エピローグ

エピローグ

「龍神先輩…その、今回もありがとうございました…本当に」


 駅まで龍神を見送りに来た秀一は、改札の前で少しの間話し込んだ後、改めて龍神に礼を言った。

 悪魔に胸を刺された秀一は病院に搬送されたが、傷が浅く命に別状は無かったため翌朝には退院することができた。退院が早かったことは幸いだったが、秀一たちは急いで事務所に戻る必要があった。秀一が病院に運ばれている間、空代一子と空代希実を事務所に放置してしまっていたのだ。彼女らは翌朝まで気を失っており、秀一に肩を揺さぶられてようやく目を覚ました。

 守美は彼女らの肌に触れて落ち着きを取り戻させ、いきさつの説明に入った。だが龍神は用件が済んだのならもう守美の顔など見たくないと、早々に事務所を去って行ってしまったのだった。風上優器の死体を秀一に借りたキャリーケースに収納して。

 秀一は龍神を慌てて追いかけた。


「礼はいい。俺が勝手にやったことだ。お前を見殺しにしたら気分が悪いからな」


 龍神はひらひらと左腕を振った。龍神の左腕は悪魔に折られたはずだったが、どうも既に完治したかのように何事もなく動かせていることに秀一は訝しんだ。


「あの…もしかしてなんですけど、龍神先輩なら姉さんの問題も解決できるんじゃないですか?姉さんは寿命が…」


「できる。だがやらねえ。俺は人殺しが大嫌いだからな」


 龍神は秀一の言葉をぴしゃりと遮った。


「た…龍神先輩…それは…」


「お前、勘付いてるだろ。姉貴が人殺しだってことを」


「…勘付いてるだけですが…」


「はっ、じゃあ言ってやれよ。あいつがどんな顔するか、目に浮かぶぜ」


 龍神は改札へと歩を進め、改札の直前で振り返って言った。


「肉親とは、ちゃんと話し合っとくもんだ。生きてるうちにな」


 龍神は改札を通り、駅の雑踏の中へと消えていった。後に残された秀一は、ただ立ち尽くしていた。




 空代希実は目が見えなくなった。

 悪魔の本体を引き剥がされたことによる後遺症だ。だが、命を落とさなかっただけでも幸運だったと言えるだろう。龍神が少しずつ本体を憑坐よりましに移したことで、ダメージを最小限に抑えられた。

 悪魔が祓われたことで術が解除され、一度は悪魔に記憶を消された空代一子も全ての記憶を取り戻した。守美に事情を聞かされた空代一子は涙ながらに言った。


「私がこの子の目になります…今まで目を逸らしてきたぶん、今度こそはちゃんと見ます。もう二度と、希実を危険な目には遭わせません」


 事務所を後にする空代母娘おやこを見送った守美は、ふと思った。空代一子と空代希実は、これからしっかりと腹を割って話をするのだろう。

 羨ましいと、守美は零れるように呟いた。罪を悔いる機会も、母娘の未来も、彼女たちにはあるのだ。自分には、もう二度と訪れないものが。自らの手で、摘み取ってしまったものが。




「姉さん、龍神先輩を送って来たよ」


 秀一が事務所に戻ると、空代母娘は既に帰路に就いた後だった。守美はチューハイの缶を開けながら秀一を出迎えた。


「そうか。まったく、挨拶も無しに帰っていったな…まあ私は彼に嫌われているからな」


「そりゃあ、姉さんは両親を殺してるからな」


 守美は口に含んだ酒を盛大に吐き出した。酒が気管に入ったのだろう。体を屈め、苦し気に咳き込んでいた。


「しゅっ…今…何を…」


「母さんを殺して力を奪い取って、あの男に父さんを殺させて家に火を点けさせたんだろ」


「ほ…れは…いや……龍神くんがそう言うたんか…?」


「龍神先輩は、人殺しが大嫌いとは言っていたよ。でも俺は…前からずっと気づいてた。母さんと父さんが死んだの、俺が“福宿し”の力が欲しいって母さんと父さんに頼み込んだ翌日だったんだぞ」


「ほれは…知らなんだけど…」


「そんなタイミングじゃ流石に気づくだろ。いや…それ以前に、あの日の姉さんの表情を見た時点で気づいてた。全部顔に書いてあったよ」


「表情って…」


「姉さん。俺はずっと姉さんが嫌いだった」


 その言葉に、守美は手に持った缶を取り落とした。まるでこの世の終わりのような顔を浮かべていた。

 秀一は少し俯き加減になり、言葉を続けた。


「全ての面で俺より優れている姉さんが妬ましかった。いちいち俺を庇護して羞恥心と劣等感を抱かせる姉さんが疎ましかった。俺に存在価値を見失わせる姉さんが大嫌いだった。完璧な姉さんが憎らしくて…姉さんの才能の一端でも手に入れたくて…ずっと姉さんを目で追っていた。そんな俺が姉さんの表情を見誤ると思うか」


「わかってたさ、俺が姉さんに追いつけやしないなんて…それくらい。それでも俺は姉さんみたいに特別な人間になりたかった。並べ立てずとも、自分だけの価値が欲しかった。姉さんに相応しい弟になりたかった。だから、その力を望んだっていうのに…それさえ奪われた時の俺の絶望がわかるか。どれだけ姉さんを憎悪したかわかるか」


 守美は何も言えず、唇をぴくぴくと震わせていた。声の出し方を忘れてしまったかのようだった。


「俺を守りたかったんだろ。その力を継げば30年で死ぬから。姉さんの考えることくらいわかる。姉さんはずっと俺を守ろうとしてきたもんな。だけど俺が、姉さんに守られるたびにどんな気持ちを抱いてきたか考えたことはあるか」


「う…あ…ほんなこと…ごめ…」


「ずっと自分が惨めだった。情けなかった。俺の価値は何なのか、そもそもそんなものは無いんじゃないか。見失ったままここまで来た…だけど」


 秀一はそこで守美の目をじっと見つめた。


「…姉さんが俺の記憶を失って、どれだけ虚ろになるかを見た。俺がいなくなれば、姉さんがどれだけ脆くなるかを知った。完璧だと思っていた姉さんは、実はひどく不安定だったと突き付けられて…俺の存在が姉さんの支えになるのなら、それが俺の価値だと言えるんじゃないかとも思えた」


 全身をわなわなと震わせていた守美は、床に落ちた缶を拾ってまだ缶の中に残っていた酒を一気に飲み干した。

 缶の中身を空にすると、缶を乱暴に投げ捨てて叫んだ。


「当たり前だろう!秀一に価値が無いわけあるか!秀一の存在がどれだけ支えになってくれたか…価値が無いっていうなら私こそが無価値だ…秀一の姉であるということにしか自己の意味を見い出せずに生きてきたのに、結局あの悪魔から守れもしないで…それどころか大事な弟をずっと傷つけていて…」


「…姉さんを妬んで、恨んで、消えてほしいとさえ願う身勝手な弟でも大事か?」


「大事に決まってる!私は…私は秀一が居ないと何のために生きたらいいかもわからない。私が母を殺したのは…秀一が大切だからだ!こんな力を継いで早くに死んでほしくなかったから…健やかに長生きしてほしかったからだ!霊障の激痛に苛まれながら日常を送らせるなんて…大事な弟にそんな生き方をしてほしくなかったからだ」


「…ん?霊障の激痛に?それは…どういう…?」


「あっ…いや…この力は先祖が動物を山ほど犠牲にして得た力でだな…私がいつも酒を飲んでるのは、酒を飲むと動物霊の霊障を抑えられるからで…」


「そっ…そんなこと初耳だぞ!言ってくれなかったじゃないか!」


「言えるわけないだろう!秀一こそ…そんな風に思ってたなんて今初めて聞いたぞ!」


「いや…だって…それこそ言えるわけないだろ!姉さんにそんな…情けないこと!」


「私だって大事な弟にそんな心配かけるようなこと言えるか!そもそもなんで急に言い出したんだ!」


「そ、それは…うるさいなあ!」


 それからは子どものような口喧嘩が始まった。子どもの頃にさえしなかった、ひどく幼稚な舌戦。くだらない姉弟きょうだい喧嘩が、なぜだか秀一には心地良く感じられた。

 秀一は生まれて初めて、守美と対等に話せた気がした。




 



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もうみんな忘れちゃった人 ぴのこ @sinsekai0219

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