第4話 ドラマロケ地
「ななななな、なんで!? なんでわざわざ魔術師に!? 女優業あんなに上手く行ってるのに!」
「切っ掛けは単純」
淡々とした口調で話ながら、彼女がちらりとこちらを見る。
「魔物から逃げて、冷蔵庫の中身を全部必死になって掻き出して、中に閉じこもってる間、私ずっとどきどきしてた。今まで十六年間生きて来て、経験したことがないくらい。本当に心臓が破裂するかと思ったし、口から出そうになった」
「なら二度と御免だってなるんじゃないのか?」
「ううん。逆。私、あのどきどきが忘れられない。もっとどきどきしたい。魔術師になればそれが叶うし、日常になるでしょ? 私、素質があるみたいだし」
「あー……」
「なになに? 素質って」
「昨日、俺がこの子の手にマーカー付けただろ? それが見えてたんだよ」
「だろ? って、あたしそんなの――あの時かあああああああ!」
そう言えば目も手も離せないって言ってたっけ。
だからこそのマーカーなんだけど。
「いや、しかし、それにしたって思い切りが良すぎだろ。昨日の今日だぞ」
「現行の仕事が片付いたら女優業は一旦休止ってことになってる。本当は引退したかったんだけど、それは勘弁してほしいって言うから」
「行動力の化身かよ」
その思い切りの良さには驚くばかりだが、しかし、そうか魔術師志望か。
これまでにも何人か、そう言った目的の人がここを訪れたことがある。
答えは当然ノー。
一般人は魔術師になれないからだ。
だが。
「……命懸けの仕事だ。顔に取り返しの付かない傷を負うことだってある」
「知ってる。だからこそなりたい、魔術師に」
遠条結衣には知名度がある。
彼女が魔術師になれば話題沸騰、俺の話題性と相まって世間の関心を集められるだろう。でも、それでも、覚悟もない半端な気持ちで魔術師になりたいと言ってたなら、この話は断るべきだと思っていた。
女優業は諦めません、掛け持ち頑張ります、なんてちゃんちゃらおかしい話だ。
でも、彼女はそうじゃない。
これまで積み上げて来たキャリアを捨ててまで魔術師になろうとしている。
覚悟は決まっていて本気らしい。
「わかった。運がいいぜ、普通は一般人から魔術師にはなれないんだが」
「そうなの? ネットではなれるって」
「デマだ、それは。昨日まではな。でも、今は違う。正規の募集にはまだ早いけど、上に掛け合ってみる」
多分、あの人は彼女が何もかをしれば二つ返事だろう。
「うわーお、マジかぁ。あの結衣ちゃんが魔術師に? 世間に知れ渡ったら大激震じゃん、こーれ」
「とりあえず、音無さんに連絡入れるか」
「――音無さんに連絡? なんの話だい?」
「あ、八百人くん」
待機所に遅れてやって来た八百人に事情を説明した。
彼女のことは八百人も知っていたようで、天音と似たような反応をする。
そうして音無さんに連絡を取ったところ。
「いいって、二つ返事。音無さんの裁量で採用だってさ」
それに付け加えて、絶対に死なせるな、とも。
元よりそのつもりだ。
「じゃあ、今から魔術師?」
「それを名乗るにはまだ早いが、まぁ魔術師ってことでいいだろ」
「やった」
「で、ついでに新しい仕事を頼まれた。近くでダンジョン化が発生したってよ」
「音無さんから直接? なんかあーやしー」
「昨日の今日だし、なにか思惑があるのかもね」
「私はどうすれば?」
「見学オッケーだ。天音の側から離れないように」
「わかった。楽しみ」
「さっすが女優、肝が据わってるー!」
下手をすれば平気で命を落とすような危険な場所に向かうにしては、随分と楽しそうな笑みを浮かべた遠条を連れて、待機所から車に乗り込み、ダンジョン化した現地へと向かう。
「魔術師の素質がある人間は体内に魔力炉を持ってる」
「私にはそれがあるから、あの不思議な模様が見えたってこと?」
「そうだ。魔術師の家系は必ず持って生まれる。一般人の場合は日本人口の二パーセントくらいだって言われてるな」
「結構、多い」
「けど、一般人は魔術師になれない。色々と事情があって、しばらくしたらそれも撤廃されるんだが、遠条は特別だ」
「もしかして私ってかなりラッキー?」
「とんでもなく」
行動力の賜って面もあるが、かなりタイミングもよかった。
「魔術はどうやって憶えるの?」
「憶えるというか、掘り起こすって感じだな」
「発掘?」
「魔力炉と魔術はセットなんだ。まだわからないだけで遠条の中にも魔術はある。それを掘り起こすのが当面の目標だな」
「なるほど、わかった。方法は?」
「手を貸してみな」
遠条の手を取り、俺の魔力を流し込む。
「この感覚、わかるか?」
「うん。なんだか温かい感じがする」
「これが魔力の感覚だ。これを忘れるな。魔力を知覚できるようになれば、それを辿って体の奥底にある魔術を掘り起こせる」
「抽象的」
「こればっかりは具体的な説明のしようがない」
ほとんど感覚的な話になる。
具体的にああすればいい、こうすればいい、がない。
魔力を知覚して、体内を巡るそれを辿ればいつかは発掘できる、としか。
大体、一ヶ月もあれば掴めるはずだけど、遠条は一般人。もうちょっと掛かるかもな。
「わかった。頑張ってみる。それと」
「ん?」
「私のことは結衣でいいよ。魔術師は短いほうの名前で呼び合うんでしょ?」
「よく知ってるな」
「昨日、ネットで調べた。緊急時に名前を呼ぶ際に一文字でも短くするためだって」
「それも形骸化して久しい慣例だけどな。天音を見ろ、八百人くんだ」
「八百人くんもあたしのこと天音ちゃんって呼ぶもん」
「僕たちは遠隔タイプだし、急を要するような状況に陥り辛いからね。名前を呼ぶにも余裕がある」
「ふーん。でも、やっぱり結衣がいい。そっちのほうが魔術師っぽくてわくわくする」
「そっちが本命の理由か」
どっちの名前で呼ぼうと不都合はないし、本人の希望に添うか。
「到着したみたいだ。だけど、随分と人が多いみたいだね」
「いつものことだろ? と、思ったけど、たしかにいつもより多いな」
「ねぇ、ここって
「ん? あぁ、そうみたいだな。よく知ってたな、結衣」
「今日、ここで事務所の同期がドラマの撮影してるってマネージャーが言ってた」
「ドラマ撮影ぃ!? ほーら、あたしの言った通りじゃん!」
「なるほど。テレビ関係の仕事だから俺たちに回ってきたのか」
ダンジョン化でドラマの撮影が滞っているところを俺たちで解消すれば、この場にいる業界人に恩が売れて印象もぐっとよくなる。
このエピソードは業界内で確実に広まるし、話題性の維持に繋がるはず。
もしかして俺のドラマ出演も視野に入ってるとか?
まさか、そこまではな。
「音無さんの思惑はどうあれ、とりあえず行こうぜ。結衣、天音から離れるなよ」
「わかってる」
「大丈夫。結衣ちゃんはあたしが守るから」
「ありがとう。頼りにしてる」
「あはー! 生きててよかったー!」
「累。身近に推しがいると人ってああなるんだね」
「だな」
車を降りて現場へと向かう。
ドラマ撮影のロケ地にも警備員はいるようで、俺たちを見ると手早く野次馬を整理してくれた。
「あ、あれ螺重累じゃね?」
「マジ? うわ、ホントだ」
「実在するんだ」
「テレビ見ました! 応援してます!」
「螺重累が来たならもう安心か?」
みんな俺を見ると声援を飛ばしてくれる。
遠巻きに物珍しい珍獣でも見るような視線を向けられていた身としては悪くない気分だ。
だが、魔術師集団の中に一人、私服で紛れている結衣は流石に目立つようで。
「え? あれって結衣ちゃんじゃ?」
「なわけ……ほんまや」
「なんで魔術師の中にいるの?」
「え? どゆこと?」
結衣が見付かり、草原の上を風が駆け抜けるように、野次馬たちに喧噪が広がっていく。
「私、ついて来ないほうがよかった?」
「いや、こうなるのも折り込み済みだろ。人の口に戸は立てられないからな、すぐにSNSで話題になる」
「結衣ちゃんの知名度利用してるみたいでなんだかなー」
「私は平気。私に利用価値があるうちに使ったほうがいい」
「大人だね、結衣ちゃんは」
「芸能人やってるだけあって肝が据わってる」
やはり一般人とは精神構造が違っていて胆力がある。
まぁ、日常的に命のやり取りをしている俺たち魔術師には流石に敵わないだろうが、それでもその領域に近いところにいるのはたしかだ。
この様子だとメンタル面の心配はしなくてもよさそうだな。
志望動機が志望動機だけに、そっち方面の心配は元より必要ないのかも知れないが。
「遠条!」
野次馬たちの層を抜けて、ようやくダンジョン化したトンネルに入れると思った矢先のこと。野次馬たちの囲いの内側にいた撮影スタッフや出演者の中の一人が結衣の名前を叫ぶ。
「いったいどう言うつもりよ! いきなり休止するなんて!」
俺たち魔術師をものともせず、押し退けるようにずいと結衣の前に立つ。
流石は出演者とあって面がいい、大人びた雰囲気がある。背丈は結衣よりもすこし高く肉付きがいい。いや、そう見えるのは結衣の線が細すぎるからか。ともかく、彼女は結衣と同年代の女優だった。
さっき芸能事務所の同期が一人現地にいると言っていたけど、彼女のことか。
「逃げるの!? この私から!」
「ごめん。今は話している暇はない」
「な、なんですって!?」
「訳あって私は魔術師になることにしたの。それじゃあ」
「はぁ!? ちょっと!」
淡白に、淡々と、結衣はそう説明して会話を切り上げる。
冷たい対応のように映るが、実際会話をしていられるほど時間の余裕はない。
事前の報告ではトンネル内に取り残された人はいないとのことだったが、悠長にしているとそのうちダンジョン化したトンネルから魔物が飛び出てくる。
緊急事態であることは相手の子もわかっているんだろう。
納得がいかないと言った顔をしつつも、腕組みをしてじっと結衣の背中を睨み付けていた。
その様子を横目にしながら歩きつつ。
「なぁ、さっきのどちら様?」
結衣に聞こえないように天音に聞いて見る。
「
「へぇ。それで」
競争相手がいきなりドロップアウトして魔術師に転身なんて知ったらそりゃ怒るか。
結衣はあの慈雲って子のことをどう思ってるんだか。
女優として積み上げて来たキャリアも、それまでの関わりも、すべて捨ててこちらの世界に、魔術師になることを選んだ。
こうして改めて考えてみると、結衣の覚悟は俺が思うよりずっと硬いものなのかも知れない。
「いいのか? 結衣」
「うん。後でちゃんと説明するから」
「ならいい。魔術師関連で説明が必要なら言ってくれ」
「うん。ありがと」
小さく微笑んで見せた結衣の視線が間近に迫ったトンネルに向かう。
内部の照明は
「ダンジョン化したのがトンネルでよかったかもね」
「あぁ、一本道で構造がシンプルだからな。初めての見学には持って来いだ。新人の前だからって張り切って下手打つなよ、八百人」
「そっくりそのまま返して上げるよ、累」
軽く笑い合ってダンジョン化したトンネルに足を踏み入れる。
早くドラマの撮影と、結衣の慈雲の話し合いが再開できるように、ぱぱっと終わらせちまおう。
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