浩一の章 第三節

 ハナと祝言を上げた後、当然のことながら、ハナは私の家で一緒に住むようになりました。

 サチは、親友のハナと一緒に暮らせるようになったことを、それはそれは喜びました。


 ただ、私の部屋は二人で使うほど広くはなかったので、ハナは空いていた別の部屋を寝室とすることになりました。

 母が父に言います。

「夫婦がいつまでも別々の部屋じゃ、ハナさんも肩身が狭いだろう。いっそ家を増築して、浩一夫婦の部屋を新しく用意しちゃどうかね」


 そこで私は、両親の会話に割って入りました。

「そのことなのだけれどね、母さん。父さんも。僕は町に自分の家を建てて、そこにハナと一緒に住むことを考えてるんだ。いくら車があるからって、毎日村から町まで通うのは効率が悪すぎるからね。生活の拠点を町に移したいんだよ」


 母が寂しそうな顔をします。

「この家を出て行くって言うのかい? ……そりゃ、お仕事の都合じゃ仕方がないけれど、寂しくなるねぇ……」

 父は、賛成してくれました。

「そうだな、それがいいと私も思う。兄もお前を褒めていたよ。折角留学までして経験を積んで会社を興したのだから、事業が軌道に乗るまでは気を緩めずに仕事に集中できた方がいいだろう」


 同じ頃、家具売り場の一角を任せてくれた百貨店から連絡をいただいておりました。百貨店の別の支店にも、うちの家具を扱う売り場を設けてはどうかとの打診でしたが、現在の百貨店の売り場に出すための家具の他、シアトルの工房に送るための家具のことを考えると、とても製造が追いつきません。


 私は百貨店に、お申し出は大変ありがたいが、当面、家具の製造が間に合わないので、そのお話はまた改めてご相談させていただきたいと伝えました。

 売りたい気持ちはあっても、売れるものが足りないというのは、何とももどかしい気持ちになります。


 私は、家具工房をさらに拡大する計画を始めることにしました。しかし、うちの工房で扱っている家具は、木彫も入った特別設計のものということもあり、量産が難しいのです。工房をさらに拡大すると言っても、家具職人さんの他、木彫り職人さんの確保も欠かせませんので、どうしても時間がかかってしまいます。


 私は、家具工房の拡大計画が職人さんの確保で停滞しておりましたので、この機会にシアトルへ行こうと考えました。叔父さんにそのことを相談すると、賛成してくれました。

「そうだね。少なくともシアトルの家具工房には、早めにご挨拶に行っておきたいところだね。あまり長くは困るけど、行けるときに行ってくるといいよ」


 私は、家具工房のご主人へお礼を言う他に、ホームステイしていた大学教授の祖父母のお家にもご挨拶に伺いたいと思っていました。私が家具工房のご主人と大学教授の祖父母のお家に手紙を出すと、どちらからも、是非顔を見せて欲しいと返信の手紙が来ました。


 私は、大学教授の祖父母のお家への手土産に、小さなチェストを持っていくことを考えていました。うちの家具はケヤキを使っているので、小さくても結構重いのですが、梱包して、他の荷物と一緒に小さな台車に乗せることで何とか自分で持っていけるようにしました。


 その頃は、以前シアトルへ行った時とは異なり、飛行機でも米国アメリカへ行けるようになっていましたが、私は以前と同じように船でシアトルに行くことにしました。

 次にシアトルに送る家具と一緒にシアトルに到着したいと考えていたのです。当時、家具のような貨物は、まだ船便が主流でした。


 次にシアトルに送るのは、工房で新しく作ったドレッサーなのですが、元々日本にあった鏡台ではなく、西洋発祥としてのドレッサーを設計、製造するにあたって、一度シアトルの工房のご主人に見てもらいたかったのです。


 ただ、そうするとハナとは一緒に行けないと思いました。十数日もかかる船旅は、ハナには厳しいだろうと思ったのです。ハナと一緒にシアトルに行くのは、また別の機会にすることにしました。


 ハナに米国アメリカへ行くために数日家を空けることを伝えると、ハナは心配そうな顔をして言いました。

「危なくはないのですか?」


 私は、ハナが心配しないように笑顔で言いました。

「シアトルへ行く船は大きいから、そうそう危ない事はないよ。船酔いさえなければ、ハナも一緒に連れていきたいところだけれど、十数日も船酔いと格闘するなんて、とてもハナにはさせられないからね」

 私は、前回シアトルに行った時、船が時折すごく揺れたことについては伏せておくことにしました。ハナは、心配そうな顔のまま言いました。

「船酔いというのは、それほど大変なものなのですか。浩一さんは、大丈夫なのですか?」


 私は、笑って言いました。

「一度往復しているからね、少しは慣れたんじゃないかな。シアトルから帰ってくる頃には、新居ができているかもしれないから、ハナは引っ越しの準備を進めていてくれると助かるよ」

 ハナは、静かに笑って言いました。

「はい、承知しました。お体には、くれぐれもお気をつけて」


 私は、久しぶりにシアトル行きの船に乗って、船酔いに慣れていないことを思い知らされましたが、前回の往路とは違い、辿り着く先で待つ人たちの顔を思い浮かべることができたので、船酔いもそれ程辛くは感じませんでした。


 シアトルの港に着くと、前回来た時と同じようにソフィアさんと息子のユージーンが迎えに来てくれていました。ユージーンは、随分大きくなっていました。

 ソフィアさんが笑顔で言います。

「コウイチ! 随分立派になって……、覚えてる? この子、ユージーンよ」

 ユージーンが少し照れたように言います。

「久しぶり、コウイチ。ユージーンだよ。忘れちゃったかな」


 私も笑顔で言いました。

「勿論、覚えているとも! 大きくなったね、ユージーン! 二人に会えて本当に嬉しいよ。他の皆さんは、お変わりないですか?」

 ソフィアさんがくすりと笑って言いました。

「ええ、ええ。皆、相変わらずよ。エマが最近ちょっと腰が痛いとか言い出したくらい。でもちゃんとお食事を作ったりできているから、心配はいらないわ。それより、早くお家へ行きましょう」


 ソフィアたちのお家に着くと、前と同じようにエマが迎えてくれました。

「まあまあ、本当にコウイチなの? すっかり立派になってしまって……。私は随分老け込んじゃったでしょう? でもお料理の腕は落ちていないから安心してね。お腹空いたでしょう? すぐお食事にしますからね」


 私は、久しぶりに食べるエマの作ってくれた食事を堪能した後、日本から持ってきたチェストの梱包を解いて皆に見せました。

「これは、今私の工房で作っている家具の一つです。よろしければ、使ってください」


 エマもソフィアもユージーンも、そのチェストを見てとても驚いていました。

「まあ! なんて素敵なチェスト! 見たことのないような彫刻が入っているわね、これはジャパン独特のものなの?」

 エマがそう言うと、ソフィアが続けて言います。

「そうね、ジャパン独特のものに見えるけど、どこかアメリカっぽさも感じるわ。言うなれば、ジャパンとアメリカのミックスって感じかしら?」

 ユージーンも言います。

「何より、とてもキュートだね。僕、これ凄く好きだよ!」


 夕方になると、ジェイムズが仕事から帰ってきました。

「コウイチ! よく来たね! どのくらいこっちにいられるんだい?」


 ジェイムズにそれほど長くはいられないことと、日本から持ってきたチェストのことを話しました。

「そうか、残念だけど、できるだけゆっくりしていってくれよ。……で、これが君の工房で作っている家具だよね。すごくいいよ! 実は、これまで日本から送ってくれていた家具は、私の仕事先の人たちに紹介してたんだ。このチェストもきっとすごく人気が出ると思うよ」


 ジェイムズの仕事は政府関係だと聞いていましたが、私の家具の販売に協力してくれているとは初耳でした。私は驚いて言いました。

「そうだったんですか? 知りませんでした……。感謝の言葉もありません。本当にありがとうございます」


 ジェイムズは、笑って言いました。

「ははははは! 私が紹介した工房での話だからね。ちゃんと責任をもって協力しないといけないと思ってるんだ。でもね、売れるのは君の作った家具に魅力があるからこそなんだよ、それを忘れないでね」


 翌日、私はシアトルの家具工房に顔を出しました。工房のご主人が迎えてくれます。

「わお! コウイチ! 君も到着してたんだね。君のところのドレッサーも昨日届いているよ。すごく魅力的だね。売れるよ、これは!」


 私は、少々冒険だったドレッサーの設計がうまくいった手ごたえを感じました。

「ありがとうございます。こちらでうちの家具を販売してもらえて、本当に助かっているんです。もうちょっとこちらの工房のマージンを増やしてもいいと思っているんですが、いかがです?」


 工房のご主人は、笑って言いました。

「あはははは! ありがとう、コウイチ! でも、気持ちだけもらっておくことにするよ。うちは家具の販売店じゃなくて、家具工房なんだってことを忘れないでくれよ? 君の家具を売るのは、あくまで客の要望があるからで、うちの工房で作った家具で利益を得ることこそ、うちのプライドなんだ」


 私は、ハッと気が付いて言いました。

「ああ……、ごめんなさい。私は、とても失礼なことを言ってしまったようです」

 工房のご主人がくすくす笑って言います。

「気にしない気にしない。君はいい奴だね、コウイチ。君の工房の家具は、うちの職人たちにもいい刺激になっているんだ。これからもいい関係を続けていきたいね」


 久しぶりに訪れたシアトルで目的を果たした私は、日本に帰ることにしました。エマが私との別れを惜しんで言います。

「元気でね、コウイチ。また来てちょうだい。今度は是非、コウイチのワイフもご一緒に」

 私は、皆さんに言いました。

「ありがとうございます、必ずまた来ます。次は、私のワイフと一緒に」


 日本への帰りの旅は、飛行機を使いました。飛行機での移動は生まれて初めてでしたが、船酔いを伴わない移動はとても快適でしたし、何より早いのです。なんと二日もかからずに日本に着いてしまいました。

「これならきっと、ハナも大丈夫だな」

 私は満足して、そんな独り言を言いました。


 日本に帰ってくると、父から町で建築中だった私の家が完成したという知らせを聞きました。

「準備も済んでいますから、いつでも町へお引越しできますよ」

 さすがハナです。私がシアトルに行っていたのは道中を含めても数日だったのに、もうすっかり引っ越しの荷物を纏めてしまっていました。

 ハナが笑顔で言います。

「浩一さんが米国アメリカに旅立たれてすぐくらいに、お父様から、もうじきお家ができそうだと教えていただいたのです」


 私とハナは、すぐに町の家に引っ越すことにしました。母は寂しそうな顔で言いました。

「たまには顔を見せにきておくれ。体に気を付けるんだよ」

 父は、母とは異なり、さらりとした風に言いました。

「こちらのことは気にするな。浩一は、事業を軌道に乗せるのに尽力しないといけないからな。まあ、体には気を付けるんだよ」


 サチは、私のことなどまるで気にしません。ハナに向かって言います。

「もう、引っ越すんなら、兄さんだけ行けばいいのに……、なんてわけにいかないよね。辛くなったら、いつでも帰ってきていいんだからね」

 私は、サチらしいと苦笑いをしてしまいました。


 そうして私とハナは、新しい町での生活を始めました。

 私は、村から家具工房に通っていたので、町の様子はわかっているつもりでしたが、ただ通り過ぎるのとそこで暮らすのとは、随分違いを感じるものでした。

 私は、ハナに言いました。

「工房に通うのに毎日のように通り過ぎていたところなのに、いざ住んでみると随分印象が変わるものだね。なぜだろう?」


 ハナは、くすりと笑って言いました。

「ただ通り過ぎるだけでは、わからないことがあるのでしょう」

 私は、ハナに聞いてみました。

「成程……、ハナはどうだい? この町へ来て?」

「私は……、何もかも慣れないことばかりです。でも、お隣のお家の奥さんがとてもよい方で、色々お世話を焼いてくださるので、とても助かっています」


 そのくらいの頃からでしょうか。家具工房に入ってきた若い人たちが、家具の設計や百貨店への挨拶周りなどで私を助けてくれるようになってきていました。大学の教授が、大学の学生にこの工房を紹介してくれたのです。

「浩一さんのことは、教授から聞きました。米国アメリカへ留学に行ったって本当ですか? 本当にすごいです、尊敬します!」


 若い人たちには、『米国アメリカで人気があった』という触れ込みなどなくても、うちの工房の家具を抵抗なく受け入れられるようです。

「これがこの工房で作られた家具ですか、とても魅力的な家具たちですね!」


 そうして数年が経ち、家具工房の拡大計画にも目途がついてきた頃、ハナが妊娠いたしました。妙な吐き気がするので、町の助産院へ行ったところ、おめでたと言われたそうです。


 私は嬉しいような、戸惑うような、複雑な気持ちでおりました。少々うろたえてハナに聞きます。

「体は大丈夫なの? 食欲はある? どこか痛いところは?」

 ハナは、くすくす笑って言いました。

「食欲はありますし、体のどこにも痛いところなどありません。つわりこそありますが、病気ではないのですから、大丈夫ですよ」


 ハナから妊娠したことを聞かされても、私は家のことを手伝うことがほとんどできませんでした。

「ごめんね、ハナ。まだまだ工房の方でやる事が沢山あるんだ。妊娠したっていうのに、家のことはハナに任せきりになってしまうけれど、大丈夫かな……」


 ハナは、にっこり笑って言いました。

「そのご近所の方が随分助けてくださるので、なんとかなっています。浩一さんは、お仕事を頑張って下さい」

 私は、お恥ずかしいお話ではありますが、ハナの言葉に甘えて、身重のハナに家のことを任せきりにしておりました。


 ハナは、村の商家と私たちの元の家に手紙を書き、自身の妊娠を知らせました。数日後、商家の奥さんとサチが私たちの新居に遊びに来てくれました。


 二人は、数日私たちの家に泊まっていってくれましたが、私は変わらず仕事にかまけ、二人ともほとんど顔を合わせることはありませんでした。

 二人は、ハナに商家のお子さんが高等学校に通うために家を出たこと、サチが見合いをしたことを話してくれたそうです。


 私は、サチが見合いをしたという話は初耳だったので驚きましたが、あっさり断ってしまったそうなので、そのことを見越した両親が私に伝えなくてもよいと考えたのかもしれません。


 数か月もすると、ハナのお腹も大きくなってきました。

 出産の予定日が近くなり、不定期ながら陣痛も始まっているとのことですので、ハナを助産院に連れていきました。ハナは、出産まで助産院で寝泊りするのです。


 私は、ハナに言いました。

「家のことは、僕に任せてよ。こうみえても、スミさんに少しは教わっているんだから」

 ハナが心配そうな顔で言います。

「ありがとう。ご飯だけは、きちんと食べるようにしてください」

「僕は、大丈夫だよ。ハナはここでゆっくり、自分と子供のことだけ考えてて」

 私は、笑って答えましたが、恐らく私が家事などやる余裕のないことは、ハナに見抜かれていたのだと思います。


 今にして思いますと、実家にいたときも、お手伝いのスミさんに教わりながら、スミさんの手助けをしている気になっておりましたが、男の私にスミさんが本気で家事をさせようとするはずもありません。恐らく『やっているように見える』程度に私にやらせては、きちんとできているかスミさん自身の目で確かめて、できていないところはスミさん自身で補っていたのだろうと思います。


 仕事に追われ、大して家事の経験もない私にできるほど、家事は甘いものではないのでしょう。ハナは、私の言うことを言葉通りには受け取っていないようでした。そして実際は、恐らくハナの思っている通りだったのです。


 数日後、私は家具工房で助産院からの電話を受け取りました。ハナが、無事双子を出産したとのことでした。私は、父になった実感など湧かないまま、工房中からお祝いの言葉をいただきました。

 しかし、私が二人の子供の父親であるとの実感を持てるようになるには、まだまだ時間が必要でした。



to be continued...

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