第2話 テレビ局にて

折神おりがみ


 八百人の魔術が発動し、空中に無数の式神が顕現する。

 魔力に形を与え、折ることで生物の姿を模す。

 それは小鳥の姿となって一斉に飛び立ち、八百人の五感となってテレビ局内に散る。


「それじゃ八百人の式神が行き渡るまで一階の掃除手伝いでもしとくか」

「あぁ、ちょうどそっちのカフェのほうにいるよ」

「了解。じゃ、行ってくる」


 二人と別れて、このテレビ局の一階に併設されたカフェのほうへ。

 その道中にも魔物が潜んでいないかと気を配る。

 人一人としていない静寂の中、目に付くのはドラマの巨大ポスターや、テレビ局独自のマスコットキャラクターばかり。いつもは行き交う人々を見守っているそれらも、今はどこか寂しそうに映る。

 そんなことを考えつつ音を立てないように歩き、カフェの側へ。

 そっと中の様子を窺うと、それは酷い有様だった。

 テーブルは支柱が半ばから折れ、グラスや食器の破片が散乱し、ぶちまけられた食い物に複数の魔物が集っている。

 鋭い牙と爪にふわっとした毛並み、その造形は狼に似ていた。

 幸いなのは、喰われているのが人の死体じゃないってこと。


「一気に決めるか」


 魔術を唱える。


血気紅々けっきこうこう


 魔術の発動と共に血流に魔力が混ざり、全身に行き渡ると活性化。

 身体能力が飛躍的に上がり、常人離れした脚力で地面を蹴る。

 瞬く間に魔物たちとの距離をゼロにし、反応することすら許さない。

 腰に差した刀に手を掛け、鞘から引き抜いた刃が五つの弧を描く。

 軌跡の終わりに血飛沫が舞い、斬り捨てた骸が次々に横たわった。


「準備運動にもなりゃしないな」


 刃を染めた血糊を払って刀を鞘に納めると、キッチンのほうで物音がした。

 警戒しつつそちらを覗いて見るも魔物の姿はない。

 ただ冷蔵庫の前にやたらと食べ物が食い散らかされていた。

 ということは。


「魔術師の螺重にしえです。魔物は排除しました、出てきても大丈夫ですよ」


 そう声を掛けると、両開きの冷蔵庫が開いて中から小柄な少女が顔を覗かせた。


「ほ、本当に?」

「えぇ、助けに来ました」

「よ、よかった」


 ほっと安堵の息を吐いて、彼女は完全に冷蔵庫から出る。

 触れれば折れてしまいそうなほど、彼女はとても線の細く、儚げな人だった。

 冷蔵庫の中身を出すのに精一杯で電源までは切れなかったのか、とても寒そうに自分の身を抱き締めている。


「天音」

「はいはーい」


 近くを飛んでいた小鳥が俺の声に反応して一羽、こちらに来た。


「要救助者一名だ」

「オッケー。けど、いま目も手も離せないからマーカー付けといて」

「了解。ちょっと失礼」


 彼女の手を取り、その甲に魔力で簡単な紋章を描く。


「不思議な模様」

「見えてる? へぇ、普通の人には見えないんですけどね。魔術師の素質がありますよ」

「魔術師……」

「天音」

「はいはーい。んじゃ、結界張っとくね」


 式神と視覚共有した天音がマーカーを頼りに遠隔で魔術、環界空羅かんかいくうらを発動する。

 魔力が形をなし、結界として顕現けんげん。彼女の周囲を囲み、外界からの接触を拒絶した。


「また魔物に襲われてもこいつが守ってくれます」


 ノックするように結界を小突く。


「急がなくていいのでゆっくりここから脱出してください。魔物が出ても大丈夫、直ぐに魔術師が駆けつけますから」

「わかりました。あの、ありがとう」

「どう致しまして」


 恐る恐ると言った風に彼女が一歩踏み出すと、結界もそれに合わせて自動で移動する。

 その事をたしかめた後、その足取りは力強いものになって、このダンジョンと化したテレビ局の出口へと進んでいく。

 あの子、カフェの店員って感じじゃなかったな。

 随分と面がよかったし。

 そう言えばどこかで見たことあるような? どこだっけ?


「累」


 頭上で小鳥が分裂する。

 二羽目からは八百人の声がした。


「見付けた?」

「四階にあるスタジオだ。一階と地下の魔物は僕たちで片付けておくから」

「了解」


 分裂したほうの小鳥の導きで階段へ。

 二階、三階と来たところで、ゴリラの式神が停止したエレベーターの扉をこじ開けている場面に遭遇する。閉じ込められている人たちからしたら、いきなりゴリラが現れるわけで正体が式神とわかるまで肝を冷やすだろうな。

 と、その様子を横目に見つつ四階まで一気に駆け上った。


「ここがスタジオか。お、これ見た事ある」


 昼のバラエティー番組で使われている番組セット。

 中央の馬鹿デカくタイトルのヒル生っ!! の文字が掲げられ、彩り豊かな配色で世界観が作られていた。

 いつも画面越しに見ていた光景だからか、その手前に数台のカメラがあるのが酷い違和感。芸能人や撮影スタッフの景色ってこんな感じなんだ。


「コアは……あぁ、そこか」


 見上げた先、天井に赤い目玉がギョロリと俺を見下ろしていた。

 あれを潰してしまえばそれで終わりだけど、原則として一般人の避難が終わるまでダンジョンを壊すことは許されない。

 ダンジョンの崩壊と共に逃げ遅れた一般人が、あちらの世界に行ってしまう可能性があるからだ。

 まぁ、あるとは言っても今までそんなことは一度もなかったし、その理屈なら間近でコアを壊してる俺もあっちの世界に行っちまうだろ、って話なんだが。

 決まりは決まりだ。万が一の時のために従う他にない。

 それにこれであっちの世界に行ってしまうのなら、それは一般人より魔術師であるべきだ。


「それで? 番人は――」


 いま、ダンジョンコアから涙が零れるように赤い雫が滴り落ちた。

 スタジオの床で弾けたそれは血だまりのように広がり、その中からのっそりと魔物が現れる。全身を赤い液体で満たした不定形なそれは完全に立ち上がると共に形を成す。

 見上げるほどの巨躯に牛頭。

 手には斧を持ち、腰には粗末な皮の布が巻き付けられていた。


「ミノタウロスか」


 半牛半人の魔物。

 ダンジョンコアには、それを守るための強力な番人を召喚する機能がある。

 いつもはすでに召喚された状態で待ち受けているし、なんなら次々に召喚してダンジョン内を徘徊しているものだけど、今回はコアが暢気していたみたいだ。

 野郎、俺たち魔術師の行動を学習して、どうせ壊されないだろ、とか思ってないだろうな。

 ダンジョンにそんな学習機能があるのかは知らないが。


「それじゃ次が召喚される前にちゃちゃっとやっちまうか」


 腰に差した刀を抜くと、天井の照明を受けて刃が鈍色に光る。

 それが気に入らないとばかりに、ミノタウロスは照明が震えるほどの大音量で雄叫びを上げた。


「断末魔の叫びはそれでいいのか?」


 魔術を発動。


「血気紅々」


 心臓から血中に乗せて体内を循環する魔力が活性化。それによって跳ね上がった身体能力で吹き飛ぶように前進する。

 あっと言う間に距離は詰まり、叫び声は斧が虚空を切る乱暴な音に変わった。

 筋骨隆々の肉体から生えた丸太のように太い腕から振り下ろされる一撃は、それだけで地面を割り人間など真っ二つにする威力を誇る。

 だが、ミノタウロスがいま対峙しているのは人間は人間でも魔術師だ。

 真っ直ぐに落ちた斧を、俺は空の左腕だけで受け止める。

 凄まじい衝撃が身を駆け巡るも、腕は切断されるどころか、折れも、血が滲みすらもしない。ただ衣服が割け、薄皮一枚切れただけだ。


「動脈硬化ってな」


 血気紅々は身体能力が上昇するだけの魔術じゃない。

 活性化した血中の魔力は血管を強化し、それは鋼のように硬くありながらしなやかに曲がるようになる。ミノタウロスの一撃程度ならたった薄皮一枚だ。


「次はこっちの番!」


 刀身から溢れ出す大量の血液。

 渦を巻いて逆巻くそれは、触れるものすべてをえぐり取る波となってミノタウロスを襲い、その肉体の大半を削り取る。

 致命傷を負った巨躯が膝から崩れ落ち、地に伏すまでの僅かな合間に、首筋へ刃を当てて首を跳ねた。ごとりと頭部が床に転がり、虚ろな瞳が天井を睨む。


「まずは一体、お次は?」


 睨まれたコアは怯えたようにまた涙を零し、血溜まりのような赤から再度ミノタウロスが召喚される。


「さーて、何体狩れば枯れるかな」


 一体、二体、三体。

 時には複数同時に始末を付ける。

 そうして討伐数が十を超えた所でコアの涙も枯れ果てた。

 萎んだようにブドウの皺のように、無数の亀裂が走っている。


「流石に打ち止めか。今なら小突いただけでも壊せそうだな」


 なんてことを考えていると八百人の式神の小鳥が肩に止まる。


「避難誘導おーわり。そっちも片付いてる?」

「あぁ、今し方終わったとこ。もう壊していいんだな?」

「オッケー! ホントに後続の仕事奪っちゃった」

「いいね、手柄は頂きだ」


 刀を振るうと共に舞い上がった血飛沫がダンジョンコアを穿つ。

 瞬間、ダンジョン化が解除され、一切合切の死体が掻き消えた。


「はぁー、流石に二連チャンはこたえるな」

「お疲れー。今日はハードな一日だったねぇ。手当は貰えるけど」

「金を貰っても使う暇がねーんだよなぁ、魔術師やってると」

「いつ何時死者欠員が出るかわかんないし、それに備えて待機しとかなきゃだし」

「ゲームする時間もねぇ!」

「オシャレする機会もねぇ!」

「おっと、世知辛い声が聞こえて来たね。二人とも愚痴るのはいいけど、ここだけの話にしときなよ」

「わーってるよ。まぁ、偉いさんに聞かれたところでだけどな」

「どーせ人手が足んないんだからお偉い様も強くは言えないっしょー」

「まぁね」

「帰ろう帰ろう。三回目が起こらないうちに」


 魔術師の現状にため息を吐きつつ帰路につく。

 このスタジオに幾つかある撮影カメラの内の一つが、ずっと生きていたことも知らずに。

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