3. 盗人の言い訳

 魔導の基礎訓練にも慣れ始めた頃、体術訓練が始まった。

 新年を迎えて、冬季休暇が明けた後のことだ。

 休暇は十三の月の第四週から、一の月の最初の週までだ。

 休暇といっても、家には誰もいないし、母の墓参りを済ませると、寮に戻った。

 その間、例の研究を進めた。

 植物を変えてみたりして試したが、同じ現象が起きた。

 種類によって様々で、効果が高いのはアルテミシアだった。

 試しに毒草を使ってみようと、西の林に入って探した。

 リーデルに薦められた薬草図鑑の注意書きに、誤って使用しないよう注意書きがあったのだ。

 それがアコニチウムという植物だった。

 アルテミシアとよく似た姿をしているが、こちらは毒を持つ。

 湿地を好むようで、林の奥の沼地に向い、目当ての植物を探した。

 それらしきものは見つかったが、枯れてしまっていて、使えそうになかった。

 標本として持ち帰ろうとした時、声を掛けられた。

「それはやめておいた方が良い」

 驚いて振り返ると、男が一人立っていた。

「分かっていてそれを手にするなら、私は君を止めなくてはならん。何故その草が必要なのか?」

 エイノルは言葉を探した。

 動揺を嗅ぎ取ったのかさらに男は続けた。

「やはりそれがどんな植物か、理解しているようだね。それはアコニチウム、猛毒を持つ植物だ」

「はい、薬草図鑑にアルテミシアに姿のよく似た毒草と書かれていて、興味があったので採取に来ました」

「君は薬草に興味があるのか?」

「はい」

「学生か?」

「魔導学院の初等部です」

「ほぅ、あそこの学生が薬草にね。なかなか面白い。ただどんな目的か知らないが、それは触れない方が良い。きちんとした処理方法を学んだ者でも危険な植物だ」

「分かりました」

「私は王立大学の植物学教室で教鞭をとってるクロビスという」

 そう言って手を差し出した。

「私はエイノルと言います」

 そう言って彼の手を取った。

「君たちが訓練後に使う薬は私たちの教室で作っているんだよ。効果のほどが聞けたら嬉しいね」

「それは感謝します。毎週立っていられないほど衰弱しますから助かっています」

 クロビスは驚いてエイノルを見た。

「あそこの実技訓練は半端じゃないと聞いていたが、そこまでとは思わなかったよ。回復薬や魔導による治癒というのは、回復の助けにしかならないんだ。人の体を治すのはやはり自身の体だからね、しっかり栄養をとって休むことだ。薬を作ってる人間がこんなことを言うのもおかしなもんだが、薬に過剰な期待は持っちゃだめだよ」

「分かりました。回復薬以外にマナを戻す方法はあるんですか?」

 この質問は何か切迫した理由があるのだろうと思い、クロビスは真摯に向き合うことにした。

「マナを急速に回復する薬というのはなくはないんだよ。実はアルテミシアの精油を使う方法でね」

 少年が真剣に聞いているようなのでつい仕事の顔が出てきたらしく、足を止めて長話を始めてしまった。

 エイノルは嫌がる様子もなく耳を傾けていた。

「その後蒸留して精油をとるんだが、葉一枚から取れる量がごく僅かなのでね、大量に必要になるのが難点なんだ。そのためとても高価なんだよ。私の研究室にあるから見にくるかい?」

 エイノルは是非にと答えた。

 王立魔導学院はデプレスの北の外れにあり、その南に王立図書館と王立大学の敷地が隣接していた。

 首都の北側は学園都市になっていたのだ。

 街の北側は土地が荒れていて、用途があまりなかったため、元は練兵場だったのだ。

 魔導学院設立の折に、施設拡大も兼ねて大学と図書館が移設されたのだ。

 その大学の敷地の一角にクロビスの研究室があった。

 彼の研究室は薬学研究棟の一角にあり、一つの部屋があてがわれていた。

 中には様々な植物が棚に納められ、そこから抽出した薬効成分が、小さな瓶に収められて整然と並べられていた。

 これだよと言って棚から取り出した小さな小瓶をクロビスは差し出した。

「開けても良いですか?」

 そう尋ねると、クロビスは頷いた。

 エイノルは装飾のついた小さな小瓶の蓋を開けると、手で扇いで香りを確かめた。

 強い香りがした。

 よく巨石の丘陵で嗅いだ香りだが、ずっと濃厚で力強いものだった。

「手の甲に少し垂らしてみると良い」

 クロビスが勧めるまま、エイノルは一滴の精油を垂らした。

 すると強烈な香りと共に、皮膚からマナが染み渡ってゆくのがわかった。

 草から直接マナを吸収した時とよく似た感覚だった。

「どうだい?」

「素晴らしいです。葉から直接取れたらどんなに便利でしょうね」

「そうだね。常人にはできそうにないが、出来る人もいたらしいよ」

 その言葉に驚きを隠せず、クロビスに迫った。

「本当ですか?」

 少年のあまりの反応に驚き、圧倒されながらクロビスは答えた。

「実はある記録で、植物から直接薬効を引き出して、使っていた人がいたそうだよ。それどころか、彼はマナをあらゆるところから貰い受けることができるって説いたそうだ」

「それは誰ですか? その本をぜひ読んでみたいんです」

 あまりの反応にクロビスは驚きながら答えた。

 でも嫌な反応ではなかった。

 探究心の強さに驚きはすれど、とても好意的に感じた。

「魔導大戦を治めた賢人だよ。その一部始終を隣で見た天文学者イデアの記した本があったんだ」

「あった?」

「そう。今はもうなくなってしまった。彼の偉業を著した著作は幾つもあったのだけれど、イデアという天文学者が記したものだけはどういうわけか現存していないんだよ。過去に見た者の話によると、事細かに記述されていたそうで、あらゆるものからマナを得るための訓練法も書かれていたそうだよ」

 少年の顔から熱が失われて行くのを感じられた。

「そうですか、なくなってしまったのですか」

 クロビスは少年の顔を見て、落胆させてしまったことを悔いた。

「良かったらその小瓶、君にあげよう。有効に活用してくれ」

「良いんですか? こんな貴重なものを」

「良いさ。まだあるからね。それに君のように価値を理解して使ってくれる人なら、その小瓶も喜ぶだろうさ」

「ありがとうございます。とても嬉しいです。大切に使います」

「あぁ、またいつでも来ると良い」

 そう言って少年を見送ろうとした時、ふと思いついた。

「あ、そうだ、もしよかったらこれも持って行くと良い。調香師に頼まれて作ったロゼリス(薔薇)の精油だ。思い人にあげてごらんよ。効果はまた今度教えてくれよ」

 そう言ってニヤリと笑い、親指ほどの小さな小瓶を差し出した。

 少年は礼を述べて立ち去った。

 熱心な学生を後押ししたくなるのは教師の性だなとふと思い、頭を掻いた。

 そして自分の教室に彼のような生徒がいないことが少し残念に思えた。

 エイノルは帰り道に、ロゼリスの精油を試してみた。

 蓋を開けて扇いでみると、何とも芳醇な香りで心が和らいだ。

 制服の胸ポケットに入れる手巾に染み込ませておくことにした。


 体術訓練は過酷だった。

 この訓練だけは二学級合同で行われた。

 貴族の子息令嬢はこの課程を受けないことが通例のため、一学級では数が足らないのだ。

 さすがに男子と女子をペアにして格闘訓練をさせるわけにもいかないので、ある程度の人数が必要だった。

 最初に行われたのは無手での格闘術である。

 拳や足をいかにして相手に当てるか、あるいはそれを回避して相手の動きを封じながら意識を刈り取るか、そういう訓練だった。

 学生は屋内の格闘場に集められた。

 エイノルも訓練用の着衣に着替えて格闘場に入った時、何やら騒がしく人が集まっているのが見えた。

「リウィア嬢、あなたはこの課程は受けないと聞いておりましたが?」

 担当教官の男が驚きを隠せず冷や汗をかきながら説得していた。

 どうやら主人は格闘訓練に参加するつもりのようだ。

 あの一件以来、妙に積極的に関わってくるようになったのだ。

 以前巨岩の丘陵でエイノルと話した日の明くる日、リウィアは彼女の家で契約している治癒師にエイノルの不思議な力について尋ねた。

 するとその治癒師は、魔導大戦の折に現れた男がそのような方法を知っていたと答えたらしいのだ。

 その治癒師は齢八七を数え、イデアという女の天文学者が記した著書を読んだことがあると言った。

 その女と治癒師の祖母には縁があって、直接話をしたことがあったというのだ。

 彼女は祖母と、イデアの著書の両方から、帝国の賢人の力について聞き及んでいた。

 ただ誠に残念なことに、その修練方法までは覚えておらず、イデアの著書も失われたというのだ。

 座学の合間に思い出したようにリウィアが教えてくれた。

 その話を聞いて以来どういうわけか、頻繁にエイノルに会いに来るようになったのだ。

 興味を持たれたらしいが、こんなところまで来るとは、少々驚きだった。

「あなたの身に何かあっては…」

 狼狽する教官を尻目に、聞き入れる気のない主人は、こちらを指さしてあの者が私の相手でよいと、名指しでエイノルを指名した。

 従者なのだから当然だが。

「万一怪我などしても、あなたに苦情を言うようなことは決してないから、安心して進めてください」

 その言葉を聞いて幾分責任感が薄まったのか、渋々受け入れた。

 男の名はグライアスといって、軍の歩兵部隊から訓練教官の職に就いた。

 かつては前線を駆け巡った猛者だったと聞く。

「お前にも忠告しておくが、手心を加えようなどと思うなよ」

 背筋が凍るような眼差しだったが、手を抜いたと思われぬ程度にやることにしようと思った。

 しかし、それがとんでもない間違いだということに、後に気づくことになった。

 基礎的な動きや術理の手ほどきを受けた後に、教官のグライアスと模擬戦を行うこととなり、それにリウィアが志願したのだ。

 グライアスは最初は困った表情を浮かべながら相手をしていたが、しばらくするとそんな表情はどこかに消え、真剣な顔を見せた。

 初老の男とは言え、かつては戦場を駆けた男が、十四の少女相手に本気になっていた。

 リウィアの動きは素早く的確だった。

 受けと攻めが同時に繰り出される不思議な体術だった。

 突き技に対しては体を躱して流しながら利き足の膝に蹴りを入れて崩し、肘を極めながら固めに動くなど、動きに無駄も隙もないのだ。

「ここまでです!!」

 グライアスはたまらず止めた。

 学生もこの模擬戦のレベルが高すぎることを、見ながらに理解した。

 そしてこの女と組まなければならない残念な男に同情の視線を送った。

 同じく従者として学院に入学した知人も、無言で肩を叩いて自分の相手と組み手を始めた。

 目の前にリウィアが立っていた。

 まだ息が荒い。

 眼だけはしっかりとこちらを見ていた。

「少し、休息をとりますか?」

「いらぬ、始めるぞ」

 限界突破訓練に次いで、新たな地獄が始まったのである。

 そんな地獄の実技訓練の最中、エイノルはある日課を始めた。

 イデアの著書を探すことであった。


 イデアの著書はどういう理由かは定かではないが、失われたようだ。

 図書館の歴史の書棚には、賢人の偉業を記した書物が数知れず収まっていたが、植物学者のクロビスが言った通り、イデアと言う天文学者が記したとされる著作は一般の書庫には見つけられなかった。

 もしかすると閲覧制限のある書物が集められた禁書保管庫なら見つかるかも知れないと思い、そこに至る方法を探した。

 禁書保管庫の場所はすぐに分かった。

 リーデル先生に一般書庫で見当たらない特殊な薬剤の製造法について記された本がないか尋ねてみたのだ。

「調剤については専門外だから分からないけれど、一般書庫になければ恐らく閲覧制限のある保管庫にあるんじゃないかな」

「それはどうすれば読めますか?」

「大学の教員に許可を得て司書に申請書を出せば持ってきてくれるよ」

「そんな保管庫があるんですか。ここでは見たことがありませんけど?」

「そりゃそうだよ。地下にあるからね」

 そう言って壁際の貸出窓口の奥にある扉を指差した。

 なるほど、地下があったのか。

 恐らく扉には鍵が掛けられているだろう。

 どうやってそこを突破するか、あるいは別の方法があるのか、調べる必要があった。

 エイノルは図書館の外をくまなく歩いて、地下の痕跡を探した。

 空気の取り入れ口や、雨水の排水路などがあるはずなのだ。

 この都市は設計段階から地下構造を持ち、下水道が完備されていた。

 特に地下の保管庫ともなれば、地上から漏れる雨水によって書物が損壊されるのを防いだはずだ。

 だから水や空気の処理については厳重な対策がされているに違いなく、そこに侵入の糸口があると考えたのだ。

 残念ながら通風口の類は見当たらなかった。

 そもそもこの辺りは丘陵の裾にあって、都市中心部の下水道よりも高い場所に存在している。

 排水については移設の段階で別の機構が施された可能性もあった。

 エイノルは図書館の南側を流れる川に着目して、そこに排水路がないか調べることにした。

 それに先立ってリウィアに講義が終わった後、私用のために暇を貰いたいと願い出た。

 すると彼女は目を細めて言った。

「ほぅ、私用か。好きにすると良い」

 と言って不敵な笑みを浮かべていた。

 引っ掛かるものはあったが、講義が終わると例の川に向かった。

 よくよく調べてみると、この川は自然の川ではなく、用水路といった方が正しいようだ。

 川岸は石が積まれていて、岸の崩落が抑えられており、更にそこには植樹されて保水力が高められていた。

 岸に沿って歩くと、北側に続いていそうな横穴があった。

 そこは水が流れた痕跡があり、石で補強された壁と天井があった。

 その石壁に沿って進むと、人一人が歩けるほどの通路と、大きな溝があり、溝には水が残っていた。

 排水路だろう。

 エイノルは通路を遡った。

 既に光はなく、術で灯を灯した。

 ある程度進むと、これ以上は進むなと言わんばかりに、鋼鉄の格子が埋め込まれていた。

 それは排水溝にも及んでいて、残念ながらこの先に進むのは断念する他なかった。

 となると、道は貸出窓口の扉しかない。

 エイノルはそこに張り込んで調べることにした。

 貸出窓口のそばには、閲覧用のテーブルがあった。

 椅子は四脚のみで、どういうわけか、いつも満席だった。

 観察していると、大学の学生らしき者たちが、閲覧申請を出してはそれを紙に書き写し、何やら懸命に書類作業を行っていた。

 窓口の係員に尋ねると、課題の論文作成で必死なのよと教えてくれた。

 学者の道も険しいのだろう。

 皆一様に目の下にクマがあった。

 彼らの将来を妨害するのも気が引けたため、少し離れた場所から観察した。

 申請書を受け取ると、係の者は地下に入る扉を開けて中に消えて行ってはまた現れて、頻繁に出入りしていた。

 係員は必ず窓口に二人いて、どちらかが地下にいても対応できるようになっていた。

 そして見る限り、係員がいる間はその扉は施錠されない。

 では、鍵さえ何とかできれば、地下に到達できるのだが、その方法が思いつかなかった。

 エイノルは寮の自室で、扉の鍵を調べてみた。

 扉を開けては閉め、鍵をかけて隙間から覗いてみたりして観察した。

 たまたま隣室の学生が出てきて、エイノルの作業を見ると、訝しむような顔でエイノルを見てそそくさと去った。

 そんな折、聞き慣れた声がして、声の主を見上げると、リウィアがいた。

「何をやってる?」

 エイノルは素直に答えた。

「鍵を開けたいわけか。掛からなくしたら良かろう」

 意味が分からなかった。

 すると彼女は外に出て、少しすると戻ってきた。

 そして関貫の溝に何か埋め込んで、扉を閉めて鍵をかけろと言った。

 いう通りにすると、彼女は小さなナイフを取り出して、扉の隙間に差し込むと、力任せにあおって扉を開けてしまった。

 エイノルはリウィアの顔を見つめた。

 ただのお嬢様ではないとは思っていたが、ここ迄とは思わなかった。

「何故こんなことをご存じなのですか?」

 そう尋ねると視線を逸らした。

「昔色々あってな」

 とだけ答えた。

「盗みにでも入るのか?」

 そう聞かれたので、そんなところですと答えた。

「成果は教えろ。捕まっても私の名は出すなよ」

 と言われた。

 何とも捉えどころのないお嬢様で、妙に惹かれた。

 案外当たりだったのかも知れないな、と思った。

 閉館後の図書館への侵入方法は簡単に思いついた。

 閉館前に中で潜むのだ。

 エイノルは閉館直前に人気のない場所を選んで通り、棚の陰から貸出窓口を見守った。

 来館者の姿が見えなくなると、受付の係員は館内の見回りに出かけた。

 その時窓口は無人となり、もしかしたら侵入できるかも知れないと、四つん這いになって窓口に侵入して、扉に手をかけた時、声をかけられて思わずのけ反った。

「何をしているんですか?」

 恐る恐る声の主を見上げると、リーデルがさん立っていた。

「え…、とですね、実は小銭を落としてしまって探していたんです」

「ほぅ、で、見つかりましたか?」

「どうも扉の隙間に入ったようで…」

 リーデルは扉を開けて言った。

「見当たりませんね」

「そうですか、諦めて帰ります」

 そう告げて逃げようと試みた。

 しかし見透かされていたらしかった。

「地下に行きたかったのでしょう?」

 ドキッとして歩みを止め、振り返ると、リーデルさんが人の悪い笑みを浮かべていた。

「行かせてくれますか?」

「ダメに決まってます」

「ですよね」

「ちゃんと手続きすれば見られるのに、何故しないんですか?」

 呆れと怒りが混じった口調だった。

「あるかどうか分からないし、誰に許可を得たら良いか分からなかったからです」

「どんな本ですか?」

「イデアが記した賢人についての著書です。本の名も分かりません」

 リーデルさんはしばし押し黙った。

「なるほど、その本ですか。残念ながら、それは地下にもありませんよ。僕も探しましたからね」

 驚いてリーデルさんの顔を見た。

「僕もその本を読みたくて、この仕事を始めたんです。当然地下も調べました。でも見つかりませんでした。だからもう帰りなさい。このことは黙っておきますから」

 そう言われ、この日は諦めて図書館を後にした。

 リーデルさんも探していたとは驚きだった。

 しかしおかしな話だ。

 見たことのある人が実在するのに、その本が何処にもないのだ。

 何か不都合な記述があるのだろうか。

 意図的に隠されているとしか思えなかった。

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