祓魔

「お前の前の契約者、死んでたぜ。酷え真似しやがって」


 龍神の術により、悪魔は風上優器の肉体に戻らされていた。悪魔が声を出そうとした瞬間、口がぴくりとも動かせないことに気づいた。


「お前が言うように、俺は物凄くガキに優しいからな。少しずつお前の本体をあのガキの体から剥がしてやった。この男みてえに即死することは無えだろう。まあ、どんなダメージが残るかは知らねえが」


 口だけではない。全身が石のように固まり、一切の動きを制限されていた。


「馬鹿が。動かさせるわけねえだろ。ご丁寧にその死体と二人っきりにさせてくれたからな。お前がくれた仕込みの時間を活かさせてもらったぞ」


 龍神は懐から煙草とライターを取り出し、火をつけて深く吸い込むと悪魔の顔に向かって煙を吐き出した。

 顔面に煙を吐かれても、悪魔は咳き込むこともできなかった。


「何かを乗り移らせる憑坐よりましには人形を使うもんだ。だが魂の無え死体だって人形と変わらねえ。ましてや、前に入っていた体なんて人形なんかより馴染みやすいだろう。ちょうどいいのが転がってて助かったぜ」


 龍神は煙草の先端を悪魔の額に押し当てて火を消し、悪魔的な笑顔を悪魔に向けた。


「さあ、お別れの時間だ」




 肉体を手に入れてからというもの、全てが順調だった。

 家庭支援センターで目をつけた空代希実を新たな契約者とし、彼女の姉と父の魂を喰らった。私は肉体を得たばかりで本来の力を上手く引き出せずにいたが、魂を摂取したことで少しずつではあるが力を取り戻していった。


 肉体の持ち主である風上優器の意識は、昼夜問わず私の中で狂ったように叫び続けていた。意識を保ちつつも肉体を動かせないことがひどく苦痛だったのだろう。彼の悲鳴は、実に心地良い響きだった。

 だがある時、彼の声はぴたりと止んだ。あれは空代霧華を喰らった後、空代雲晴を消すための術をかけ始めた頃だった。意識だけの生に限界が来たのだろう。彼の意識は思考を止めてしまったようだった。これではつまらない。

 ふと思い至った。彼は私に肉体を奪われる前、まだやりたいことがあると必死に訴えていた。姉のように多くの読者に小説を見てもらいたいと。

 私は風上霞の記憶から得たログインIDとパスワードで、サクドクの“箕作綴”のアカウントにログインした。彼女の最後の投稿作のタイトルを『空代雲晴は消滅しました』に書き換えるために。

 改稿したことを箕作綴のTwitterアカウントから告知すると、多くの人間から反応があった。作品の閲覧数がぐんと伸びた。小説で、姉のように多くの読者に見てもらう。彼が望んだ通りの結果だ。私が彼の意識を起こして嬉々として語りかけると、彼は獣のような咆哮を上げた。愉快だった。


 空代希実との契約は、私にとって何ら損の無い契約だった。分体を憑ける肉体を確保できる上、魂まで喰らえるのだから。

 10年間の平穏を保証するという契約もそうだ。10年など、私にはさして長い時間ではない。少女ひとりを保護する程度、造作も無い。


 そのはずだったというのに。


三昧法螺声さんまいほうらしょう一乗妙法説いちじょうみょうほうせつ経耳滅煩悩きょうにめつぼんのう当入阿字門とうにゅうあじもん


 私は今、契約者を守るどころかこの男に自身の命を脅かされている。風上優器の死体に押し込まれたまま一切の身動きを制限されている。もはやこの体に魂が留まってはいないはずの風上優器の笑い声が聞こえてくるようだった。


遊行無畏ゆぎょうむい如獅子王にょししおう智慧公明ちけいこうみょう如日之照にょじつししょう


 龍神総治。この男とて、魂を喰らおうと思っていたはずだったのだ。

 この男が超常の力を有することは、捻木秀一の記憶を読み取った際に知っていた。この男には記憶への干渉を弾かれ、空代希実と空代一子の拉致の際にも私の本体の感知を遅らされた。紛れもなく、厄介な男ではあった。


「おん まりしえい そわか、おん あにちや そわか」


 だが、十分に対処できるはずだった。実際、この男との戦闘では私が優位に立った。捻木守美の魂を喰らった後、この男の実食に移る算段のはずだったのだ。これほど強い力を持つ人間の魂はどれほどの美味であるのかと、舌なめずりをしていた。


「我も天も地も向きも跡も左も右もいかんが天の加護に漏るべき」


 それがどうしてこうなっている。私は何を間違えた。


「さらていさらてい そわか、さらていさらてい そわか、さらていさらてい そわか」


 龍神は空中に何かを書いている。あの指の動き。あれは、私の名。


「おん まりしえい さるがたなす、怨敵退散」


 龍神は拳を握りしめ、私の頭上に振り上げた。

 ぴくりとも動かないはずの体が、ぞっと震えた気がした。背中の後ろで、床が崩れ去っていくような感覚だった。

 焦燥の中で、私は今芽生えたものが死への恐怖なのだと悟った。私には無縁のものだと思っていたはずの、恐怖。


止止しし、止止、止止」


 やめろ。やめろ消えたくない。嫌だふざけるな。私が、私がこんな。やめてくれ。やめろ頼む。消えたくない。


 龍神は満面の笑みで拳を振り下ろした。


「怨敵消滅」


 …悪魔め。


 

 

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