第7話 きみの隣

「ねえ、本当に大丈夫?」

「大丈夫だって」

「本当の本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ」


 ユヅルを背負いながら同じ問答を繰り返す。

 迎えに行ったは良いけれど、俺は手ぶらだしユヅルの財布の中には一円玉しかなくて、渋るユヅルを無理やり背負い元来た道を辿っていた。右肩にかけた買い物袋が重しのように伸し掛かる。でも、不思議としんどいとは思わなかった。


「でもタケさん、最近体力落ちたってよく言うじゃん……」


 ユヅルのか細い声に、はっとした。


 そうか、気にしていたのか。なのにいつも笑って……、馬鹿だな。


「……確かに、俺は年老いたよ。前より息が切れるようになったし、白髪も増えた」


 こめかみから、汗が伝う。


「俺の方が十も歳が上だし、髪だって、俺の方が先に真っ白になる。俺はいつかお前を置いていってしまうかもしれない。……でも、分かったんだ」


 膝が震え、鼓動が早鐘を打つ。でも――。


「いつか来る未来に怯えるより、ユヅルと一緒に今を過ごす方が大事なんだって。だから、しんどくても、辛くても、俺はこの手を絶対に緩めない」

「……タケさん」

「神さまだって、きっと許してくれる」

「えっ……?」

「だってユヅル、お前が言ったんだ。神さまは雨が降っても、糸を切らないんだって」


 前を向いたまま真っ直ぐに言うと、肩に置かれたユヅルの手から微かに震えが伝わり、指先に力がこもったのが分かった。細かな吐息が耳殻を掠め、ユヅルの髪が左頬に触れる。


「うん……」

「だからさ、一緒に歳をとっていこう」

「うん……」

「神さまに切られそうになっても、俺が守るから」


 左肩が湿りを帯びる。


「うん」


 ユヅルの声は、小さく震えていた。

 俺は、足を止めずに水溜りを踏んだ。


 今はただ真っ直ぐに。

 俺たちの家に。


「……ねえ、タケさん」

「んっ?」

「タケさんは、大丈夫だよ。年齢差なんて飛び越えるぐらい長生きするから。だから、俺の手を絶対に離さないでね。俺もタケさんの手を絶対に離さないから」


 涙交じりの静かな声に反し、ユヅルの言葉は力強かった。隠れてしまった夏の日差しが、曇り空さえも突き破るように真っ直ぐに届く。


 ユヅルはいつも笑っている。でも、それはきっとユヅルなりの自己防衛で、本当は誰よりも傷つきやすいんだ。


 繊細で優しい、俺の愛しい人。


「ああ、約束する」


 しとしとと、柔かな雨が降り始める。差す傘はなくて、ユヅルを庇うことはできない。


 それでも、ふたり一緒なら雨だって冷たくない。


 心に溶け込んでいくような心地よい雨音に、俺はまた一歩、足を踏み出した。



 帰宅し、タクシーを呼んでユヅルと病院に行くと、ユヅルは全治二周間ほどの捻挫だと診断された。


 悄気るユヅルに「どうして捻ったんだ」と訊くと「タケさんと出逢った公園だってよそ見してたから……」と言うもんだから怒るに怒れなくて、代わりにその夜、ユヅルの買ってきた材料を使って、ユヅルの大好きな和風パスタを作った。


 白い陶器の平皿に山のように盛ったパスタ。

 悄げていたことが嘘のようにユヅルが瞳を輝かせる。


「タケさん! このパスタ、お店に出せるよ!」


 頬を緩ませ声を跳ね上げるユヅルの姿に、自然と心が緩んでいった。


「ははっ大袈裟だな」


 笑みを浮かべながら、面映さを隠すようにフォークにパスタを絡める。すると、視界の端に若葉色が映り込んだ。


 今はもう、ただの笹と短冊になった名もない飾りが。


「……足が治ったらさ」

「うん?」

「指輪でも買いに行こうか。神さまですら切るのを躊躇うような、硬くて綺麗な星みたいなやつをさ」


 俺が言うと、ユヅルが目を見張る。そしてみるみる間に頬を紅潮させ――、


「うん!」


 満天の星空を浮かべ、笑った。



 俺とユヅルは、歳が離れている。好みだって違うし、時はほうき星のように過ぎていく。それでも、ユヅルと過ごすこの瞬間は決して消えない。


 だから、迷いながらも『今』を生きていくんだ。


 明日もまた小さな幸せが続くよう、きみの隣で願いを込めて。

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きみの隣 槙野 光 @makino_hikari

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