エピローグ 終わらない旅路

 東京から帰った翌日日曜日。つまるところの夏休み最終日。将棋部の面々は別に約束したわけでもないのに、通常営業中の「にゅうぎょく」に集まっていた。いや僕はバイトが入っていたからっていうのもあるのだけど他のみんなはおかしい。今日くらい家でゆっくりすればいいのに。


 シフトの時間までコーヒーでも飲んでまったりしているつもりが、結局のところ、


「あっ、あの、麦田さん、お時間まで教えてもらってもいいでしょうか?」

「えー? あゆちーだけずるいー。むぎくんわたしとも指そうよー、ねーねーねー」

「……うん、わかった。わかったよ高井さん」

「ほ、本間先生、良ければ俺も一局よろしいですか?」

「お、いいよー、ちょうど店の仕事も暇になったところだしー」


 普段の部活と何ら変わらないことになってしまった。春来さんに断りを入れてから、僕は備品の将棋盤と駒をテーブルに並べる。


「むー、なんでわたしとは指してくれないんだよー、むぎくんのけちんぼー」

「だって久美、夏休みの課題、何ひとつ終わってないじゃん」

「……ぎくっ。そっ、それは色々考えることが多かったからだよ、半分くらいむぎくんのせいでもあるんだからね?」


「はいはい、僕のせいでもいいからちゃんと課題終わらせるんだよー」

「ううううう、わたしも将棋やりたいやりたいやーりーたーいいいい!」


 僕が高井さんとだけ将棋を指すことに不満たらたらな久美は、往生際悪く僕の背中に自分の身体を乗っけては駄々をこねる。言わずもがな、彩夏さんが言うところの以下略。


「……春来さーん、この不真面目な女子高生の首根っこ掴んで彩夏さんの部屋に放り投げてもいいですか。ちょっとそうでもしないと夏休みの課題終わらないと思うんで」

「ちょっと麦田くん? 麦田くんまで私の扱い雑になってない?」


「うん、いいよー。正直私もちょっと久美うるさいって思ってたタイミングだから」

「だからそんなうるさい人をどうして受験生と一緒にしようって発想になるの? 畜生にも程がないですか?」


「はーい、久美は彩夏さんと一緒に静かにお勉強しましょうねー。いい子だからねー」

「って問答無用なのっ?」

「うわあああん、やだやだ、宿題なんてしたくないよおおお」

 しつこく絡む久美を、店舗から居住スペース内にある彩夏さんの部屋に放り込んだ僕は、やっとこさ落ち着いて高井さんと向かい合う。


「……さ。来年の大会に向けて、もっとレベルアップしていこっか、高井さん」

「はっ、はい。よろしくお願いしますっ」


 当初は八枚落ちだった駒落ちも、今は二枚落ちにまで落とす駒を減らしている。来年の全道大会までに、角落ちで僕に勝つという目標も、この調子なら達成できるかもしれない。


 パチっ、と乾いた駒音が、「にゅうぎょく」の中で交差する。僕が教え始めた当初、高井さんの手つきは自信がないものばかりだったけど、今は堂々とした面持ちで駒を持てている。これも、ある意味成長なのかもしれない。


「……あっ、あのっ、麦田さんっ」

「ん? どうかした?」

 局面も中盤に差し掛かり、高井さんが少し時間を使って次の手を考えている間、いつも通りのおどおどとした声で彼女は僕に話しかける。


「じ、実は、九月上旬に、札幌で女性限定の将棋大会があるみたいで、そ、それに私、出たいと思っているんですけど……」

「お、いいじゃんいいじゃん。そういう場で大会の経験を積むのも、きっと役に立つよ」


「…………。え、えっと、そ、それでっ」

「まだ、何かあった?」

「……一般の大会に出るのが初めてで、色々と勝手がわからないと思うので、で、できればいいです。できればいいので、麦田さんに、ついてきてもらえないかなって……」

 そう言い終えると、弱々しい駒音で高井さんは歩をひとつ前に進める。


「へ? 僕が?」

 リアクションに困っていると、そんな僕らの会話を聞いていた本間姉妹が、

「はいはい、女の子に恥かかせるのは反則だからねー翔ちゃん」

「ああ、いいなあ、甘酸っぱくて……なんで私高校三年なんだろ」

 外野からそんなガヤを飛ばす。


「そ、そうですよね、ご迷惑でしたよね、わ、忘れてください頑張ってひとりで行くので気にしないでくださいっ」

「あ、いや。別に、いいけど……」

「え? ほんと? むぎくん来るならわたしも出ようっかなー」

「……当たり前のように会話に参加すな。っていうか課題はどうした課題は」

 いつの間にか久美、店舗に戻って僕の後ろにぬるっと立っていたし。


「……終わらせたよ?」

「ちょっと『終わる』の定義について話し合おうか久美」

「うわあんむぎくんがわたしのこと虐めるよおお、わたしだって将棋指したいだけなのにいい」

 僕が軽くあしらうとまたまた僕の背中からくっついてくるし。


「無駄にひっつくなって、前々から思ってたけど、パーソナルスペースって概念ないのかよっ」

「むぎくんにしかこんなことしないよおおおうわあああん」

 そんな様子を目の当たりにして高井さんはなぜか悲しそうな顔をしているし。


「……ほんと、翔ちゃんって罪作りな男だよね」「……私もそう思うよ、お姉ちゃん」「奇遇っすね、俺もそう思えてきましたし、歩夢が不憫に見えてきました」


「ねえ、これ悪いの僕なの? どうしても僕が悪いんですか? いい加減教えてもらってもいいですか?」

「「「鈍いのは将棋だけにしたらどう(ですか)」」」


 ……え、ええ……? 僕が怒られるの、釈然としないんですけど……。

 早くも弱くなってきた札幌の八月下旬の太陽の勢いのなか、そんなに暑くないはずなのに意味もなく僕、汗をかいてきたし。


 な、何はともあれ、札幌豊園高校将棋部の総文祭への道は、まだまだこれからってことで。しばらくの間、「にゅうぎょく」から駒の音が止むことはしなかった。

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81マスの宇宙で──札幌豊園高校将棋部活動記録── 白石 幸知 @shiroishi_tomo

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