第10話

 けほ……けほ……


 ゼェェ……ヒュぅぅ……


 ポタ……ポタ……


 間違いなく背後から聞こえる。


 僕以外誰もいないはずの病室に……



 いる……


 格子のはまった窓からは物悲しい橙色の西日が射し込んでいて、それがとても邪悪に思えた。


 感覚の無い足が震えている。


 僕は頭まで布団を被って気配が過ぎ去るのを待つことにした。


 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ

 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ


 その時だった。


 とす……


 何かが布団の上に乗るのを感じる。


 悲鳴が出た。

 

 手だけを布団から出してナースコールのスイッチを掴んだ。


 半狂乱でボタンを連打する僕に、誰かが言った。


「映ったか? ちゃぁあんと、映ったか?」


 それはKの声だった。


 一瞬「Kか?」と尋ねそうになった。


 でも僕はそれを呑み込んだ。


 Kがここに入れる訳が無い……


 少なくとも、生きているKなら……


「なあ? 映ったか? ちゃぁあんと、映ったか? お前にも、ちゃぁあんと、?」


 心の中で南無阿弥陀仏を無心で唱える。


 それでも、とす……とす……と布団の上では何かが動いていた。


「伝染ってないよな? お前、長男だもんな? 俺は長男じゃないから、いらない子だから、ちゃぁあんと伝染ったぞ? なあ? 何でだ? 何でお前は長男なんだ? 何で長男は穴に入んないんだ?」


 とす……とす……


 何かはついに、僕の顔のすぐ横にやって来た。


 形からして、それが手だとわかって、僕は必死に身を捩ってソレから遠ざかろうとした。


 その時だった。


 ぐん……


 感覚の無い足を、何か引っ張った。


 僕が足もとに目をやると……







 布団の中にKがいた。



「わぁぁぁぁあああああああ……!!!!!」


 叫びながら布団から出ようと藻掻く。


 剥ぎ取った布団と一緒に、何かがごろん……と床に落ちた。


「きゃはははははははははははは……!!!!!」


 それは小さな子どもだった。


 初めから、Kは布団の中にいて、布団の上には子どもがいたんだな……


 僕は呆けながらそんなことを考えた。



 だって、床には、その子以外にも、床を埋め尽くすほどの子ども達が這い回っていたから。


 膿の臭いがする。


 血と糞尿の臭いもする。


 僕は思わず嘔吐した。


 吐瀉物の中にも、小さな子どもが蠢いていた。


 おぎゃあ……おぎゃあ……


 僕はとうとう気が狂ったらしい。


 それでも右手はナースコールを連打し続けていた。


「どうなさいましたか?」


 突然ナースコールに反応があった。


「た、助けて下さぁぁぁい……」


 何とかそれだけ伝えると、ブチ……と音がしてナースコールが切れてしまった。


「お前も伝染ってさ、仲間になればさ、バズんじゃないかな?」


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 僕は涙と鼻水を垂らしながら謝罪した。


 Kは出来物だらけの顔に満面の笑みを浮かべながら、そんな僕に這い寄ってくる。


「バズったら、腹いっぱい飯食えるかな……? 人糞とかさ、虫じゃなくて、白い飯、腹いっぱい食えるかな?」


 いつの間にか、僕の身体は子ども達に押さえつけられていた。


 何人かが僕の口と鼻の穴に指を入れて、僕の口を開こうとする。


「んぅぅう……ぐっんんんん……!!!!」


 僕は何とか抵抗しようとした。


 でも子ども達は、子どもとは思えない力で口をこじ開けようとする。


 唇や鼻から血が出ている。


 痛みに耐えかねて、僕はとうとう口を開けてしまった。


 そこに、Kが入ってきた。


 激しくづいた。空っぽの胃を痙攣させて、激しく身体がKを拒絶した。


 それでも構わずに、Kはボキボキと自分の骨を砕きながら、僕の身体に侵入した。


 涙と鼻水が止まらない。


 嫌悪感が脊髄を駆け回る。


 その時、突然ドアが開いて、ナースの女の人が部屋に入ってきた。


 なぜかナースの女の人は、厳重にマスクと防護服を身に着けていた。


「どうしまた……!? 大丈夫ですか……!?」


 それと同時にKも子どもも姿を消した。


「Kが……Kが来たんです……!! 子どもの幽霊をいっぱい連れて、Kが……!! ここから出して下さい……!! お祓いに行かせて下さい……!!」


 僕が懇願すると、ナースの女の人は気の毒そうに僕を見つめて、静かに言った。


「後で先生からもお話があると思いますが、検査の結果が出ました。陽性でした……これから天然痘の治療に移ります。二回続けて陰性が出るまでは退院出来ません……何かあったらナースコールで呼んで下さい」


 それだけ言って、女の人は出て行った。


 陽性……?


 それよりも、ここから出られない……?




「ちゃぁあんと、伝染ったか?」



 腹の奥から、Kの声がした。


 僕はもう、逃げられない。


 あの言葉の通りだ。





『んぁ…ま…に…移つる移る』









『逃がさん』



羅漢の祠 完

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羅漢の祠 深川我無 @mumusha

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