7. 復讐の序曲

 その部屋は無駄な装飾と大きな窓が幾つも並べられていた。

 天井にも窓があって、色ガラスを使った幾何学模様で装飾されていた。

 日中はその窓の色や模様が床に映し出されて、荘厳な雰囲気を醸し出しただろう。

 エステルには縁のない装飾だった。

 昨日起きた寮の全焼について話が聞きたいと言われて来たのだ。

 最初はマーサの死を悼むようなことを言っていたが、本題がそれではないのは明白だった。

「実はあそこで五人の当学院の生徒が、意識を失って倒れていたのだが、何か知っていることはないか?」

 学院長のポラリスと名乗っていた。

「ありません」

「そうか…、その者たちと君が何か話をしていたと言う者がいたのだが、心当たりはないか?」

「彼らが私が飼っていた鳥を丸焼きにして、亡骸を投げて寄越しましたが、それだけです」

 ポラリスは黙った。

「君は彼らに何かしなかったのかな? その、鳥を殺されたのだろう?」

 別の男が口を開いた。

「はい何も。彼らは何か怪我をしているのですか?」

「いや、怪我は全くないが、意識が戻っていない」

「いずれは、戻るのでは?」

 教員たちは大人しかったエステルがこれほど堂々と話す姿に呆気に取られていた。

 語り口調はいつもと変わらないのだが、まるで別人に見えた。

「そうか、ありがとう。もし何か気づいたことがあれば、いつでも教えてくれ」

「分かりました。回復を祈っています」

 行って良いと言われたので、軽く頭を下げて部屋を出た。

 院長室になど来たことはなかったが、その道すがら、考えを巡らせた。

 あの場で宣戦布告しても良かったが、それでは面白くない。

 大切なものを奪った連中には、その程度のことで終わらせる気は全くなかった。

 より大きな絵を描こうと決めた。

 幸い学院の講義で聞いた通り、フィルモア帝国は目下他国への侵攻に沸いている最中だ。

 そんなに無駄にマナを使いたければ、もっと盛大にやると良いだろう。

 その策を練るには、今の立場をもっと利用した方が都合が良かった。

 ここは魔導士部隊の養成所だ。

 この国の軍略について調べるには最適な場所なのだ。


 エステルは軍に関連する講義に積極的に出るようになった。

 出席するだけでなく、質問を投げかけるようになった。

 寮の全焼以来人が変わったようで、あいつも遂に軍に入るのか、見えないのにやれるのか、アイツがいれば楽できそうだな、など陰口が増えた。

 全て耳に入っていた。

 残念ながら君たちが行くところは、楽なんてできないし、させてやるつもりはないと思っていた。

 講義では軍の士官も教鞭をとっていたから、講義の後に尋ねたりした。

 エステルのことは講師なら誰でも知っていたし、軍関係者は彼を欲しがっていたから、少し入隊を考えている素振りさえ出してやれば機密情報まで漏らす者もいた。

 現状では従来の国境警備に加えて、その後方に号令があればいつでも動ける部隊が十万の規模で配置されているらしい。

 これだけの規模になるとそれを食べさせる輜重隊も、連絡を担う情報部隊も逼迫しているようだ。

 特に情報部隊は、諜報部隊の情報まで扱っていたから、各国の政治状況や経済状況についても逐一馬を走らせており、既に人手が足らない状況だった。

 他国宮廷内の情報ともなると、戦時体制下では情報を知る人間の身辺調査も厳しくなるので、入手に至るまでの時間が伸びる傾向にある。

 せっかく現地で信頼が得られた間者を無駄に殺すわけにはいかない。

 盤上を混乱させて泥沼化させるなら、まずはこの二つを切ってしまえば良いだろう。

 だが問題は他国の戦力だ。

 フィルモアは魔導士の大量生産に余念がない。

 十万の内推定三割が魔導士部隊だ。

 残りは彼らの防衛と、少数の特殊機動部隊だろう。

 特殊機動部隊とは、特殊魔導騎兵とこれを護衛する騎兵からなる戦術部隊だ。

 数は多くないが破壊力は絶大な部隊であり、戦局を変えられる部隊だと言える。

 簡単に言えば、攻城用投石器が高速で自由に移動できるようになった部隊である。

 前線を崩すなど造作もなかった。

 他国にはこれに対抗する機能がない。

 各国も魔導士の確保に乗り出したようだが、選考や評価基準も定まっていなければ育成法も確立していないのだから、突然作ることなどできはしない。

 それゆえにフィルモア王国は周辺国を統合して帝国たり得たのだ。

 他国にフィルモアに太刀打ちできる何かが必要だった。

 だが、エステルにはもう目星がついていた。

 まずはそこからだった。


 先日哀れな学生たちから採取した玉は実に興味深い性質を持っていた。

 アニマは本来物質化するものではないため、その性状も風変わりなものだった。

 おそらくは他の者には見えていないだろう。

 この玉は個体でありながら液体のように振る舞うのだ。

 熱を加えなくとも容易に変形し、また分割が可能だった。

 それでいて他の物体には干渉しないのだ。

 そして最大の特徴は、マナを吸収し続ける、というものだ。

 生物の根源的な衝動が凝縮されているためなのか、ただマナを求めた。

 マナを求めてただ消費するのだ。

 なんと無価値な存在だろうか。

 これぞ正に『穀潰し』ではないかと、声をあげて笑ってしまった。

 今自分が求める全ての性質を満たしていた。

 持ち運びが便利でマナを吸い続ける物質のようなもの。

 あとは、マナを食わせずに吸い上げる仕組みさえあればよいのだ。

 これも簡単だ。

 金属で覆ってしまって、木材で放出してやればよい。

 これを何と名付けようか思案した。

「よし、アクオヴィテ(命の水)と名付けよう」

 しかし、魔導具を作ろうにも金がない。

 今後何をするにも金が必要だから、由々しき問題だった。

「ま、欲しがる人はいくらでもいるだろうから、行ってから考えよう」

 エステルは旅の支度を始めた。

 もともと自分の荷物はほとんどなかった。

 着つぶしてボロボロだになった服と、何日分かの食料を鞄に詰めた。

「さて、ここにいる理由もなくなったし、そろそろ行くとしようかな」

 エステルは学院の敷地を出ると、洋装店を探した。

 顔を隠す仮面と、頭からすっぽりかぶれるフード付きの外套が欲しかったのだ。

 一部の軍関係者には顔が知れているので、隠しておく必要があった。

 関所を通るつもりは毛頭なかったが、それでも念のため用意した。

 街ゆく人に尋ねると、洋装店はすぐに見つかった。

 店主に顔を覆う仮面で目が塞がっているものはないか尋ねた。

「目が塞がってる仮面? 祭りで付けるものならあるがあれは目が開いてるしなぁ。あぁ、あれがあったか。ちょっと待ってな」

 そう言って店主は奥に引き込むと、在庫の山から何か探しているようだった。

「あったあった」

 大きな声だ。

 店主が奥から出てきた。

「こんなのはどうだ」

 客の反応がないので戸惑ったのだろうか、頭か何処かを掻いているようだった。

「すみません触っても良いですか? 僕目が見えないのです」

「あ、そうだったのか。早く言ってくれたらよかったのに。ほらこれだ」

 そう言って彼は仮面を手渡してくれた。

 鼻から額までを覆う物のようで、目は塞がっていた。

 何か刺繍がされているような手触りだった。

「これはそのぉ、なんて言うかな、変わった趣味の客がたまに、いやごく稀に買う物で、あんまり外じゃ付けないもんなんだが、目が見えないなら良いのかも知れないな。ははは…」

「ではこれを下さい。あとフードの付いた外套はありますか? あまり目立たない色が良いのですが」

「じゃこれかな。黒って言ってもわからんかもしれんが…、どうだろう」

 ぶっきらぼうな男だったが、気にはならなかった。

 変な気を回されるよりこれくらいの方が助かる。

「体には合いますか?」

「着てみるか? 着せてやるよ」

 そう言うと店主は後ろに回って外套を着せた。

 着丈も悪くなさそうだ。

「二つとも買います。おいくらですか?」

 店主は少し黙って考えている様子だった。

「にいちゃん、苦労してるんだろうな、十グレインに負けとくよ」

「ありがとうございます」

 エステルは鞄から巾着を取り出すと、十枚数えて店主に渡した。

「確かに。ありがとうな。何かあったらまた来とくれよ」

「トカラへ向かいたいのですが、どちらへ行けば良いですか?」

「トカラなら店を出て左だよ。真っ直ぐ行くと城門だから、そこを出たら道を真っ直ぐ行くといい」

 エステルは頭を下げて礼を言った。

「気をつけるんだぞ」

 エステルはフードを深く被ると、教わった通り城門へ向かった。


 エステルが寮から姿を消したことは翌日には学院上層部が知ることとなった。

 彼は常に監視されていた。

 軍は勿論だが、他国の間者も、である。

 だからエステルの行動はほとんど筒抜けであったし、彼もその事には気づいていた。

 様々な憶測が流れたが、彼らが最も危惧したのは国外逃亡だった。

 彼ほどの能力者を他国に渡すことなど決して許されなかった。

 何しろ国内最高峰の人間兵器なのだ。

 しかもここ最近の彼の行動から察するに、フィルモア帝国や周辺国の軍事状況を事細かに把握しているだろう。

 このことを軍上層部に報告すると、彼らは直ちに指示を出した。

 人相書きを作らせて、各方面の関所や駐屯地に情報を渡して、検問を行い、見つけ次第デプレスに連れてくるようにと伝えた。

 先日の家屋全焼事件は、学院生徒による放火だったという報告もあり、そのせいで彼の養母と動物二匹が黒焦げになって見つかっていた。

 恨むのも無理からぬことだった。

「全くあのバカどもは余計なことをしよって」

 ポラリスは憤慨していた。

「参謀本部からは必ず軍に入るよう説得しろと言われていたのだぞ! レグリスのような者に私物化などさせぬためにわざわざあの女を雇ったというのに、よりにもよって焼き殺すとは。馬鹿者どもは寝たきりで親元は口やかましいし。忌々しいことこの上ない!」

 怒りに任せて机の上の書類を全て床にぶちまけた。

 それでも収まらないのか、机を蹴飛ばそうとしたが、脛をぶつけたらしく、脛を抑えて踞りひーひーと泣いていた。

 大丈夫かと介抱に来た教員には靴を投げて怒鳴りつけた。

「貴様らも探してこい!」

 人の消えた院長室で彼はまだ悪態をついていた。

 いっそのことあの馬鹿者どもが焼け死んだ方が手間がかからなかったのに、と。


 学院が大騒ぎしている頃、エステルはトカラ村にいた。

 兄の安否を確かめたかったのだ。

 兄のことを聞こうと村人に声を掛けると、皆逃げていった。

 エステルが来たという知らせはすぐに伝わり、かつて家があった場所を探していると、自分を呼ぶ声があった。

「エステルか?」

 村長の声だった。

 エステルは頷いた。

「大きくなったなぁ。よく戻ったよ。今日はどうしたんだ?」

「にいちゃんを探しています」

「そうか…」

 あぁ、嫌な色が見える。

「お前の兄は死んだよ」

 聞きたくなかった。

 来なければよかった。

 家の陰からこちらを窺っている者たちがいた。

 陰でヒソヒソと話をしているようだ。

 声に聞き覚えがあった。

 覚えているものなのだな、と思った。

「父親が家に火を放ったらしい。三人とも助からなかった」

「お墓は何処ですか?」

 村長は着いてこいと言ってエステルの手を取った。

 陰から覗いていた連中も後を尾けてきた。

「ここだ」

 膝を折って手を伸ばして、兄の墓標を探した。

 小さな岩だった。

 苦しまなかっただろうか。

 熱かっただろうに、苦しかっただろうに。

 僕が癇癪を起こしたせいだ。

 人のいるところで力を使うなって教えてくれたのに。

 でも僕は辛かったんだ。

 にいちゃん、ごめんよ。

 しばらくの間、そこに踞って泣いた。

 村長はいなくなっていた。

 後ろに連中がいた。

「また虐めに来たの?」

 無言だった。

「ごめん…」

 謝ってもにいちゃんは帰ってこない。

 でも僕の役には立つ。

「そうだね、そうしよう」

 エステルはゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと息を吸い、掌を連中に向けた。

 その瞬間、腹や頭を抱えて彼らは踞り、呻めき踠いた後、やがて動かなくなった。

 エステルは兄に手を合わせ、そのまま村を去った。


 トカラ村の事件は村長から軍と領主に伝わった。

 レグリスも捜索のため部隊を出した。

 この話を聞いた学院関係者は戦慄した。

 薄々気付いてはいたが、人を一切傷つけることなく昏倒させる術があることに恐怖した。

 この症状には治癒師の術が全く効果がなかった。

 五人の生徒はもう一月余り意識が戻らないまま、衰弱して行くばかりだった。

 今後も恐らく戻らないだろう。

 そして彼を捕縛することはできないであろうことも、容易に想像できた。

 我々はとんでもないものを野に放ってしまった。

 だがどうすれば良かったというのだろうか。

 何ができたであろうか。

 彼の力の前には何もないではないかと、ポラリスは自嘲した。

 その後西へ西へと、被害報告が広がっていった。

 そのうちの一人はなんとレグリスであった。

 まるで包囲網を避ける気がないように見えた。

 ただ真っ直ぐに国境へと向かっているのだろう。

 追っても無駄だと報告書が告げていた。

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