苦い、甘い

「ははっ」

 鼻から自嘲が抜ける。目尻から零れた涙は顔に塗りつけられたメイクと一緒に落ちていく。私を守るはずの仮面を、一枚一枚丁寧に剥いでいく様は、酷く滑稽に思えた。

 悔しさや苦しさのままに肩に掛けていた鞄をソファに投げ下ろした。それは蛙のように無様にひっくり返って床に落ちた。硬いものが当たる音がしたけれど、それに気を留めることも出来ずに洗面所に向かった。洗面所の鏡に映る私は汚い顔をしていた。この顔でさっきまで外を歩いていたことを考えるとあまり良い気はしない。けれど仕方がないだろう。私の友人が好きな人と一緒にデートしているところを見てしまったのだから。

 ふたりともお洒落をして、腕を組んで歩いていた。彼は車道側を歩いて、友人に歩幅を合わせて歩いていた。ふたりとも楽しそうに笑っていた。だから、私は声を掛けられなかった。

 友人は悪くない。私の好きな人のことなんて知らないし、彼女は酷く正直で優しい人だから。たぶん、私が彼を好いていると知れば身を引く程、優しさに溢れた人だから。

 擦るばかりで中々落ちないメイク痕が、鏡の中の私には残っている。暫くは今日のことを思い出して泣くのだろう。この悔しさと、苦しさと、辛さと、言葉に出来ない混ざった感情を抱えながら。この恋心は、濁って、乱れて、今のメイク痕のように見るに堪えない姿になってしまったから。そのくせ、メイクのように簡単には落ちてくれない。心にしがみついて、苦い感情を少しずつ植え付けてくる。だから厄介なのだ。

 何故彼を好きになってしまったのか。何故彼は私を好きにさせたのか。苦しいばかりで報われない思いを簡単にあげてしまう彼が、悪魔のように思えた。彼の所為で苦しいのに、彼がその苦しさを拭ってくれることは一生ないのだから。

 リビングに戻れば、光ったスマホのホーム画面が友人からのメッセージを告げていた。それは今日のデートが楽しくて、好きになってしまったということと、もし私が好きになっても渡さないという宣戦布告にも似た決意表明だった。だから、『頑張れ』とだけ返した。負け戦に真剣になれるほど、私は殊勝な人間ではなかった。それに誰よりも優しい彼女との友人関係を壊したくはなかった。

 だから、やっぱり彼が悪いのだ。優しさという毒で人を壊す彼が。

 鞄の中から先程の衝撃で歪んだチョコレート缶を出した。その中の真っ赤ないちごチョコを食べれば、その甘さに胸焼けがして、また涙が零れた。



陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに

ー河原左大臣

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和歌 海月^2 @mituki-kurage

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