戦闘
「分体と合流…じゃあ今、希実さんの体に入ってるのが本体ってことですか…?」
「…龍神くん。この状態で本体を祓えば、空代希実はどうなる?」
守美と秀一は龍神の背後に回り、後ずさりして空代希実に取り憑いた悪魔の様子を窺った。悪魔の並々ならぬ威圧感に、緊張を隠せない様子であった。
「肉体を奪って無理やり動かすってのは、肉体と密接に結びついてなきゃできねえ芸当だ。そんな状態で下手に引き剝がされれば、肉体へのダメージは計り知れねえ。ドアの外で倒れてる奴も、最悪死んでるかもな」
「分体を祓っても一子さんが生きてたのは…」
「分体に肉体を動かされてたわけじゃなかったのと、単純に分体は力が弱えってのが理由だ。本体のこいつはそうは行かねえ」
空代希実の喉から、ひどく不気味な笑い声が漏れた。先ほど空代一子から発されていた声だ。
「捻木守美さん」
「あなた、酷い人だ。親を殺した上に、依頼人の娘までもを見殺しにするのだから」
悪魔は粘ついた笑みを浮かべて守美を嘲った。守美の頬がひくついた。
「私が龍神さんに祓われれば、この体は死ぬでしょう。そうでなくとも、私の気分次第で空代希実の命は潰える。それを疎むならば」
「できないだろう」
守美は悪魔を
「君はさっき言っていたね。契約に従い、空代希実を守らなければならないと。空代希実の命を脅かす行為など、君にはできないはずだ。そうじゃないのか、龍神くん」
「ああ。空代希実を守るってのが契約なら、お前が空代希実を害することはできねえよなあ?俺がその体を殺そうとした場合はどうなる?体から抜け出すか?それが空代希実の命を守るための最良の選択肢だもんな」
悪魔は能面のような顔を浮かべた。一切の感情を排したかのような、ぞくりとする雰囲気だった。
「…殺そうと、と言いますが。あなたに子どもを痛めつけるなどできるのですか?加減を間違えれば死ぬでしょう。そこの人殺しならいざ知らず…」
「俺の何を勘違いしてるのか知らねえが」
龍神は悪魔の言葉を遮った。龍神の様子は気怠げであったが、その語気は荒々しかった。
「そのガキが死のうと俺はどうでもいい。なんなら面倒だからお前ごと殺してもいい」
その言葉に、椅子に拘束されたまま倒れている空代一子が反応を示した。空代一子は分体を祓われたダメージと睡眠薬の影響とで意識が朦朧としていたが、龍神の「殺してもいい」という言葉が娘に向けられているのだと悟り、必死に声を絞り出した。
「だめ…だめです…やめて…やめてください…娘…なんです…殺すなら…私を…」
そう訴えたきり、空代一子はがくりと意識を手放した。
空代一子が気を失う直前に見たものは、にたりと獰猛な笑みを浮かべる娘の顔だった。
「嘘は、良くない」
「あなた、今わずかに揺らぎましたよ。本心では子どもを傷つけたくなどないのでしょう。お優しいことだ」
「お前、気を見てるんだな」
空代希実の鼻から、だらりと血が溢れた。ぼたぼたと滴り落ちる血が、床に放射線状の赤をいくつも作っていく。
龍神が顔面を殴ったのだと、守美と秀一は遅れて気づいた。
「はっ、お前の気こそブレたぜ。お前の気は流石にバケモンじみてるが、肉体がダメージを受けりゃあ気は揺らぐもんだ。付け入る隙ができれば術が通る。もっと痛めつけりゃあ祓えるだろ」
悪魔は鼻血を拭い、龍神を睨み付けた。
「痛覚も共有してるような反応だったな?じゃあ拷問も有効か。爪剥ぎから丁寧にやってやろうか?」
「…できるものならね」
どん、と地響きが鳴り響いた。ぴしりと床が割れた。
女子中学生の体とは思えぬ力で、悪魔が床を強く踏み込んだのだ。
「離れろ!!」
踏み込みの勢いを力と速度に変え、悪魔は目にも止まらぬ速度で龍神に右拳を突き出した。
咄嗟に防いだ龍神の左腕が鈍い音を立てた。
「チッ…折れたな」
衝撃のあまり、龍神は事務所のドア付近まで押しやられてしまった。龍神の指示で守美と秀一が咄嗟に飛び退いていなければ、巻き込まれていたところだった。
悪魔は機を逃さずに龍神の顔面に追撃を放ったが、龍神は首を捻って難なく回避した。一度の攻防で悪魔の動きを見切ったのだ。
接近してきた悪魔を蹴り飛ばそうと龍神は脚を鞭のようにしならせたが、肉体の動体視力と機動性を極限まで引き出した悪魔には当たらない。だが悪魔の攻撃もまた龍神には当たらない。あるいは捌かれる。凄まじい速度での攻防の応酬が、間合いの中で何十と繰り返された時。
均衡が崩れた。
「…!?」
龍神の目の前から、悪魔の姿が消えた。
下に潜ったのだと、龍神が一瞬遅れて気づいた瞬間。龍神の足首がびきりと音を立て、激痛を発した。悪魔が龍神の足首に拳をめり込ませたのだ。
思わず膝をついた龍神の顔面に、悪魔は強烈な蹴りを浴びせた。体格に恵まれた龍神といえど、頭部への一撃はダメージが大きかった。
衝撃で意識を飛ばした龍神に、悪魔は小さく囁いた。
「לָצֵאת」
龍神が意識を飛ばしたのは一瞬のことであった。次の瞬間には意識を取り戻し、反撃を繰り出すはずだった。
だが、その一瞬の揺らぎで悪魔には事足りた。
「付け入る隙ができれば術は通る。あなたの言った通りです」
「あまりに力が強く、ドアの外に飛ばす程度しかできませんでしたが…十分でしょう」
龍神の姿が、事務所から忽然と消えていた。
龍神が外からドアを叩く音が事務所に響き渡る。
「さて、珍味をいただきましょうか。獣憑きはどんな味がするのでしょうね」
悪魔は腕をごきりと鳴らし、守美ににじり寄った。
生きる目的そのものであった秀一の存在を忘れ去ったことで、守美はひどく脆い状態になっている。今の状態であれば、悪魔が守美の魂を抜くことも容易であった。
どこか諦念に近い顔を浮かべる守美の胸に、悪魔は勢い良く腕を伸ばした。
だが悪魔が守美の胸を貫くことは無かった。
咄嗟に守美を庇った秀一の胸に、悪魔の手は突き刺さっていた。
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