反射
「お前の体には、奴の術が刻まれてるだろ。それを利用する。とりあえず脱げ」
空代希実と空代一子を回収する前のこと。空代家に向かう前に、龍神はレンタカーの車内で秀一に服を脱がさせた。
秀一は龍神に考えがあることは察せられたため、もはや何も言わずワイシャツのボタンを外していった。
「脱ぎましたけど…何をするんですか龍神先輩」
「万が一にも俺が負けて死ぬなんてことはありえねえが。劣勢になることはあるかもしれねえ。俺に隙が生まれれば、奴はお前の姉貴を狙うだろう。奴の目的は姉貴だし、今のあいつは容易に魂を抜ける状態だからな」
龍神にとって、自らが劣勢になる可能性を口にするなど珍しいことだった。秀一は密かに緊張感を強めた。
「その時、もしも俺が間に合わねえ状態だったらお前が動け。姉貴を守るって言うなら、姉貴を庇って一発貰え。そして今から言うことを唱えろ。魂結びをしておくからすぐに魂を抜かれることは無えが、うまいこと致命傷は避けろよ」
龍神は秀一の胸の中心に“
「奴が悪魔であるなら契約が重要なはずだろ。だが契約のためには人間と話さなきゃならねえ。それなのに人間に認識されなくなる認識阻害の術なんか跳ね返されればどうだ。日記の記述を信じるなら、その術は奴が存在する限り解除できねえらしいからな。動揺するだろう。そこを突く」
「跳ね返すって…あの、この術って」
龍神は悪戯気味ににやりと笑った。
「呪いには呪い返しって、相場が決まってるからな」
「…邪魔をしないでいただきたいのですがね」
割って入った秀一に、悪魔は心底不快そうな表情を向けた。
「しかしこれは…魂が補強されている?小賢しい術を…まあどうでもいい。あなたの魂も美味しそうではありますが、味に予想がつくのですよ。先に食べるのはそこの珍しいもの。獣憑きからです」
秀一の胸に突き刺さった悪魔の手は、指の第一関節の付近までしか埋まっておらず秀一の傷は浅かった。攻撃が当たる直前に少し身を引いたことが功を奏した。
だが致命傷ではないとはいえ、秀一の胸からは血がどくどくと溢れ出していた。白いワイシャツが赤黒く染まっていく。
「お姉さまと比べれば、あなたのような普通の人間など二の次。はっきり言ってあまり興味がありません。そこで寝ていていただけますか」
悪魔は秀一の胸から指を引き抜き、嘲るように言葉を投げつけた。
秀一は床に倒れ伏しながらも、口角を吊り上げた。以前には秀一の激情を滾らせた言葉も、今の秀一の神経を逆撫ですることは無かった。
悪魔に胸を突き刺され夥しい量の血を流しながらも、秀一の瞳にはぎらりとした光が宿っていた。
「
速射砲のように、それでいて正確な発音で、秀一は龍神に教えられた通りに唱えた。
突如として秀一が唱え始めた聞き慣れぬ文言に、悪魔は反応が遅れた。それが呪句であると遅れて理解し秀一の口を封じようとした時には、秀一は呪句の最後の一文を唱え終えていた。
「…
悪魔がびきりと青筋を立てた。
「…お前」
龍神が秀一に施した術は呪詛返し。自身にかけられた呪いを術者に跳ね返すもの。これにより、秀一が悪魔にかけられた術は解除され、悪魔自身に打ち返された。
この術は自身が存在している限り解除することができない。自身がかけた術であるから呪詛返しのような方法も効力が無い。それを誰より理解している悪魔は、秀一に殺意を剥き出しにした。
「…秀一!」
秀一の姿が認識できるようになった守美が目にしたのは、胸から流血する弟の姿だった。秀一にかけられた認識阻害の術は解除されたが、秀一の記憶までは悪魔が祓われない限り取り戻せないはずだった。通常であれば。
守美がそこに姿を現した男は自身の弟であると思い出せたのは、気が変質したためか。あるいは秀一が守美の魂の寄る辺であったためか。
守美は叫び声を上げて悪魔を蹴り飛ばし、悪魔がよろめいた隙をついて悪魔の首に触れた。出力を最大にして目いっぱいの力を悪魔に送り込んだ。
呪詛返しはあくまでも悪魔そのものに還されるもの。空代希実の体の中にいる今は、認識阻害の術が打ち返された状態でも他者に認識されてしまう。
守美は気が気ではなかった。今すぐ秀一に駆け寄り、手当てをしたかった。だが最優先にやるべきは、龍神に指示されたことだ。そうでなければいよいよ秀一が死んでしまう。その思いが守美を突き動かした。
「これは万が一にも俺が不覚を取った場合の話だが。お前の弟には、呪詛返しを仕掛けるように言ってある。そうすれば少なくとも認識を妨げる術は跳ね返せるはずだ。お前の前に男がいきなり姿を現したら合図だ。悪魔に接触しろ。お前の出せる限りの全力でだ」
空代家に向かう直前、龍神は守美に指示を出していた。
「それは…本体ということか」
「ああ。分体を祓えば間違いなく本体に感知される。まあその前に出てくるかもしれねえがな」
「だが効果があるかはわからないぞ。分体を憑けた空代希実には通ったが、それは分体は力が弱いせいかもしれない。本体には通るかどうか」
「操れずとも構わねえ。本体が悪魔にしろ、悪魔が憑いた人間にしろ…有害な力を流し込まれれば、対処に意識を削がれる。防ぐにしても、必ず気の揺らぎが生まれる。動揺していれば尚更だ。そこに付け込む。そうすりゃあ、お前の弟は守れる」
「…龍神くん。私が弟の記憶を失っていると君は言っていたが…私の弟というのはどんな人なんだ」
「そうだな…」
龍神は振り返って後ろを歩く秀一を一瞥し、微かに笑って呟いた。
「難儀な奴だよ」
「私の弟に、何をする」
守美は悪魔の首筋に爪を突き刺す勢いで触れ、静かな激昂が込められた声を発した。
悪魔は一瞬だけ頬を赤らめ、振り払うように首を振った。悪魔が恐ろしい形相で振り向き、守美の目に視線を合わせたその時。
「揺らいだな」
外の龍神がそう呟いた瞬間、悪魔の体がどくりと鳴った。途端に体が硬直し、少しも動かせなくなった。
「りせいたか ばたなきゃ びしゃたはだ さっまだきゃら びきつらま びらさっきゃち りせいたか ふらりばたんらん さらさら さりさり はだはだ はにはに はんにはんに きゃちきゃち あびしゃあびしゃ りせいたか ろぬそきにょうはやち そわか」
龍神が唱えるにつれて悪魔の意識は揺らぎ、分かたれていった。全身が水になり、さらさらと別の容器に移し替えられているような感覚だった。
七度目に龍神が唱え終えた頃、悪魔の視界には事務所の外の天井が映っていた。仰向けに倒れた状態のまま、龍神を見上げていた。
龍神は悪魔の顔を覗き込み、嘲笑うような声音で言った。
「よお、また会ったな。じゃ、終わりだ」
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