくさま出たら指捧げんと」って言うてるし、オカンの肩越しに見えたバアちゃんも能面みたいな顔で俺を見とった。


 っていう話があって、やから俺の指は三本しかないわけ。

 え? その後どうなったかって?

 さあなぁ。俺もその後気ぃ失くしたみたいで記憶ないし、起きてからオカンもバアちゃんもなんもなかったみたいな顔で普通にしてるし。

 でも俺の左手の指二本がすっぱり切られてなくなってたから、夢やなかったのは確かやな。

 結局ちゃくちゃくさまが何かって?

 知らん知らん。気づいたらおらんし、見たんはその一回切りや。

 ま、あんたも床に落ちて動いてるもんがあったら気ぃつけや。もし指やったら、捧げんとあかんからなぁ。

 ちゃくちゃくさまに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ちゃくちゃくさま 《甲》 えんがわなすび @engawanasubi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画