第6話 吐露
「ユヅル!」
「あっタケさん!」
公園に駆け込むと、ベンチに腰掛けたユヅルが顔を上げた。肩で大きく息をしながら、ユヅルを見る。服が多少薄汚れてはいるものの五体満足で、笑みを浮かべたその姿に深く胸を撫で下ろした。膝から力が抜け、ユヅルの前でへなへなとしゃがみ込む。
「タケさん!? 大丈夫? どこかぶつけた?」
おろおろと的外れな言葉が頭上に降ってくる。それに、ああ、ユヅルだ。ユヅルの声だって実感が湧いてきた。
「無事で良かった……」
目の奥がみるみる間に熱くなっていく。顔を上げると、薄膜の向こうで揺れるユヅルの驚く姿が見えた。
ああ、俺は今、みっともない顔をしているんだろうな。
「目が覚めたら、お前が隣にいないから……」
「ごめんね」
「出て行ったかと……」
「ごめん」
ユヅルを責めたいわけじゃない。でも、ユヅルの顔を見た瞬間、心の奥底に沈めていた不安や安堵が濁流のように押し寄せてきて、どうしても、抑えることができなかった。
「頼むからもう……、俺の前からいなくならないでくれ」
瞬間、ユヅルが息を呑むのが分かった。
子どもみたいな物言いにはっと口を噤むと、ユヅルの両手が真綿で包むように俺の右手に触れる。
「俺はどこにも行かないよ」
それは、暗がりの中に光を灯すような優しい口調だった。慈しむような笑みに瞬きをすると、眦から一筋の涙が流れていった。
「あのね、タケさん。俺、夢を見たんだ」
「夢……?」
俺が頼りなさ気な声で訊くと、ユヅルが小さく顎を引く。
「うん、織姫さまと彦星さまが寄り添いあって満天の星空を見る夢」
思わず息を呑んだ。
ふたりして同じ夢を見たって言うのか。
驚いて言葉さえも呑み込んでしまった俺に、ユヅルがふふっと小さく笑みを溢す。
「それがね、瞬きをすると織姫さまと彦星さまが消えて、代わりに俺とタケさんが現れたんだ」
「おかしな夢でしょ?」と笑い、また口を開く。
「俺とタケさん、背は曲がってるし髪も真っ白で、手も皺だらけで格好悪くてさ……。でも、幸せそうに顔を見合わせて笑ってるんだ。それ見てたら無性にタケさんに会いたくなって、気が付いたら目が覚めてた。……ねえ、知ってた? タケさんって、寝言言うんだよ?」
目の奥を熱くしながらかぶりを振ると、ユヅルの瞳がみるみる間に潤んでいく。
「『ユヅル』って、俺の名前を呼ぶんだ。だから俺、タケさんとずっと一緒にいるためにどうしたら良いかいっぱい考えた。でも、どうしたら良いか分からなくて。……だからせめて、俺にできることをしようと思ったんだよ」
「朝ご飯とかさ」って言ってユヅルが泣き笑いの表情を浮かべる。ユヅルの隣にはぎゅうぎゅうにつまった買い物袋が置いてあって、飛び出した長ネギの隣で俺の好きな缶ビールが鎮座していた。
何作る気だよとか。朝からそんながっつり食べたくないだとか言いたいことは沢山あった。でも、いろんな気持ちが不安を消し去るように湧き上がってきて、心が引き絞るように切なくなった。
ああ、そうだ。俺はもう、ひとりじゃないんだ。
俺は左手で目元を拭い、真っ直ぐにユヅルを見据えた。
「一緒に考えたい。これからも一緒にいるためにどうすれば良いのか。……ふたりで、一緒に」
すると、ユヅルの瞳が小さく揺れた。微かに震える唇を開きかけ、閉じる。そしてまた開いて、小首を傾げる。
「考えても、見つからなかったらどうするの?」
「そうしたら諦めて、とりあえず朝ごはんでも作るよ。一緒に食べて一緒に眠って、明日の朝また一緒に考えよう」
ユヅルが眉尻を下げて、ふっと小さく笑みを溢す。
「それ、いつもと同じだよ?」
「良いんだよ同じで。その内、ひょっこり見つかるかもしれないだろ?」
わざと軽い口調で言うと、ユヅルの手が離れていく。そして目元を拭い、朗らかな笑みを浮かべた。
「『遅かったね』って言われるかもしれないね」
「そうしたら、隠れてるお前が悪いんだろうって説教してやろう」
俺が戯けるように言うと、ユヅルが一瞬言葉を詰まらせて、「それ良いね」って笑う。その顔を見ていたら、ああ、もう大丈夫なんだって思った。
根拠なんてない。でも、そう思ったんだ。
「帰ろう、ユヅル」
「うん」
ユヅルといたら、『大丈夫』なんだって。
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