天使の死にかけ

尾八原ジュージ

死にかけ

 たぶん、神様なんてろくなもんじゃない。神様は空の上にある神様の国で色々な仕事をしているのだそうで、だからたいそう忙しくしてらっしゃるのだとおばあちゃんは言う。とても忙しいのだからあれこれが雑になるのは致し方ないって、それはそうかもしれないけれど、だからっていらなくなった天使を空の上から地上に捨てるのはいかがなものかと思う。

 死にかけの天使は腐っているし、顔なんか火であぶった蝋人形みたいだし、かなりくさい。

 うちの庭に天使が落ちてきたときもひどかった。天使が激突した白いテーブルは母さん愛用のものだったけれど、血と腐った肉とにおいがべっとりとついて、一瞬で使い物にならなくなった。

 ぼくは犬のテンダーと一緒に、ギャアギャア言いながらテーブルを必死で拭く母さんを見ていた。ところが気が付くと天使もぼくのとなりに立って、おんなじ風に母さんとテーブルを眺めていた。ぼくが一歩後ずさると、天使は一歩前に出た。ぼくが逃げると、天使は折れた羽根を引きずりながら追いかけてきた。ぼくは庭をぐるぐる逃げ回り、天使はそれを追いかけ、テンダーはわんわん吠え、しまいに母さんが「うるさい!」と怒鳴った。

 そういうわけで、ぼくが天使の世話をすることになった――いや、「そういうわけ」って何なんだ? いまだにちっとも納得がいかない。要するに押し付けられたのだ。

 腐っていても天使は天使だから、そのへんにうっちゃっておくことができない。で、天使を連れて学校に行ったときのみんなの反応ったらなかった。

「腫物扱い」っていうのはまさにあのことだった。ふだん仲がいい友達ですら、ぼくと天使を遠巻きにした。まぁ、しかたがない。だってくさいんだから。

 そのうちあんまりくさいというので、同じ教室で授業を受けていた女の子がゲロを吐いた。それで、ぼくは否応なしに早退させられることになった。家までとぼとぼと歩く道中、天使はばっちりぼくについてきた。

「おまえのせいだぞ」

 ぼくの言葉に、天使はなにも返さなかった。蕩けた蝋人形みたいな顔をうつむけて、羽根をずりずり引きずりながら黙って歩くだけだった。

 天使が死ぬまで、ぼくは家で通信教育を受けることになった。どこにいくにも天使がくっついてくるので、二日もするとぼくは天使のにおいに慣れてしまった。その代わり、ぼくも相当くさくなっていた。父さんも母さんもおばあちゃんも、家の中でぼくと出くわすとイヤな顔をした。

 父さんは言った。「ほんの少しの辛抱だから」

 母さんは言った。「あんたたち、仲良しね」勘弁してほしかった。

 おばあちゃんは「天使がついてくるなんて、あんたは幸運よ」と言った。ぼくはちっともうれしくなかった。テンダーはぼくに寄りつかなくなった。くさいからだ。天使だけがだまってそばにいた。本当にそばにいただけだった。

 永遠にこんな日々が続くんじゃないかとそらおそろしかったが、落ちてきてから三十日後の朝、ぼくが起きると天使は死んでいた。どろどろの顔も、折れた羽根も、もうぴくりとも動かなかった。一時間待って、本当に動かないことを確認してから、ぼくはみんなを呼んだ。

 ぼくたちは庭に穴を掘って、天使を埋めた。テンダーが掘り返さないように、なるべく深く埋めなければならなかった。天使に土をかけ、その上に石を積んで、ここが天使の墓だとわかるようにした。

 いつのまにかくさい匂いは消えていた。父さんが、ここひと月ぼくを避けていたのが嘘だったみたいに、ぼくの肩を抱いた。

「さびしいだろうが、しかたのないことだ」

 そういうの、本当にやめてほしかった。天使に思い入れなんかひとつもなかった。

「ひさしぶりに外へ食事をしにいきましょうよ。もうにおいがしないから、どのお店でも文句言わせないわよ」

 母さんがそう言い、みんなはぼくをそっちのけにして、どの店に行くか話し始めた。途中でおばあちゃんがぼくを見て「あんたは幸運よ」と言った。ちっともそんな気はしなかった。

 テンダーがやってきて、ぼくの手を舐めた。落ちてきた死にかけの天使の話はこれでおしまい。別にいいことなんか一つもない。やっぱり神様なんて、ろくなもんじゃない。

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