8. それぞれの思惑

 エランドル領に入ったのか、追手が来なくなった。

 彼らのおかげでアクオヴィテも十分確保できた。

 旦那様に会えたのは幸運だった。

 いつか思い知らせてやりたかったのだ。

 お陰で鞄はもう一杯でこれ以上入りそうにない。

 ここからエランドルの首都に向かうのだが、どう進めば良いか見当もつかない。

 ひとまず近くの集落で休もうと考えた。

 しかし、集落だと思っていたものは軍の駐屯地だった。


「貴様は何者だ!」


 敵意と警戒が現れていた。


「魔導士を募集していませんか?」


 率直に聞いてみることにした。


「貴様は魔導士か?」


「そうですよ」


「見慣れん奴だ。フィルモアの回し者か?」


「いえ、それはありません。道中フィルモアの軍人を沢山やっつけてきたので」


「貴様のような子供がか? 笑わせる」


「それなら試してみましょうか?」


「ならそこの木でも燃やしてみな、できるもんならな」


 エイノルは彼らの後方の木を、弧を描くように火をつけた。


「これで如何ですか? それとも、ご自身で体験してみますか?」


 エランドル兵は燃え盛る火に動転しつつも、平静を装って言った。


「わかった。投降者として陣営に連れてゆく。こっちへ来い」


 投降者とは面白い言い回しだった。

 エステルは彼に従った。

 陣に戻ると、巡回の兵は軍長に面会し、妙な少年魔導士を捕縛したと報告した。

 軍長は牢にでも入れておけとあしらった。

 しかし参謀がそれを制した。


「フィルモアがある盲目の少年魔導士を探しているようです。人相書きが各方面に配布され、軍が捜索にあたっていると間者から知らせを受けております。対応をご再考ください」


「軍が子供を探すだと? 余程のものか、王室関係者か? わかった。その者は天幕に入れて外を見張れ。本営に報告して指示を待つ」


 お前も行けと参謀に目で指示を与えた。

 参謀は名をグリプスと言った。

 グリプスは自分の天幕に戻り、間者が送ってきた手配書を探した。

 そこには『重要人物につき、丁重に帝都まで移送せよ』と書かれていた。

 どんな身分であれフィルモアにとって軍を動員してでも回収したい人物ということだろう。

 これはまた、面白い札が転がり込んできたものだ。

 エステル君か。

 グリプスは紙を懐に入れて、少年の天幕に向かった。

 天幕を監視要員が囲んでいた。

 入り口を固める衛兵に目配せして、一時的に衛兵を下がらせた。

 彼らが知るべきではないことがあるかも知れないからだ。


「失礼するよ」


 そう言って天幕に入った。


「ご機嫌よう。私はこの軍の参謀を務めるグリプス・エルトリスと言う。お見知り置きを」


 歳は十五、六と言ったところか。

 肩ほどに伸ばした栗色の巻き毛で、少年というより少女と言った方がしっくりきた。

 顔は鼻梁から額までを覆う黒い布製の仮面で判別できなかった。

 よく見ると何と彼は紳士が夜遊びに使うマスクを付けていた。

 目が塞がっていて、そういう遊びを好むものもいるのだ。


「エステルと言います。このような待遇に感謝します」


「いえいえとんでもない、不自由を強いてしまい申し訳ない。失礼だが顔を見せてはもらえないだろうか」


 この男は今まであった中では、初めての色だった。

 口調や物腰は丁寧だが、警戒した方が良いと感じた。

 だが、今の状況と自分の目的を達成するためには必要だと判断して、仮面の紐を解いて素顔を晒した。

 グリプスは手配書と照合した。

 整った顔立ちだが、額や頬に薄らと傷跡が残っていた。

 盲人が傷跡を気にするとは思えないが。


「私はフィルモア帝国が軍に配布した手配書を持っている。その人相書きと貴方はよく似ているように見える。貴方は…」


「目が見えません」


 瞼を開いて見せた。


「気分を害したのなら謝る。申し訳なかった」


「いえ、慣れておりますから」


「それで、どのような目的で我が国へ来られたのですか? まさか亡命ということは、ないと思いますが」


「その通りです。戦時中に国を出てきたのですから」


「理由を聞いても構いませんか?」


「僕はあの国で大切なものを全て無くしました。いる意味もないし、あの国のために働く気もないのですよ」


 奪われたということはそういう立場の者、ということか。

 王族や貴族ではなさそうだ。

 つまりは、彼の能力を帝国は必要としていて、彼の最終的な思惑は我々を利用して帝国に復讐する、そんなところか。


「つまり、我が国で働きたいと?」


「率直にいうと、違います。あなた方に帝国と渡り合うための武器を買って欲しいのです」


 あながち外れてはいなかったようだ。

 武器は供与するが、目的は金か。

 果たして…。


「武器とはどんなものですか?」


「マナの枯渇しない魔導具です」


 なんと大きく出るものだ。

 ただ、そのような魔導具を作れる人物なら、帝国が軍を動員してまで探す理由も頷けた。


「どんなものか見せて貰えますか?」


「残念ながらまだ完成していません。ですが核となる材料は既にここにあります」


「見せてもらえますか?」


 エステルは鞄を差し出した。

 グリプスがそれを受け取ろうと距離を詰めようとした。


「ただ、これに触れて立っていられるかは保証できません」


 苔威だろうと鼻で笑い、グリプスはそのまま歩み寄って手を伸ばそうとした時、ガクリと膝が落ちた。

 これ以上は危険だと思い、エステルは鞄を遠ざけた。

「今のはいったい…?」


「この物質、と言って良いかわかりませんが、これはマナを集める性質があります。常人であれば、マナを吸われてそのようになるのでしょう。これを使って魔導具を作れば、魔導士にマナを与え続けられるようになるでしょう」


「なんとも信じ難い話だが、何故あなたは平気なのだ?」


「私にも秘密はありますよ」


 自分の力は秘するとと言うわけか。


「なるほど、よく分かりました。現在あなたの処遇については本営の判断を待つ状態です。しかしながら、私はあなたに興味がある。私はあなたにこの国の情報や助言を授けることができます。信頼してもらえれば、ですが。互いにとって易のある話が今後も出来ればと思いますが、如何ですか?」


 自分は運が良いかも知れない。

 全て信用するわけにはいかないが、情報源を得られるのは貴重だった。


「喜んで」


 グリプスは静かに笑った。

 大きな収穫だ。

 相手の目的と能力の一部を最初の接触で知ることができた。

 手配書とも一致する。

 材料とやらも本物だろう。

 信憑性は高い。

 彼が求めるものが金であるうちは、互いに有益な関係でいられるだろうと判断した。

 どんな絵を描こうか、楽しみが増えたわ。

 そうしてグリプスは天幕を出た。

 これから忙しくなるぞと小躍りしていた。

 エステルには、彼がずいぶん喜んでいるのがよく視えていた。

 エステルもそれを喜んだ。

 目的を達成するには、どうしてもこの国の協力者が必要だった。

 地位は高ければ高い程よい。

 何しろ、この国の最終決定権を持つ人間に面会しなければならないのだ。

 つまりは、国王である。




「子供はどうであった?」


 グリプスは軍長の天幕に報告に出向いていた。

 この軍はエランドル軍第三軍所属の部隊で、兵五千を預かり国境警備の任に就ていた。

 軍長は名をヒュパティア・ルベルクスと言い、伯爵家の次女である。


「軍情報部が監視対象とした、魔導学院所属のエステルに間違いないかと」


 ヒュパティアは驚いた様子でグリプスを見た。


「子供が監視対象だと?」


 グリプスはゆっくりと頷いた。


「何処かの有力貴族の息子か?」


 グリプスは首を振った。


「いいえ、彼は平民です。トカラという村の農民の生まれのようです」


 ヒュパティアの眉間に皺が寄った。

 彼女はもう鎧を脱いで、キトンに着替えていた。

 キトンとはこの大陸に古くからある衣装で、肩から踝まである二枚の布を前後に合わせて作られる簡単な衣服だ。

 彼女は薄い青色のキトンに緋色の地に孔雀の羽のような模様が刺繍された帯を締めて、カウチの肘掛けで頬杖をついていた。


「恐ろしい国だな、フィルモアは。農民からも才を見出して用いようとする」


 グリプスは頷いた。


「真に恐るべきはその仕組みでしょうな。登用から育成までの課程を作り上げたことでしょう。平民には学費を抑えるための支援金や支度金まで国庫で負担しているようです」


 ヒュパティアはうんうんと頷いた。


「先見の明があったと言わざるを得んな。しかし宮廷の愚か者どもは度し難いな。我が国にも学院を作れなどと言っておる。ハコだけ作れば魔導部隊ができると勘違いしておる連中ばかりだぞ。形になるのは十年以上先であろうが。その頃にはとっくに負けておるわ」


 軍長が平気で負けるなどと口にするから人には聞かせられないのだが、この女性が言うことは的を射ていた。

 そういうところをグリプスは評価してここに居る。


「しかし、魔導を軍事転用するとはな」


 苦々しい表情でヒュパティアは吐き捨てた。


「お嫌いですか?」


「嫌いだな。そもそも我が国は神の巫女を戴く国だぞ。あの力は人の世を豊かにするためにこそ使わねばならん。それを戦に用いるなどありえん」


 気持ちはよく分かる。

 グリプスは嗜めるような目で彼女を見た。

 それに気づいた彼女も、嫌々ながらも受け入れざるを得ないことは知っていたから、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「お前が言いたいことは分かっている。好き嫌いの問題ではないからな」


 この方もまだ若い。

 ヒュパティアはまだ二十六だった。

 グリプスから見たら年下の女部隊長だったが、彼は彼女に相応しい地位だと思い力を尽くしていた。

 この国は代々女が王位を継ぐ女系国家だ。

 遥か昔は巫女、つまりは預言者と呼ばれた女の子孫にあたり、代々アルトメイアの名を継いでいる。

 幼名はエミリアと言った。

 そのせいか、女が上長であることに抵抗を感じるものはほとんどいなかった。


「それが、一つ可能性が出てきまして」


「何だと、申せ」


「先ほどのエステルですが、マナが枯渇しない魔導具を作るので、我々に買って欲しいと言うのですよ」


「それはまともなものなのか?」


「完成していないようなのですが、期待はできるかと思います。中核となるものは既に入手しており、その効果も体感してきました」


 ヒュパティアもどんなものか興味を持ったらしく、何も言わずにグリプスを見つめていた。


「触れようとすると酷い脱力感に見舞われます。彼が言うにはマナを吸うのだとか。これを使って魔導士の力を補うものだと推察します」


 人からマナを奪うなど聞いたことがなかった。

 奪われた者はどうなるのだ。

 どこから得るというのか。


「お前はそれに噛みたいのだな?」


 グリプスは左様ですと答えた。


「任せる。随時報告しろ」


 グリプスは畏まりましたと言って天幕を後にした。

 魔導具を売りたい、商品は未完成、金もなさそうだ。

 一働きしてもらうのがひとまずの落とし所かな。

 差し当たって、報酬額と上への根回しが必要か。

 あとは石頭の姉さんが、どんな反応するか、だろうな。

 最悪他国に丸ごと売り払うことも視野に入れておくか。

 ヘリオン辺りは買ってくれるかも知れん。

 渡を付けておくか。

 グリプスは自分の天幕へと向かった。

 寝付けぬ夜になりそうだった。

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