放課後の催眠生首

黒澤カヌレ

ねえ、恋バナしよっ!

 僕は、見てしまった。


 放課後になり、音楽室へと一人で向かった時だ。音楽の授業が終わった後でペンケースを忘れてきたのに気付き、すぐに回収せねばと校舎三階の廊下を歩いていた。

 無事、ペンケースは見つけられた。ズボンのポケットの中に入れ、元の教室へと戻ろうとした。


 その途中で、ふと目を奪われてしまったのだった。


 音楽室の隣には空き教室があり、もう長い間誰にも利用されていない。それでも空っぽの教室には机と椅子が七セットくらい置かれていて、窓から差し込む夕日の色で染め上げられているのが見えた。


 そんな夕暮れ色の教室の中で、一つ『違和感のあるもの』を発見した。

 なんだろう、と足を止め、空き教室の中を覗き込む。


 教室の真ん中に机が二つくっつくように並べられている。その机の真上に、何か黒っぽいものが置かれているのがわかった。

 大きさはサッカーボールくらい。全体は黒っぽいが、良く見ると肌色の部分もある。


 それから数秒凝視し、ふと、全身に寒気が走った。


 あれは、ボールなんかじゃない。

 黒く見えていたのは髪の毛。そして、肌色の部分は人間の顔。


 机の上に、『生首』が置かれている。


 マネキンなんかじゃない。生首の質感は生きている人間のそれと変わらなかった。


 まずい、と思った時にはもう遅かった。


 机の上の生首が動く。

 顔が僕の方へと向けられ、はっきりと目と目が合ってしまった。


 次の瞬間、生首はニタリと笑ってみせた。





「なあ、こんな話を知ってるか?」


 この話をしていたのは誰だっただろう。

 思い出した。山田やまだ一郎いちろう。同じクラスにいる奴だ。


「放課後の時間になると、『ある空き教室』の中に、女の生首が置かれてることがあるんだってさ。でもその生首は生きてて、目が合うとニヤっと笑うんだ」

 淡々とした口調で、山田はそう語ってみせた。


「でもな。絶対に目を合わせちゃダメなんだ。何かあるなって思っても、それを見つめちゃいけない。もしも万が一にでも目が合ってしまったら、その段階でアウトなんだ」

 最後は言い含めるように、彼はそう説明する。


「生首には、強い『催眠』の力があるんだよ。もしも目が合って笑いかけられでもしたら、その瞬間に相手に支配されてしまうんだ」





 体が、動かない。

 僕の意思に反して、教室の真ん中へと向けて足が動き続けていった。


「こんにちは」

 机の上にある生首が、僕にニッコリと笑いかける。


「そこに座って。お話をしましょう」

 相手に言われるまま、机の前にある椅子へ腰掛けてしまう。


「良かった。私、ちょうどお話をする相手が欲しかったの。あ、自己紹介がまだだったね。私、実は『生首』なの」

 生首は髪が長かった。真っ黒な髪が机の上に広がり、唇だけがやたらと赤い。


「名前も必要よね。ちゃんとした名前はないんだけど、私は『ナマクビ』だから。とりあえず、私のことは『マッキーちゃん』って呼んで」

 女の生首はそう言って頰を緩める。


「君、高校生だよね? この学校の生徒? いいなあ。青春まっただ中だね。好きな子とかいるのかな? そういうのでドキドキしたり、少し話が出来ただけで嬉しくなったり。そういう恋ができる年齢って、なんだかすごくキラキラしてる」


 逃げ出したい。でも、うまく足が動いてくれない。


「ねえ。今から私と、『恋バナ』しよっ!」

 両目を細め、生首は朗らかに言い放った。





 逃げなくちゃ、と必死に頭を巡らせた。

 これは絶対に、良くないものだ。


「ねえ、好きな子はいる? その子にはもう告白した? 恋愛っていいよね!」


 少しだけど、手が動く。足と腰だけは支配されているけれど、肘から先は自由だ。

 行けるかな、と目の前の生首を観察した。

 こいつは現在、机の上に身を置いている。このまま勢いよく机を倒せば、こいつは床に転がり落ちるはずだ。

 その瞬間に、こいつの催眠が解けるかもしれない。


「私、人の恋愛の話を聞くのが好きなの。相談にも乗るわ。だから話を聞かせて」

 よし、と机の下で手を動かす。


 このまま力を入れさえすれば、この良くわからない奴を床に落とせる。

 そう思い、身じろぎをした時だった。





「そう言えば、こんな話があるんだよな」

 田中たなか二郎じろうが話をしていた。同じクラスにいる奴だ。


「放課後の教室に、催眠術を使う生首が出るんだ。そいつに捕まると体の自由が奪われて、延々と『恋バナ』をしようって笑いかけられるんだってさ」

 淡々とした口調で、田中はそう語っていた。


「それで、ある時に捕まっちゃった奴が出て、そいつが勇気を出して逃げようとしたんだ。机を倒して首を床に転がしてさ、そのまま廊下にダッシュして逃げようとした」

 その先で、どうなったか。


「必死に走って人のいる教室まで逃げようとした。でも、ドアを開けたら中の様子がおかしかった。他の生徒の姿はなくて、その教室の中にはまた例の生首がいた」


 どういうことなのかと、田中は説明する。


「生首の奴は、わずかな動きも見逃さない。机を倒そうってした瞬間に目的を読み取って、既に催眠をかけてたらしいんだ。そして、『逃げてる』っていう幻覚だけを見せてきた」


 そして、失敗に終わった。


「そいつは完全に体の自由を奪われて、その後は姿を見なかったそうだ」





 ダメだ、と手を止める。

 この方法では逃げられない。たしかに生首はじっと僕を見つめ続けていて、わずかにでも体を動かせば目的を察知されてしまう。


 じゃあ、どうすればいい。


 こいつは、『恋バナ』をしようと言っている。それなら、言う通りにすれば済むんじゃないか。別に好きな人なんていないけど、適当な話をしたら解放してくれるかも。





「俺、こんな話を聞いたことがある」

 佐藤さとう三郎さぶろうが話をしていた。同じクラスにいる奴だ。


「生首に催眠術をかけられてさ、どうにかしようって思った奴がいた。それで、適当な話をでっちあげて、どうにかその場を切り抜けようとしたらしいんだ」

 淡々とした口調で、佐藤はそう語っていた。


「生首の奴は、最初はニコニコと聞いていたらしい。その先で、『それは本当なの?』って尋ねてきたんだってさ」


 その先で、どうなったか。


「その場で催眠をかけられて、『嘘です』って告白させられた。生首はそこで『じゃあ、やり直し』って笑いかけたらしい」





 諦めるのは早い。

 きっと、逃げる方法はあるはず。


 この『催眠生首』は実在している。ただの作り話ではなく、こうして僕の目の前にいる。

 今までに何回も、僕はこいつに関する『噂』を聞いている。噂が広まっているということは、どうにか逃げられた人間がいたということ。


 そうでなければ、話が伝わっていることの説明がつかない。


 じゃあ、どうするか。

 隣には音楽室がある。もしかしたら、吹奏楽部で練習に来る人間が通るかもしれない。


 大声を出してみよう。そうすれば、誰かに気づいてもらえるかも。





「大声を出すのはさ、失敗に終わるらしいんだよ」

 高橋たかはし四郎しろうが話をしていた。同じクラスにいる奴だ。


「誰かに気づいてもらえるかもって、大声で助けを求めた奴がいた。けど、そういうのは織り込み済みで、一定以上の声の大きさは出せないよう催眠で操作されてたんだ」





 これもダメだ。

 じゃあ、黙り続けるのはどうだろうか。





「黙ってた奴は、酷い目に遭わされたらしい」

 吉田よしだ五郎ごろうが話をしていた。同じクラスにいる奴だ。


「生首の催眠は、どんなことでも命令できる。じっと黙って拒絶しようとしていたら、すぐにまた催眠をかけられて、『恋バナ』をするよう命じられたってさ」





 恋愛に興味はないと言ってみる。その方法も思いついた。


 でも、鈴木すずき六郎ろくろうが話をしていた。同じクラスにいる奴だ。

(誰だって、心の中に恋愛への興味はあるはずだって、生首の奴は言ったそうなんだ。そして催眠をかけて、恋への興味を引き出されるんだって)


 じゃあ、他にどんな方法がある。

 催眠で体の自由を奪われ、心の中だってその気になれば支配できる。そんな奴に捕まっている状況で、どうやったら逃げられるのか。


 そうだ、とポケットの中のペンケースに手を触れる。


 ここで、自分の首を刺したらどうなるだろう。

 もしかしたら痛みで催眠が解けるかも。その隙にどうにか逃げられるんじゃないか。


(激しい痛みを味わったって、催眠は絶対に解けないよ)

 小林こばやし七郎しちろうが話していた。同じクラスにいる奴だ。


(そうやって自分の首にペンを刺した奴がいたんだけど、生首はニヤっと笑うだけで変化はなかったらしい。そこで体の自由を奪われて、以後は行方不明になったって)


 これもダメだ。


「ねえ、恋バナしようよ。どんなタイプの子が好きなの? どんなデートがしたい?」

 ニヤニヤと笑いながら、生首は質問を投げかけてくる。


 必ず絶対に、逃げる方法はあるはずなんだ。

 思い出せ、と自分に言い聞かせる。今まで他にも、聞いてきた『話』はなかったか。クラスの誰かが噂で語った話。そこに無事に逃げられた奴の情報が紛れてはいなかったか。


 その途中で、ふと違和感が生じた。

 あれ、と両目を見開かされる。


 僕はこれまで、いくつもの話を聞いてきた。全部、クラスにいる奴からの話だ。

 でも、この話は何かおかしい。

 催眠生首は存在する。だから、あれは単なる噂じゃない。誰かが逃げ出せていない限りは、話が伝わっているのは不自然だ。


 けれど、それでもやっぱり説明がつかない。

 だったら、『失敗した奴の話』は、一体どこから伝わったんだ?


 失敗した人間は逃げられていないはず。それなら、佐藤や鈴木や高橋たちは、どうしてそんな話を聞くことができたんだ。


 そこで、目の前がグラリと揺れた。


 どうしても、顔が思い出せなかった。

 山田一郎や田中二郎、佐藤三郎。

 あいつらは、どんな奴らだったっけか?


 次の瞬間に、ゾワリと全身が震えた。


「ねえ、結婚についてどう思う? 恋愛して付き合う人は、やっぱり結婚まで考える? それとも、恋愛と結婚は別っていう派?」

 生首のねっとりした声が、脳の表面を撫でていく。


 今までの記憶は、一体なんだったんだろう。僕は山田たちの話を思い出して、逃げる方法を探していた。


 でも、そんな奴ら、本当にいたのか?

 だったら、この記憶は一体なんなんだ。


 ゆっくりと、右手を動かす。ペンケースに手を触れるとファスナーが開いていた。

 生首の笑う顔を見ながら、僕は自分の首筋へと手を這わせた。


 ズキ、と痛みが走る。

 指先に血液が付着する。薬指の先を見つめ、僕は大きく息を荒げた。


 これは。


「ねえ、恋バナしよ?」


 僕は、ずっと希望に縋っていた。

 噂として話が広まっているなら、誰か逃げられた人間がいたはずだと。


 でも、その記憶が嘘だとしたら?

 目の前のこいつは、催眠で人を操ることができる。だったら、『偽物の記憶』を植え込むことだってできるんじゃないか。


「あの、さ」

 声が震える。「うん?」と生首は目を細めた。

 頭の中がぼんやりする。目の奥だけが熱くなって、息も乱れて仕方なかった。


「僕は一体、『何時間』、ここにいるの?」

 僕は何回、同じことを繰り返しているんだろう。





 山田一郎なんていなかった。


 田中二郎なんていなかった。


 佐藤三郎なんていなかった。


 高橋四郎なんていなかった。


 吉田五郎なんていなかった。


 鈴木六郎なんていなかった。


 小林七郎なんていなかった。





 これまでの噂話は、全部僕の経験だ。


 僕はこいつに捕まって、必死に逃げる方法を試してみた。机を倒して首を床に落とそうとしたり、適当な話を語ってみたり、大声を出そうとしてみたり。そして最後には、自分の首をペンで刺すことまでしてみた。


 でも、全部が全部失敗だった。

 その度にこいつは僕の記憶を操作して、失敗した経験を噂で聞いた話だと思い込ませた。


 頭の中に蒸気が溜まる。目の前にいる生首がぼやけ、二つに見えてきた。


 逃げられない。

 逃げる方法なんて存在しない。

 逃げられた奴なんて存在しない。


 僕はもう、助からない。

 僕は一生、助からない。

 僕は絶対、助からない。


「うあ」と無意識に声が漏れる。

 目の前が、真っ白に染まっていった。





 ◆◆◆


 ……あらら、また壊れちゃった。

 どうも、うまく行かないものね。


 でも、まだまだ大丈夫。催眠をかければ記憶なんてリセットできるもの。


 けれど、どうしようかしら。

 無駄なことなんて考えないで、ただ恋バナを楽しんでほしいだけなんだけど。だから、噂っていう形で今までの失敗を頭に残しておいたんだけれど。


 だけど、やっぱりダメみたい。

 噂で聞いた話ってことにすると、どうしても矛盾が出てしまうみたいね。私から逃げられなかった人たちのことが、どうして話として伝わってるのか。


 ここはとってもジレンマね。


 記憶を残したままにしたら、この子の心が持たなくなっちゃう。

 でも、記憶を完全に消しちゃったら、また同じことを繰り返しちゃう。


 どうしたら、楽しく恋バナが出来るのかなあ。

 うーん、どうしよう。


 あ、そうだ!

 今度は、こうしましょう。


 今までの出来事は『噂』じゃなくて、『物語』の中のことだったとしておきましょう。

 私と会ってからの出来事は、『小説』の中に出てきたってことにする。小説の中の話なら、多少は辻褄が合わなくても許されるものね。


 うんうん、完璧。これで今度こそ、しっかりお話ができる。


 あとはタイトルね。『放課後、君と二人で』なんかがいいかしら。

 いいえ、ダメね。この子、私のことが怖いみたいだから。ジャンルは『ホラー』ってことにしておかなくちゃ。


 じゃあ、こうしよう!

『放課後の催眠生首』

 これでいきましょう。


 それでは、改めて催眠ね。

 あなたはさっきまでのことを全部忘れる。これまでに起きたことは、小説の中で読んだことだと思い込む。


 そして更に加えておきましょう。私と二人きりなのが怖いと思うのなら、今こうしている現在も、小説を読んで体験していることだと思い込む。


 うん、完璧完璧。私って天才!


 それじゃあ、始めましょう。

 書き出しはこんな感じ。


『僕は、見てしまった。放課後になり、音楽室へと一人で向かった時だ。音楽の授業が終わった後でペンケース忘れてきたのに気付き……』





 ……どう、読み終わった?


 もう、わかったでしょ? あなたは今、小説を読んでいるの。ここに書かれていることは全部フィクション。だから、なーんにも怖いことなんてないの。


 あなたは今、とても安全なところにいる。そこで小説を読んでいるの。

 だから、安心して。


 それじゃあ、恋バナしよっ!


(了)

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