第36話 翔ける
とことん、僕は攻め合いに弱いのか。やっぱり、こうなる運命だったのか。
ピッ。
「……よしっ、これでっ……!」
やっぱり、勝てないのか。僕は、藤ヶ谷に。どうやったって、越えられないのか、この壁を。
ピッ。
……今からでも、受けるのか? 藤ヶ谷が、間違えることを期待して。いや、もうそんな時間は残されてない。僕の残り時間は二〇秒を切ってるんだぞ。……万事、休すか。
天を仰ぎ、自分の不甲斐なさを呪おうとしたとき。ふと、ある考えが頭のなかに走った。
手順に、僕の王様の上部に馬ができた。つまり、これって、もしかして……。
「……詰まない、のか……?」
ピッ。
そう「判断」した瞬間、残り一〇秒。僕は藤ヶ谷の王様のいる端歩をぶつけた。これで、詰めろだ。受けも、あるかどうか怪しい。
「匙を投げた、ってわけじゃ……なさそうね」
「……僕の王様が詰むかどうかは読んでいない。僕の王様が詰めば藤ヶ谷の勝ち。詰まなければ……僕の勝ちだ。だから。藤ヶ谷に読んでもらう。僕の王様が詰むかどうか」
「……っ、ふ、ふざけた真似を……!」
攻守入れ替え、今度は一転して藤ヶ谷が僕の王様を追いかける。が、直前まで危険だった僕の王様は、逃走目標地点に攻め駒である馬が鎮座している。それによって、僕の上空には。
勝利へ繋がる滑走路が、オールグリーンで王様の到着を手ぐすね引いて待っていた。
それも、僕が攻め合ったことにより生まれた偶然の産物だった。
「こっ、このおおっ!」
藤ヶ谷の連続王手。僕はそれに対して迷うことなくすい、すい、と王様を空へと走らせる。
「どれだけ、どれだけタフなのよ、あなたの王様はっ……! なんで、どれだけ追っても捕まらないのよっ……!」
さらに藤ヶ谷に追われるも、慌てることなく冷静に僕はひらりひらりと王手をかわす。
「……くううううっっ!」
そして。最後の王手を避けると、これまで歯を食いしばって全力で僕の王様を捕まえようとしてきた藤ヶ谷は、がっくしと項垂れて。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピ──
「……負けました」
目の前から、藤ヶ谷のその言葉が聞こえたとき。
八一マスの大空を、僕の王様は自由に翔けていた。
消費時間、麦田翔太:二九分五八秒。藤ヶ谷皐月:二九分五九秒。互いが全てを出し切った勝負を分ける一戦は、札幌豊園に軍配が上がった。
「…………。ありがとうございました」
結果を記した両校のオーダー表を本部に提出してから、みんなのもとに戻る。と、
「すっごいよ、麦田くんっ、藤ヶ谷さんに勝ったよ、勝っちゃったよっ! っていうか、札教大札幌に勝っちゃったよ!」
興奮冷めやらぬ表情の彩夏さんが、僕の両肩を掴んでぶるんぶるん前後に揺らす。
「……あ、ありがとうございます、麦田先輩。おかげで、命拾いしました……」
長谷川君はそう言うと、ホッとしたように胸を撫で下ろしている。長谷川君も初めての団体戦だったから、酷な思いをさせなくて済んで良かった。そして、五回戦のヒーローと言っても過言ではない高井さんは、勝ったというのに目を真っ赤にさせて頬を濡らしていた。
「……お疲れ様。快心譜だったんじゃないの? 初勝利、おめでとう」
「ほっ、本当は、途中で心が折れてました……。もう、無理かもって。飛車をタダ当然で取られたとき、諦めかけていました」
「……そうなんじゃないかなって思ってた。明らかに動揺してるんだろうなあっていうのが、見なくてもわかったよ」
「でっ、でもっ。……最後まで指せたのは、麦田さんのおかげです。麦田さんが、隣にいなかったら、どこかで、投了してました」
「……勝ったのは、高井さんの力だよ。凄いじゃん。夏前のとき六枚落ちで勝てなかった相手に、平手で勝ったんだよ? もの凄いことだと思わない?」
「っ、そ、それはっ、麦田さんがっ……」
「高井さんが諦めなかった、勝ったおかげで僕も頑張れた。チームも勝てた。高井さんが、みんなを助けたんだよ。これでもう、わかったでしょ? 高井さんは、チームに必要なんだってこと」
「っっっ」
僕が優しくそう伝えると、これまでなんとか堪えてた感情が溢れ出してしまったみたいで、高井さんは子供みたいに大泣きして僕の胸元に顔を埋めた。
「……よしよし、頑張った頑張った──」
そんな彼女の頭を軽く撫でてあげていると、
「──うわああああん、むぎぐん、あゆちー、ありがどうううううう、負けちゃってプレッシャーかけてごめんなさああああいい」
高井さん以上に泣きじゃくってもう何から何までくしゃくしゃの久美が、僕と高井さんの輪に飛び込んできた。会場の床に、久美に押し倒される格好になる僕と高井さん。……いや、どんな絵面だよ。サッカーのゴールセレブレーションか何かかな?
「って、おわっ! 久美、何するんだよっ、くるしっ、ってか、当たってるっ! 当たってる!」
……何をとは言わないけど、彩夏さんの言うところの久美っぱいが。
「中学生のとき、むぎくんこんな気持ちだったんだってわかって、もう消えたくなってたんだよおおお、ふえええええん」
「ああ、はいはい。わかったから落ち着けって。久美だって負けるときはあるよね、そうだよね」
「……む、むぎださん、い、いぎが、ぐるじいでず……」
「って、あ、ごっ、ごめんっ、そうだよね、一番下になっちゃってたよね、だ、大丈夫?」
高井さんの苦しげな声が耳に入り、僕は慌てて久美を払いのけて彼女を解放する。
「……へ、へーきです、大丈夫です……」
「ああ、っていうか、制服が久美の涙やら鼻水でぐちょぐちょじゃん、これ……どーすんのさ」
ようやく体勢を立て直したかと思えば、久美が飛びついたことで僕のワイシャツがもう言葉で言い表せないくらい残念なことになっていた。……このまま、飛行機に乗るのが憚れるくらいには。せっかくちょっといい感じのシーンになっていたはずなのに、どうしていつも僕らはこうなってしまうのだか。
そんな僕らの様子を微笑ましい目で眺める彩夏さんは、うっすらと瞳にキラリと輝かせるものが浮かんでいた。
「……彩夏さん?」
「あっ、いやっ。……たった数か月で、ここまでチームって変わるんだなあって、思っただけ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「……はは、言えてる。……でも、来てよかったよ。団体戦に、未練がないって言ったら嘘だったけど。今日の大会で、忘れ物は取り返せた気がする」
「……でも、総文祭は」
瞳を綺麗な指先で拭っては、彩夏さんは満面の笑みを描きだし、
「忘れ物は。もう少しだけ、真剣勝負の場で君たちと将棋をすることだったから。舞台がどこなんて関係ない。そりゃ、総文祭に行けたら嬉しかったけど。……でも、言ったでしょ? 私が豊園に入学したとき、将棋部は部員ゼロだった。団体戦なんて、夢のまた夢の世界だった。だから、楽しくて仕方なかったんだ。麦田くんや、久美ちゃんと一緒に戦った二年間は。色々なことがあったけど、胸を張って言える。……最高の、高校将棋だったって」
真っすぐ前を向いて、そう口にした。
「……だからね。夢の続きは、君たち後輩に託すとするよ。ここから先は、もう私は見ることができない景色だけど。願わくばそれが、君たちにとって、望む景色であることを陰ながら祈っている。もう、麦田くん、団体戦怖くないでしょ?」
「……そう、ですね」
「勝利の喜びも、敗北の悔しさも、三倍、五倍、十倍になる。だから、楽しいし、時に辛いんだ。けど、その喜怒哀楽全てを、ひとりで背負い込む必要なんてない。……もう、わかったよね?」
「……痛いくらいには」
「よし。じゃあ、あとは頑張れ。色々。色々ね? 色々」
話が一旦の区切りを迎えると、途端に彩夏さんはニマニマと表情を緩めては、僕の背中をわざとらしく雑に叩き出す。
「な、なんですか」
「えー? わかってるくせにー。あまり鈍いと、そのうち麦田くん、歩夢ちゃん泣かすぞー?」
「へ? 本当に何の話をしているんですか?」
「それとも久美ちゃんしか眼中にないってやつかー、なるほどなるほど。幼馴染は強いですね」
「……これ、理解できない僕が悪いんですかね」
「みんなー、とりあえず写真撮ろー写真。こっち集合―」
まじで何を言いたかったんだろう、彩夏さんは……。
五回戦を終えて三勝二敗(勝利数:13)の成績を収めた札幌豊園高校は、参加65チームのうち総合11位という成績だった。高校チームのなかで数えたら、上から四番目という結果に。僕らより上の順位にいる高校は、全国大会常連のチームしか並んでいない。キリ番の10位は逃し、景品獲得とはならなかったけど、とても充実した一日になったんじゃないだろうか。
大会会場を後にしようとしたとき、同じく撤収中の札教大札幌の一団と出くわした。
僕らのことを見つけるなり、悔しさに唇を噛みしめた藤ヶ谷は、
「……全力は出した。それで負けたなら、まだまだ努力が足りないってこと。もっと強くなって、来年の全道大会で当たったなら、そのときは必ず勝つわ。総文祭の椅子は、渡さない」
低く落ち着いた調子で僕らに告げる。
「別に、わたしたちも渡してもらうつもりはないからいいよーだー」
「……久美に関しては、新人戦の全国大会の枠も譲るつもりないから」
「いいもん、譲られなくてもこっちから奪いに行くもん」
久美と藤ヶ谷がバチバチやり合っていると思えば、吉原さんも高井さんのもとに近づいて、
「強くなったつもりでいた。けど、今日あなたに負けた。……今まで散々言いたい放題言ってきたことは謝る。ごめんなさい。でも、それはそれとして、今度あなたと当たったら負けないから」
「……望むところだよ」
色々やりとりを交わしていた。ひと通りのコミュニケーションが落ち着くと、藤ヶ谷が先陣切って僕らにペコリと頭を下げ、
「じゃあ、ホテル戻るよ。明日の最終日も近隣の高校と研究会があるから、反省はほどほどにしてしっかり休むこと」
しっかりとした足取りでエントランスを抜けていった。……っていうか、東京遠征まだ続くんですね、札教大札幌さん……。さすが名門校と言うべきか……。
「……さ。僕らは羽田空港に移動しよっか。飛行機の時間もあるし」
と、まあそういったふうにして、札幌豊園高校将棋部の東京遠征は終わりを迎えた。
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