浩一の章 第四節

 二人の赤ちゃんの名前は、ハナとも話し合って、お兄さんの方を蓮太郎、弟の方を健太郎にしました。ハナが言います。

「浩一さん、ご両親のお家とおたなに電報を打っていただけませんか?」

 当時、町の主要なところや一部の住宅には電話がありましたが、まだ私たちの村までには電話が引かれておりませんでした。


 私は、丁度母にハナを助けて欲しいと思っていたので、早速電報を打ちました。母は、私たちが村を出てから幾分寂しい思いをしていたらしく、すぐに町に飛んできました。

「まあまあ、双子の男の子なんて素晴らしいこと! でかしたわ、ハナさん!」

 私は、ハナが妊娠して以来、ずっと家事ができていないことを気にしておりましたが、母がハナを助けてくれることで、それが解決することを期待しておりました。


 母は、近所に住んでいるという年配のご婦人と仲良くなりました。亜沙子さんと仰るそのご婦人と協力して、ハナの育児を助けてくれるというのです。私は、それをとても心強く感じました。育児経験のある二人のご婦人が協力してくれるというのですから。


 実際のところ、二人はとても頼りになりました。母と亜沙子さんが二人でハナを助けてくれるようになってから、ハナの表情が明らかに柔らかくなりました。それまでは、出産してからずっとどこか張り詰めたような表情だったのです。


 私は、安心して久しぶりに母が作ってくれる食事を楽しむことができました。母の作ってくれる食事は、私を心を実家にいた頃に戻してくれました。

「おいしいよ、母さんの作った煮物、この漬物も。ハナが作ったのも、もちろんおいしいけど、母さんの作った料理を食べると、子供のころに帰ったような気持ちになるね」


 私は、家での心配事がなくなったと思い、家具工房の拡大計画に集中することにしました。ようやく職人さんたちを一定数確保できるようになり、拡大後の工房を稼働させる目途がついたのです。


 私は、叔父さんに言いました。

「ねえ叔父さん、この工房が大きくなったら、もっと沢山家具が作れるようになるよ。そうしたら、シアトルの工房でだって、東京や他の街の百貨店でだって、沢山うちの家具を売ってもらえるようになる」


 その時の私が描いていた家具工房の未来は、とても明るいものでした。ところが、工房の拡大工事が始まった途端、いきなり障害が立ちはだかったのです。


 最初の工事に入る前の打ち合わせの席で、工事責任者の人が私たちに言いました。

「こんなに大きな機械が入るなんて聞いていませんよ。この機械の設置場所の基礎設計は、やりなおした方がいいと思いますよ」

 家具工房を拡大する為に引いた設計は何度か修正していましたが、工事を担当する業者に一番新しい設計が渡っていなかったようなのです。


 叔父さんが、頭を抱えて言います。

「私の失敗だ。業者に最新のNC旋盤を導入することにした後の設計が渡っていなかったみたいだな。……なんとか補えそうかな」

 それが叔父さんの失敗であったとしても、私にも責任があります。私の確認が甘かったことも原因の一つなのです。


 私は、叔父さんに言いました。

「叔父さんのせいではないですよ、気にしないでください。工事責任者の方と相談してみます。工事はまだ着手前ですから、何とかなりますよ」


 叔父さんにはそう言いましたが、新しい工房の基礎設計の変更が、今後の工事にどこまで影響するか、工期や経費がどこまで膨らむかなど、私自身、まだまだ纏められていませんでした。

 私は平静を装いつつ頭を抱えておりましたが、それまでやっていた家具製造や販売の方を工房の若い人たちが進めてくれていたので、随分助かっていました。


 そしてその頃、母が体調を崩しました。

 ハナは、亜沙子さんにお願いして実家に電報を打ってもらったそうです。すぐに父が母を迎えに来ました。私は工事の問題を解決するのに忙しく、父に会うことはできませんでした。

 その日の夜、私はハナから、既に母が実家に帰った事を知らされました。

「そうか、ちょっと心配だけど、あちらの家には、サチもスミさんもいるから、心配はいらないだろう」


 ハナが私に聞きます。

「お仕事は、大変ですか?」

 私は、家事を手伝うことができないことに罪悪感を感じて苦笑いました。

「もう一息ってところかな。少し前に工房に入ってきた若い人たちが頑張ってくれているからね。僕も負けてはいられないよ」


 ハナには、私を責める気持ちなどなかったと思います。

「せめてしっかり食べて、ゆっくり休んでください」

 私は、努めて明るく振舞って言いました。

「ありがとう! ハナもあまり無理はしないようにね」


 私は、ハナに感じていた罪悪感と、工房での問題に気を取られて、ハナがまた張り詰めた表情に戻ってしまっていることに気が付きませんでした。


 私は、それからも家具工房の拡大工事の問題に追われ、忙しい日々を送っておりました。正直のところ、その頃の工房でのことは、あまり覚えていません。きっとあまりに余裕がなかったのです。


 そうして数日たったある日、私が家に帰ると、リビングのテーブルの上に手紙が置いてあるのが見えました。私は事態を掴みかね、不思議に思ってハナからの手紙を開きました。


 手紙には、こう書いてありました。

「浩一さんへ

  突然、お手紙など書いてごめんなさい。

  私は、しばらくの間、お店に帰って子供たちの世話をするように致しますので、どうぞご心配なさらないでください。

  お体にはお気をつけて、ご飯はちゃんと食べて、夜もできるだけお休みになる様にしてください。

 ハナより」


 私は、もう一度手紙を読み返した後、しばらく考えてから、さらにもう一度手紙を読み返しました。そして、手紙のどこにも『いつ帰る』といった文章がないことを確かめました。

 私は、それまでに感じたことのないような、ひどい焦りを感じていました。


 私は、大慌てで車に乗り込み、ハナの実家である商家へ向かいました。暗い中、精いっぱいのの速度で車を飛ばしました。……今にして思うと、よく事故を起こさなかったと思います。


 ようやく商家に着いて、車から飛び出した私は、商家の扉を叩きました。……かなり遅い時間だったのですが、少々騒がしかったかもしれません。

 すぐに商家のご主人と、続いて奥さんが中から出てきました。私は、お二人に詫びて言いました。

「ご無沙汰をしています。遅い時間に押しかけてしまって申し訳ありません。あの……、ハナがこちらに来ていると思うのですが……」


 お二人は、一度顔を見合わせた後、まずご主人の方が口を開きました。

「久しぶりだね、お坊ちゃん。ああ、そうだね、ハナはここに居るよ。もう休んでいるがね」

 続いて、奥さんが私に言いました。

「まだハナからも何も聞いちゃいないが、察しは付くよ。あんたは悪い人間じゃないし、頭が悪くないのも知ってる。……多分、ハナが帰ってきちまったのは、巡り合わせなんだろう。でもね、出戻ってきちまったからには、ただじゃハナは渡せないね。それなりの準備が必要だろう。ハナがここに帰らないで済むには、何が必要かってことさ。今日のところは帰んな」


 私は、きっとずる賢い人間なのです。その時の私は、奥さんの言う『ただでは渡せない』、『準備が必要』という言葉にほっとしてしまったのです。つまり、まだハナと一緒にいられる機会はあるのだと思ったのです。

 私は、お二人に言いました。

「あの……、いえ、わかりました。私がこんなことを言うのも変なのかもしれませんが、ハナのことをよろしくお願いします」


 奥さんは、笑顔になって言いました。

「言われるまでもないさ」


 私は、一度家に帰って、その日はそのまま休みました。……いえ、正確には、横になっただけです。とてもではありませんが、寝付けませんでした。

 私は横になったまま、以前していた、それまで家事をしていなかったことの後悔を、改めてたっぷりすることになりました。なぜもっと無理をしてでもハナを手伝ってやれなかったのか、その時の私はそう思っていました。


 私は、眠れぬ夜を数日過ごした後、少し早めに帰れる日を見つけて、また商家に向かいました。

 その時の私は、家事をすることをハナに約束することで、ハナを連れ帰ることができるだろうと考えておりました。その時の商家のご主人と奥さんは、私を中へ通してくださいました。

 私は、ほっとして商家の中へ入りました。


 私は、商家の中の部屋の一つに案内されました。そこがハナの部屋なのだそうです。考えてみれば、ハナの部屋に入るのは初めてだと気が付きました。

 中に入ると、双子の赤ちゃんとハナがおりました。

 ハナが私の方を見て緊張した顔になります。私は矢も楯もたまらず、ハナに言いました。

「大丈夫? 辛くない? 僕にできることは?」


 ハナは、私に言いました。

「大丈夫です。奥様も、旦那様もよくしてくださいました。赤ちゃんたちも元気です。でも……、私は浩一さんと一緒にいられなくて、幸福ではないと感じています」


 私は正直、とても驚きました。ハナ自身の意思でここに来たはずなのに、そのハナの口から『ここにいて幸福ではない』と言われたからです。


 私は改めて考えて、家事をしなかった私は、そこまでハナを追い込んでしまったのだろうかと思い、ハナに言いました。

「ハナが幸福でないのなら、僕も同じだよ。それなら、一緒に僕らの家へ帰ろう。僕もできるだけ子供たちの世話をするようにするから」


 ハナは、ようやくほっとしたような顔になって、目からは涙がこぼれていました。そして私に言います。

「ありがとう、浩一さん。ハナは浩一さんにそう言ってもらえて、とても嬉しいです。でも、浩一さんはお仕事をしながら、赤ちゃんのお世話ができるのですか? きっと眠る時間は、今の半分ほどになってしまいます」

 私は、ハナに戻ってきて欲しい一心で言いました。

「それは、必要なことなら、少しくらい眠る時間が少なくなってもなんとかするよ」


 ハナは、ゆっくり首を振って言いました。

「いいえ、それではいけません。今度は、浩一さんが体を壊してしまうでしょう。私は、しばらくはこのまま、おたなで赤ちゃんを育てます。そしてお仕事の目途がついて、浩一さんが早くお家に帰れるようになってから、もう一度迎えに来てください。そうしたら二人でお家に帰って、二人で赤ちゃんを育てるやり方を相談して決めましょう」


 私は、すぐにハナと一緒に暮らせないことへの失望と、ハナと二度と一緒に暮らせなくなるわけではないことへの安堵した気持ちの両方を感じながら言いました。

「そうか……。ハナがそういうなら、そうしよう。僕は頑張って、仕事に目途を付けて、できるだけ早くにハナを迎えに来れるようにするよ。できるだけ早く、二人とも幸せでいられるように」


 私は、目の前にいる女性が、自分にとってどれだけ大切な存在であるのか、改めて思い知らされた気持ちになって、思わずハナを抱きしめてしまいました。ハナも私に答えて、ぎゅうっと私を抱きしめてくれました。

 私たちが夫婦であることを、私はこの時になって、ようやく本当に理解できたのかもしれません。


 私は次の日から、それまで以上に仕事に打ち込みました。家具工房の基礎設計の練り直しまでは既に済ませていましたが、工事がまだ再開できていませんでしたので、資材調達、追加資金の手配などを進め、工事再開を急ぐようにしました。

 その間も工房の若い人たちは、それまでの家具製造と販売を進めて私を助けてくれていました。


 家具工房の工事が順調に進むようになってから、それまでより少し纏まった睡眠時間が取れるようになってきたとき、私は叔父さんや工房の若い人たちが、自分と同じくらい長い時間働いていることに気が付きました。私は、あまりに余裕がなくて、自分の周囲の人達を気遣うことができていなかったことを反省しました。


 私は、家具工房の人達に言いました。

「皆、今日も遅くまで頑張ってくれてありがとう。皆には、本当に感謝しています。けれど毎日こんなに遅くまで仕事をしていたのでは、皆が体を壊してしまいかねないと気が付きました。これからは一日の仕事量を調節するようにして、できるだけ早く帰れるようにしていきましょう」


 私が皆にそう言ったところで、急に家具工房の人達が早く家に帰る様になるわけではありませんでしたが、少しずつ早い時間に帰宅するようになっていきました。私は、もっと早くこうするべきだったと反省しましたが、きっと他にも学ばなければいけないことは沢山あるのだろうとも思っていました。

「きっと、ずっと学ぶことは必要なんだな。仕事でも、家庭でも」


 家具工房の工事が落ち着くようになってからは、時々ではありましたが、商家にハナと子供たちの顔を見に行くことができました。

「赤ちゃんが大きくなるのって早いんだね。もう歩けるようになってる」

 ハナが答えて言います。

「はい、でも焦らないでください。浩一さんは、浩一さんができることをやってくださればよいのだと思いますから」

「そうだね。最近、やっとハナの言うことが分かってきたような気がするんだ。相手を大切に思うことと同じくらい、自分を大事にすることが必要なんだって言うことがね」


 家具工房の拡大計画が全て完了して、同じ製造期間で比べれば、それまでの約三倍の量の家具を製造できるようになりました。

 国内では、東京以外の他の都市でも百貨店で工房の家具を販売できるようになりました。

 海外では、シアトルの家具工房以外でもうちの家具を扱いたいという販売店から連絡をもらうようになり、それをきっかけに順調に販路を増やすことができるようになりました。


 国内と海外の販路拡大が落ち着き、一通りの業務を工房の若い人たちに任せられるようになるまでには、一年近い月日が必要でした。


 そして、ようやく一日の業務をその日の夕方までには終えられるようになった頃、それらの事情を話した若い人たちの一人が私に言ってくれました。

「今の僕らは、大抵のことで浩一さんの手を煩わせることなく、工房を運営することができますよ。今の工房には、仮眠室だってあるじゃないですか。もう奥さんを迎えに行って差し上げてもいいのではないですか」


 私は、その若い人に言いました。

「ありがとう。そうだね、もう工房の方は君たちにかなりの部分、任せてしまっているからね。叔父さんとも相談して、僕の家族を迎えに行こうかな」


 私は、その週の週末に商家を訪ね、ハナにハナと子供たちを迎えに行ける準備ができたことを伝えました。

「やっと仕事の方が落ち着いてきて、一緒にやって来てくれた若い人たちに大抵の仕事を任せられるようになってきたんだ。今なら、早く帰って赤ちゃんの面倒を見ることもできるし、仕事に合間に仮眠をとることだってできるよ」

 ハナは、顔をほころばせて言いました。

「これからは、浩一さんと子供たち、皆が一緒に暮らせるんですね。ハナは嬉しいです」


 私は、ハナと商家のご夫婦とも相談し、次の休みの日に改めてハナと子供たちを迎えに来ることにしました。その頃には、二人の赤ちゃんは何にも捕まらずに歩くことができるようになっていました。


 ハナを迎えに行く日、私は胸を高鳴らせて村へ向かいました。

 私が商家を訪ねると、ハナが出迎えてくれました。私は、商家のご夫婦によくお礼を申し上げてから、車に乗り込んでハナと二人の赤ちゃんを待ちました。


 ハナは、商家の奥さんに助けてもらいながら、二人の赤ちゃん、蓮太郎と健太郎と車に乗り込みました。ハナが商家のご夫婦にお礼を言い、私も改めてご夫婦にお礼を申し上げてから、車を出して商家を離れました。


 私は、二人の家に帰るための車を運転しながら、ハナに言いました。

「これからは、僕もハナに協力して家庭を作っていかないと……、蓮太郎と健太郎のためにもね。改めてよろしく頼むよ、ハナ。僕はきっと、育児や家事については、色々とハナに教えてもらわないといけないと思うんだ」


 ハナは、にっこりと笑って言いました。

「はい。こちらこそ、改めてよろしくお願いします。一緒に二人の赤ちゃんを育てて、私たちも赤ちゃんたちと一緒に成長していきましょう」


 私は、ハナとならどんなことでも乗り越えていける、そう思いました。



to be continued...

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