2. 『砲台』の基礎

 頭のてっぺんが寒かろうなぁと思うほど、窓の外の景色は着々と冬に向かっていた。

 黒板の前では、フィルモア王国が帝国であった頃の講義を、歳の割に毛髪の薄い男が話していた。

 十の月に入学を終え、『砲台』養成機関と揶揄される学院で学ぶことになった。

 本来なら自分のような者が来るところではない。

 何しろ魔導になど一切興味がなかったからだ。

 それでも入学することになったのは、殆ど顔を合わせたこともない父親からの依頼のせいだった。

 父は母と子を置いて、任地で暮らしていた。

 家に帰って来たことはほとんどなく、母の死目にも戻ってこなかった。

 それが突然現れたかと思えば、日当が出るから、アグリス家の次女と共に王立魔導学院に入学しろと言うのだ。

 詳しくはアグリス家の執事長に聞けと言い残して、再び任地へ戻って行った。

 親とは言え、限りなく肉親に近い赤の他人だと思っていたから、怒りも沸かなかったし、血相を変えて日銭を稼ぐ時を数年遅らせられる上に、金も出るなら願ってもない話だ。

 アグリス家というのは、フィルモア王国元老院議員の家系で、貴族である。

 王国北西部の国境付近に領地を持ち、防衛の前線に就く家だった。

 父はその議員の領地で騎士として仕官していた。

 騎士とは魔導騎兵の意味と、称号としての意味の二つがある。

 端的に言えばアグリス家の家臣と言うことだ。

 かつては騎馬して主君に侍る者として、一代に限り叙任される称号であったが、現在はこれに魔導士の力を併せ持つ者という要件が加わった。

 魔導士が一般化すると、戦場においてはかつての弓兵と同列に扱われるようになった。

 戦略物資を必要とせず、その場で意識を失うまで術を使う『砲台』のようなものなのだ。

 一方で武術をも使いこなす魔導士は、戦術的価値が非常に高く、重用された。

 かつては乗馬を維持管理するのが必須であったが、今では身一つで仕官できるほど優遇された。

 つまり、才さえあれば出世できるのである。

 馬の維持など、財がなければできることではない。

 馬場と馬小屋を持てるほどの土地と、調教師や使用人を雇う金、馬もただではないし、更に餌代は馬鹿にならない。

 そう考えると、随分敷居が低くなったと言える。

 アグリス家の執事長の話では、当家のお嬢様の従者として入学せよということだった。

 学院は平民と貴族の差はなく、平等に扱うという建前はあったが、実際には階級社会だ。

 貴族の姉弟とは言え喧嘩はするし、家同士の事情も多分に影響するため、従者が必要だったわけだ。

 何故自分なのか尋ねてみた。

 何しろ仕える相手との面識が全くなかったのだ。

 すると執事長は答えた。

 要約すると、当家に仕える者の子息で、学院の実技試験に合格できそうな者が全くおらず、仕方なくお前を付けることにした、ということだった。

 実技試験というのが厄介で、毎年課題が違うらしい。

 昨年は五十メルテ(約50メートル)先の的を手段は問わず破壊するというものだったようだ。

 執事長に面会した時、能力を示せと言われ、同じ課題をやらされた。

 風を起こして執事長の側の楓の木にぶつけた時の彼の表情が忘れられない。

 給金は月に三百グレイン(日本円で推定十五万円)を提示された。

 学費はアグリス家の負担で、住居は全寮制のため家賃も必要がなく、食事も支給された。

 好条件だ。

 少なくとも、魔導騎兵の職に着く道は拓けるのだから、主人がどんな女であっても、堪えるのも仕事の内だと割り切れる。

 というわけで受けたのだが、入学以降毎日座学ばかりで辟易してきた。

 この学院は魔導士の養成に主眼を置くが、最も重視しているのは魔導騎兵の確保だった。

 そのため体術、剣術、弓術、乗馬などの基礎課程が必修になっており、ここで認められると次の課程に進むことができた。

 一方落第すると固定砲台行きがほぼ確定するため、『砲台組』という不名誉なレッテルが貼られる。

 砲台組の中でも飛び抜けて秀でた者には別の道もあったが、残念ながらごく少数だ。

 ただし、貴族はこの限りではない。

 必修であるが、実際は受けなくて済んだ。

 諸々自領で習得済みと書類を出すだけで良いのだ。

 実際に貴族の子息や令嬢は、家庭教師を付けられて、早くから勉学や武術を嗜む。

 あながち嘘でもない。

 彼らには戦略立案、政治、財政、法律などの国政に関わる科目が推奨された。

 特に長男で家督を継ぐ者はこの道を選択することが多かった。

 アグリス家の次女にどちらを選ぶか尋ねたところ、当然のように後者を選んだ。

 従者としてここにきてはいるが、四六時中付き従う必要はないようだ。

 他家の従者もいたのだが、彼らは主人に振り回されて大変な様子だった。

 自分の主人は、他人に付き纏われるのが嫌いなようで、何かあれば言うので好きに過ごせと言われた。

 そうは言っても仕事でもあるので、彼女が寮に入るのを見届けるまでは、遠くから見守ることにしていた。

 中には従者同士で決闘させる者もいて、一時期話題になった。

 政治的に対立する家の子息同士が言い争いになり、従者の決闘に発展したようなのだ。

「ホントにガキはどうしようもないわね。介抱してやりなさい」

 主人はそう言う人だった。

 嫌いではなかった。

 名をリウィアといい、赤毛で大きな瞳が印象的な、芯の強い女性だった。


 十一の月になるとようやく実技の訓練が始まった。

 ただ思っていたのとは違っていた。

 最初はただ倒れるまで術を使い続けろというものだった。

 学院のある首都デプレスの北に、巨大な岩が幾つも立ち並ぶ丘陵があり、それらを的にしてとにかく打てと命じられた。

 巨岩は十三あり、大きな円を描くように配置されていた。

 学生は円の中央に集められた。

 流石に実技試験を抜けてきただけあって、皆技量が高かった。

 ただ扱えるマナの総量には違いがあった。

 マナとは、この世界のあらゆるものが有する根源的なエネルギーのひとつだ。

 魔導はこれを用いて術を発動させる。

 己の内にあるマナを削りながら術を放つ。

 そのせいか、魔導士の寿命は総じて短かった。

 老人の魔導士など数名程度だ。

 だから魔導士部隊では指揮官が入れ替わることが多い。

 上が空けば繰り上がる者もいるわけで、新陳代謝の良い部隊ではあった。

 一学級三五名が幾人かに分かれて巨岩に向かってひたすら撃ち続けた。

 数分経つとその場に座り込む者が現れ、更に数分経つと、半数以上が脱落した。

 自分はかろうじて立っていたが、もう限界が近い。

 リウィアもまだ立っていたが、表情が厳しい。

 マナが枯渇し始めるとまず視野が狭くなり、吐き気や痺れ、頭痛を感じるようになる。

 さらに酷いと意識が薄れてゆき昏倒することもある。

 昏倒し、酷いと意識が戻らなくなる。

 弱々しい火球を放った直後、吐き気がたまらず、ついに膝を折った。

 周りをみる余裕などなかったが、リウィアはまだ立っていた。

 まだ数人立っているようだが、そこに注意を割くほどの余裕すらなかった。

 十数分火球を撃ち続けるだけのことで限界を迎えた。

 その日の実習は十五分ほどで終わった。

 皆自分の足で立ち上がることもできず、衛兵に抱えられて、荷馬車に横たえたまま学院へ運ばれた。

 学院に戻ると各自に薬品が与えられた。

 回復薬、所謂ポーションだ。

 失ったマナを補い、疲労の回復を促す薬だ。

 アルテミシア(蓬)の葉をすり潰し、蒸留水で薄めたものだ。

 あまりに衰弱が激しいと、飲み込むことすら受け付けなくなるため療養所に運ばれた者もいた。

 その日の昼食はスープだけだった。

 刻んだ野菜は舌で潰せる程に煮込んであり、スープは独特の臭いがあった。

 動物の血だ。

 マナの回復に最も効果的なのは血と肉だ。

 人も動物も他の生き物から栄養素とマナを受け取って生きているのだ。

「食べながら聞くように」

 実技講習の教官が皆に話しかけた。

 実習後は皆聞ける状態になかったからだろう。

 未だに皆目が虚だ。

「この実習は自分の限界を知るためのものだ。戦場に出る者は半日にわたって術を使い続ける。それが幾日も続く。マナを効率よく使うことを体で覚えなさい。心配せずとも訓練で扱えるマナの量は増える。今は体を回復することに専念するように」

 そして最後の言葉を聞いて、皆絶句して食事の手が止まった。

「この訓練は毎週行う。以上だ」

 この訓練に耐えられず、毎年数名が脱落するらしい。

 この課題は基礎課程が終わるまで続く。

 つまり一年は毎週この地獄のような訓練が待っているのだ。

 数週たったある時、マナの限界を迎えていつものように地にへばりついていると、目の前に雑草が見えた。

 それを握りしめて、呼吸を整えようと務めた時、草から体にマナが流れ込むのを感じた。

 いくらか体が楽になった。

 こんなことがあるのか?

 膝を折って体を起こし、両の手でその雑草を掴んで呼吸を整えた。

 マナはまだ流れ込んでくる。

 心地良かった。

 体が満たされて行くようだった。

 掌を広げて雑草を見てみると、そこに草はなく、真っ白な砂のようなものがあった。

 それも風に吹かれ、地に落ちる前に消えた。

 こんなことがあるのか?

 皆これを知っているんだろうか。

 そんな姿を、リウィアが見ていた。

 その日の昼食の時、リウィアが珍しく話しかけてきた。

「お前訓練中何をしていた?」

 見られていたと気づき、言葉を返せなかった。

「手を抜いているのか?」

 彼女は目を合わせようとせず、血のスープを口に運びながら話した。

「いいえ、それはありません。いつも通り吐く寸前までやったのですが、マナが少し戻ったのです」

 リウィアは驚いたようにこちらを見た。

「マナが戻っただと? 薬を仕込んでいたのか?」

「いいえ、そんなものはありませんよ。ですが息を整えたら戻ったんです」

「そんな話は聞いたことがない。本当にそんなことがあるのなら、人には話すな。私にだけ報告しろ」

 エイノルは承知しましたと答えた。

 その日の夕刻、リウィアが寮に戻るのを見届けて、エイノルは北の丘陵に向かった。

 訓練の時のように幾らか火球を放った後、手近な雑草を掴んで呼吸を整えた。

 握った雑草からマナが染みて来るのを感じた。

 呼吸が重要なのかと考えて、深く、永く、ゆっくりと行った。

 手にした雑草は既に砂に変貌していた。

 その砂は崩れてゆき、ほんの僅かに輝いて消えてしまった。

 この草が特殊なのかと考え、根から掘り出して土を落として持ち帰った。

 王立図書館に向かい、植物図鑑で調べることにした。

 草を握って図書館に入ると、司書がその姿を見咎めて、声をかけてきた。

「君、その手で本を触るのはやめてもらえるかい?」

 エイノルは自分の手が土で汚れているのに気づいた。

「植物に興味があるのかい? 表に手洗い場があるから、手と標本を洗ってから来ると良い」

「標本?」

 そう尋ねると、彼は手に握った草を指して笑った。

 エイノルは言われたとおり手と草の土を洗い流すと、手巾で拭いて図書館に戻った。

「ありがとう。僕はリーデル。ここの司書だよ。その植物に興味があるなら、着いておいでよ」

 そういうと、手招きしてエイノルを促した。

「貴方は植物に興味があるのですか?」

「いえ、ちょっと変な縁があって、どんな草か知りたかったんです」

「ははは、縁か。確かにね。見たところ魔導学院の生徒さんでしょう?」

 エイノルは頷いた。

「馴染みのある植物でしょうね」

 そう言って笑いながら、リーデルは植物学の書棚の前に行くと、一冊の本を取り出して手渡してくれた。

 薬草図鑑とあった。

 エイノルは受け取ると、近場のテーブルに図鑑を置いて、調べ始めた。

「ではごゆっくり」

 リーデルはその場を去った。

 エイノルは本を開くと、前書きや目次を飛ばして、最初の植物のページを開いた。

 なんとそこに手にした植物の絵が描かれていた。

 アルテミシア、生命力が強くあらゆる場所で繁殖する最も基礎的で薬効の高い植物、とあった。

 回復薬の原材料である。

 なるほど、確かに馴染みのある植物だ。

 しかし薬として調合しなくてもマナが吸収できるものなのか、不思議な現象だった。

 図鑑を棚に戻すと、図書館を後にした。

 次の日も同じようにリウィアの帰宅を見届けて、丘陵へ向かった。

 今日は試したいことがあったのだ。

 エイノルはまず上着とチュニックを脱いで、下着だけになった。

 そこに幾つも摘みとったアルテミシアの茎と葉を木綿のサラシで体に巻きつけて固定すると、再び服を着た。

 そして呼吸を維持したまま巨石に向かって火球を放ち始めた。

 いつものペースで、呼吸を保ちながら行うと、腹に巻いた草から、マナが流れてくるのが感じられた。

 これは使える。

 どの程度の効果が持続するか確認するため、火球を放ち続けた。

 不思議だ。

 消耗をほとんど感じない。

 そんなふうに観察しながら放ち続けていると、不意に声をかけられた。

「自主鍛錬とは精が出るな」

 その声に不意を突かれ、咄嗟に振り返るとリウィアの姿があった。

 おろした赤い髪が風にたなびいていた。

「リウィア様、どうしてこのような場所に?」

「畏まらなくて良い。人がおらん時はな」

 左胸に右の掌を当てて礼の姿勢をとると、リウィアが制した。

「昨日からおかしな行動をしているから、尾けてきた。ずいぶん殊勝だな」

「いえ、まぁ、これは実験みたいなもので」

 頭を掻きながらそう答えた。

「先ほども何やら服を脱いで妙なことをしていたな」

「見ておられたんですか、人が悪い...」

「前にマナが戻るとか言っていたやつか」

「はい」

「で、どういうことなのだ?」

「口外しないとお約束頂ければ、ご覧にいれますが」

「家の名にかけて約束しよう」

 エイノルは頷くと、肌寒い風が吹く中、上着とチュニックを抜いだ。

 リウィアは眉を顰めた。

 腹に巻いたサラシを外していくと、真白な砂粒が風に流されて消えた。

 その僅かな輝きを、リウィアは見逃さなかった。

 はっと目を見開いてその光を追った。

「今の光は何だ?」

 エイノルは笑みを浮かべながら晒しを雑に纏めると、手に握り、空いた手で一握りの草を掴んで千切った。

「見ていてください」

 エイノルはただ草を握り、そこに立っているだけだった。

 何も特別なことはしていないのだが、風に揺れる茎や葉が、先端から少しずつ縮んでいくように見えた。

 そして先ほど見たほんの小さな輝きが、風と共に消えた。

 暫く経つと、手に握られていた草は魔法のように消えた。

 エイノルが掌を開くと、細かい白い砂がやはり風に流されて消えた。

「どういうことだ? 何が起きている?」

「私にも分からないのですよ。先日の訓練中に疲れ果てて地に伏していた時に気づいたんです」

 リウィアはただエイノルの言葉を聞いていた。

「この草はアルテミシアと言って、回復薬などの原材料です。通常は擦り潰して蒸留水に溶かし、濾紙で濾して薬にします。それが訓練後に飲んでいるものです。ですがどうやら、見ての通り葉から直接マナが吸収できるのですよ。吸収すると、真白な砂になって消えてしまいますが」

 リウィアが口を挟まないのでさらに続けた。

「今日は体にアルテミシアを付けたまま訓練と同じことをした時にどんな効果が得られるか試していました」

「効果はあったのか?」

 自信を持って頷いた。

「いつもより消耗しにくくなりました」

 それを聞くとリウィアは屈んで草を摘んで握った。

 何も変化は無い。

「呼吸が重要なようです。腹でゆっくり吸い、吐いて下さい」

 改めて呼吸の仕方について言われると、なかなか難しいのだろう。

 困惑している様子が見てとれた。

「腹で吸うというのがよく分からんが、私にはできないようだ。しかしお前はできる。何かあるのだろうな」

 考えを巡らせているのだろう。

 彼女は時折そういう目をする。

「お前のその能力、まだ世に知られていないものかも知れん。草からマナが吸えるのだから、やもすれば人から奪うこともできるかも知れん。下手に聞いて回ると研究対象にでもされかねん。お前はこの件私以外に話すことを禁ずる。良いか?」

「承知しました」

「私は家の治癒師に尋ねてみる。今日は帰るぞ。それから、訓練でこれを使うのは許さん」

 そういうと丘を降り始めたので、仕方なく服を拾い、後を追った。

 風は冷たさを一段と増して、皮膚を斬りつけるようだった。

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