第7話 トレーニングルーム

 陰陽魔術連支部にある待機所の隣りはトレーニングルームが設けられている。

 魔術師たちが最も足を運ぶ場所。

 床はなく土の地面が広がり、壁には魔術による補強がなされていて容易には壊れない。

 その只中に立つ結衣の隣りには、魔術人形が佇んでいる。

 その姿は初めて出現した時とは違い、黒い装束から黒いドレスへと替わっていた。


「行くよ」

「どんと来い」


 十指から伸びる魔力の糸が魔術人形を支配する。

 音を立てて起動したそれは、軽やかなステップを刻んでくるりと舞う。

 ドレスの裾がふわりと広がり、球体関節の五指が虚空を引き裂いて唸る。

 最初の頃と比べて、随分と攻撃が鋭くなった。


「けど、まだまだ」


 五指の軌道を見切って軽く躱し、次に繰り出される突きも難なく回避。

 放たれる攻撃のすべてを回避していると、痺れを切らしたように動作が大振りになる。

 そこに生じた隙に乗じる形で地面を蹴って跳躍、人形の肩を足場にその背後へ。

 結衣の前に降り立つ。


「あ」

「はい、おしまい」

「いたい」


 その額に軽くチョップを食らわせた。


「やっぱ近距離でも遠距離でもこうされると辛いな、操作型は」

「むぅ……」

「どうした?」

「私、この二週間真剣に考えてみたんだけど」

「あぁ」

「この魔術あんまり好きじゃない」


 魔力の糸が切れて、魔術人形も掻き消える。


「好きじゃないとは?」

「戦っているのは常に人形のほうで私じゃない。これじゃどきどきできない。どきどきした時には私死んでる」

「まぁ、接近を許したら終わるからな。現状」


 そうならないように操作型の魔術を使う魔術師は対抗策を必ず持っているもんだけど。

 八百人も持ってる。


「累みたいに自分で戦えるような魔術がよかった。身に迫る白刃を紙一重で躱すような、そんな戦い方がしたかった」

「んー……」


 すこし思案する。


「どうかしたの?」

「まだ早いと思ったけど」


 結衣が初めて魔術を発掘してから今日で二週間。

 正直、この期間での伸び率は目を見張る物がある。

 実際に手合わせして見た感触だと、総合力はすでに魔術学校の首席と遜色ない。

 足りないのは実戦経験のみって感じだ。

 だから、この段階で教えてもいいかも知れない。


「魔術には繋縛けいばくって概念がある」

「繋縛……縛る?」

「よく例えられるのは水撒きだな。蛇口が魔力炉でホースが魔術」

「水が魔力」

「そうだ。で、水を勢いよく遠くまで飛ばすにはどうすればいい?」

「口を絞る……そういうこと?」

「大正解。魔術に枷を付けるんだ。その分、取り回しは悪くなるが、魔術の精度や威力が底上げされる」

「なるほど……じゃあ私の場合はどんな風に枷を付ければいい?」

「これはあんまり進めたくはないんだが……」


 小首を傾げた結衣に、正直に話す。


「感覚共有だ。操作型の繋縛は大体これになる」


 八百人もそう。


「感覚共有……それなら痛覚も」

「相変わらず察しがいいな。操作型の魔術の利点は自分で戦わなくていい所と、操作対象が壊されても再度作り直せることだ。この繋縛は後者の利点をある程度潰すことになるが、その分魔術の精度が上がる」

「具体的にはどれくらい?」

「魔術の威力と精度が1.1倍くらいにはなる」

「……1.1倍」

「数字にすると大したことなさそうに見えるけど、意外とバカにならないもんだぞ」


 それで届かなかった魔物の命に手が掛かることもある。

 そのせいで食らわずに済んだ攻撃で負傷することもある。

 諸刃の剣だ、使いどころは見極めなければならない。


「そういうもの? でも、うん。感覚共有はアリ。たとえ威力や精度が上がらなくても、痛みがあればもっとどきどきできるから」

「結衣ってMなの?」

「痛いのは嫌いだよ? 傷が出きるのも嫌。じゃなきゃ、どきどきしないでしょ?」

「それもそうか」


 痛みを好んでいるのではなく、痛みや傷に対する恐怖、つまりスリルを好んでいるってことか。


「あぁ、そうだ。一度、繋縛を使ったらその必要がなくなるまで解除はするな。都合が悪くなったら外そうなんてしてると段々と枷の意義が薄れて繋縛が成立しなくなる」

「わかった。私はずっと使うから平気」

「そう言うと思った」


 だから教えるかどうか迷ったんだ。

 結衣の性格上、繋縛の存在を知ったらこうなるだろうと簡単に予想がついた。

 それでも敢えて教えたのは、そうする必要があると思ったから。

 偶然、どこからか繋縛の存在を知った場合、正しい知識と認識もなく、際限のない重い枷を結衣は自分に課しかねない。

 例えばそう、ダメージのフィードバック。操作対象が受けた傷が術者にまで正確に百パーセント伝わる強力な枷だ。

 それは近距離遠距離を問わず、操作型魔術のメリットを丸ごと潰す繋縛で、だからこそ威力と精度に絶大な補正が掛かる。

 結衣がこれに辿り着かないはずがない。

 だから敢えて別の答えを、感覚共有という答えを出して、これに思い至らないように思考を誘導したかったんだ。

 じゃなきゃ本当に、結衣は早死にする。


「累、結衣ちゃん。もうそろそろ時間だよ。今日はテレビ局で番組収録があるんだ、遅刻しないようにね」

「おっと、もうそんな時間か」

「時間が経つのが早い」

「あ、そうそう」


 八百人の後ろからひょっこり天音が現れる。


「戦闘服、結衣ちゃんの分が届いてたよ」

「おー、これで皆とお揃いだね」

「早速、着るでしょ? 着方教えてたげる。更衣室いこ?」

「うん、お願い」


 嬉しそうな顔をした結衣と天音が更衣室に入ってからすこしして、魔術師の正装とも呼べる戦闘服を身に纏って出てくる。


「どうかな? 似合ってる?」

「あぁ、似合ってる」

「とっても」

「ふふ、よかった」


 流石は女優――まだ女優とだけあって、戦闘服をすでに着こなしている。

 大抵は誰もが最初は戦闘服に着られているものだけど、結衣にはその様子がなかった。


「しかし、あれからもう二週間か」

「音無さんもようやく準備が整ったみたいだね」

「これからどっと魔術師が増えるわけか。穏便に事が進めばいいが」

「そんなの無理だってわかってて言ってんでしょ。敵対派閥が一体いくつあると思ってんのー?」

「わかってるっての。祈るくらい許してくれ」

「とにかく。気を揉んでもしようがない。僕たちはやるべきことをやるだけさ。今日のやるべきことはなんだい?」

「番組に出演して魔術師の募集をすること」

「累と私の使いどころ」

「あたしと八百人くんはそのサポート。わぁ、あたし結衣ちゃんのマネージャーってこと!? 最高の気分かも」

「おーい、俺の存在を無視か?」

「ふふ」


 なんて下らない言い合いをしていると、本当に時間が差し迫って来た。

 手早く出発の準備を済ませて車に乗り込み、今日出演する番組のスタジオへ。

 今日、出演するのは例の番組、ヒル生っ!! だ。

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