第5話 主婦、時間外なのに活躍する
「お疲れ様です~」
「あっ、お疲れ様、ナターシャさん」
その日の仕事を終え、休憩室に行くと、事務のカオリンさんがちょうどタイムカードを切るところだった。
「カオリンさんもいま上がりですか? 珍しいですね、事務さんがこの時間に上がるの」
「そうなんだよね。ほら、こないだエレノアさんがお子さんの発熱で早退したじゃない? あの時に仕事を引き受けて残業したから、その分、早上がりすることになってて」
「あぁ、成る程」
この魔王城では、お子さんのいる女性もたくさん働いている。
なので、ママさん達が働きやすいようにと、城内には、従業員が利用出来る保育園もある。いつか子どもが出来た時には、産休・育休制度をしっかり使わせてもらった後で、この保育園に預け、まだバリバリ働くつもりの私である。
当初の目的は薄給の夫を支えるためのパートだったが、とてもやりがいがあるし、こんなに働きやすい職場は他にないだろう。もう辞めるに辞められない。
「ねぇナターシャさん、この後時間あったりしない?」
「この後……ですか?」
どうせこの後はスーパーによって買い出しをし、夕飯の仕度をして旦那の帰りを待つだけである。それに、旦那は常日頃言うのだ。「いつも頑張って働いてくれてるんだし、たまにはパートさんとご飯とか行ってきても良いんだよ。僕だって、自分のご飯くらい何とか出来るんだし」と。
「実は、エレノアさんから、こないだのお礼ってことで、『カマユデランド』の優待券もらったの」
「えっ、カマユデランド?!」
カマユデランドというのは、イヴルタニア国内に複数展開している超人気温泉施設だ。私も旦那と二回ほど行ったことがあるが、日頃の疲れが秒で吹っ飛ぶアッツアツの灼熱湯や、毛穴も寿命も縮こまる極寒部屋がたまらない。もちろん湯上りの漆黒コーヒー牛乳も最高である。
「もし良かったら一緒に行かない? 私、ナターシャさんと一度ゆっくりお話もしてみたくて、その……年も近いし、どうかな、って。その後食事でも」
「嬉しいです! 私もカオリンさん、絶対同年代だなって思ってたんですよ! ぜひご一緒させてください!」
早速旦那にメールを送った。
今日は職場の人と一緒に健康ランドに行くから、夕飯は何か適当に食べてほしい、と。すぐにOKの返事が来た。理解のある夫で本当に良かった。
さて、カオリンさんと仕事の愚痴なんかを話しながら向かうは、カマユデランドである。
「なんか最近では、人間の利用者も増えたみたいなんだよね」
「えっ? そうなんですか? でも、耐えられるのかしら、この灼熱湯。だって、百℃ですよ?」
あっちの極寒部屋なんて、マイナス五十℃なのに。素っ裸、しかも濡れた状態で入ったら死んでしまうのでは?
そう思って首を傾げていると、だからね、とカオリンさんが笑う。
「それなりの防御魔法が使える高位の魔法使いとか、それこそ勇者に限られるみたいだけど」
「成る程。でも、防御魔法をかけてまで利用したいものなんですかねぇ」
「それは私もわからないけど」
「人間の考えることはわかりませんね」
じゃ、次は極寒部屋で身も心もキュッと引き締めましょ! カオリンさんのその声で、私達は灼熱湯から上がり、極寒部屋を目指す。
と。
浴着姿の小柄な女性が目に留まった。
フードを被り、辺りを伺うようにきょろきょろしながらペタペタと歩いている。
「カオリンさん」
ちょいちょい、とカオリンさんの鱗肌を突く。
「どうしたの、ナターシャさん」
「あのお客さんですけど」
「うん、どうしたの?」
「人間ですね」
「わかるの、ナターシャさん?」
「はい、『利き異種族検定一級』持ってるので。それに、『魔法防御判定員』の資格も持っているので、彼女がかけている防御魔法の種類も。あれはかなり高度な魔法です。それこそ、勇者が使うような」
こそっ、と耳打ちすると、カオリンさんは目を丸くした。
「えーっ、ここ、魔王城と目と鼻の先よ? もうここまで勇者が来てるってこと?! ヤバくない?」
「ヤバいですよね。これ、報告した方が良いですかね」
「そうねぇ」
どうやらその女勇者の向かう先は我々と同じ極寒部屋らしい。
「とりあえず、私、フロントで電話を借りるわ。魔王城に報告してくる。いますぐってことはないだろうけど、ここまで来てるなら近々城に攻め込んでくるかもだし」
「お願いします。私は勇者がおかしな動きをしないか見張りますので」
「無茶はしないでね」
「もちろんです。私だって命は惜しいですから」
極寒部屋である。
火照った身体に凍てつく風が心地良い。向かいに座る勇者も目を細めて気持ち良さそうだ。人間でも防御魔法さえしっかりとかければ、この空間でも快適らしい。
じゃあもし、魔法が解けたら?
そんな考えが浮かんでくる。
無茶はしない。
カオリンさんとそう約束はした。
でもちょっと試すだけなら。
そう思って、「あの」と勇者に声をかける。
「え、あ、はい」
「こんにちは。見ない顔ですね。ご旅行で?」
「え、っと。はい、そうなんです」
「この辺は観光するところが多くて良いですよね」
「ですね」
「もうハリーマウンテンには行かれました? それから、レイク・ブラッド」
「まだです」
「どちらもいま時期は景色がきれいですよ。特にハリーマウンテンは、紅葉シーズンですから」
「ありがとうございます、行ってみます」
こんなトークで緊張を解く。持ってて良かった、『魔王城周辺案内ガイド』。
「なんかかなりお疲れのように見えますけど、最近眠れてらっしゃいます?」
「え?」
「目の下に隈が」
「あ、あぁ――……。ちょっとここ最近野営続きで」
「そうなんですね。もし良かったらなんですけど、疲労回復のツボがあるんですよ。知っておくと便利ですから、お教えしましょうか」
「良いんですか?」
よっしゃ、かかった。胡散臭い雑誌に載ってた『相手の警戒を解いて懐に入る! 言いくるめトーク術』が思わぬところで役に立ったわね。
じゃ、失礼します、と言って、勇者の背後に回り、フード越しに首のツボを押す。本当はこのまま首の骨でも折れれば良いんだけど、生憎私はただの主婦。そこまでの力はないし、普通の人間ならまだしも、勇者相手に勝てるわけがない。なので、本当にツボを押しただけだ。
「いかがです?」
「すっごく気持ち良いです」
「コレ、快眠のツボなんです。今日はきっとぐっすりですよ」
「ありがとうございます、助かります。最近よく眠れなくて……」
「ナターシャさん、お手柄ね!」
「いやぁ、たまたまですよ」
施錠魔法をかけた極寒部屋をちらりと見る。中では勇者が爆睡中だ。そのうち防御魔法も解けるだろう。そうすればカチコチの冷凍勇者の出来上がりである。
持ってて良かった、『甲種秒速入眠技能士』。
時間外だったので、それについてはちょっと怒られたけど、とにもかくにも勇者を討伐した私は、大魔王様から直々に金一封をいただいたのだった。
薄給の夫を支えるためにパートを探したら、週3で魔王やる事になりました!〜夕飯の仕度があるので、きっちり定時で上がらせていただきます!〜 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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