第5話
「冥府の者たちが現世に姿を現しているというのは本当か、野狂」
「はい。現に黒冥禍たちの姿を何度も見かけております」
「ふむ……。どこぞの門が開いているということか。これは厄介じゃな」
なにやら
「我の受け持ちである、この羅城門はしっかりと閉じられておる。安心いたせ。ただ、他の門が開いているというのは解せんな」
「他の門は冥閂殿の受け持ちではないのでしょうか」
「違う。各門にそれぞれ番人がついておる。誰じゃ、番人をサボっておるのは」
「ここ以外に冥府の扉はどこにあるのでしょうか」
「それは教えられん」
「何故でしょうか」
「お前らが現世の者だからじゃ。現世の者は冥府の扉について知ることは許されん」
「しかし……」
篁は困った顔をした。冥府の扉の場所がわからなければ、その扉を閉じようがないのだ。
そんな篁の心中を察した
「では、貴方様が冥府の扉まで私達を案内してはくれませぬか」
突然の汐野の申し出に冥閂は少しだけ考えるような仕草を見せる。
「よかろう。それであれば問題はないはずじゃ」
「共に参りましょう、冥閂様」
汐野はそう言って冥閂の腕を取った。
すると冥閂は口を大きく開けて不揃いの牙を見せながら笑ってみせた。
その刹那、地が揺れ、世界が歪んだように思えた。
地震か。篁は咄嗟に身構える。
しかし、それは一瞬のことだった。
気がつくと、篁たちはまったく別の場所に居た。先ほどまで目の前にあったはずの羅城門の姿はどこにもない。そこにあるのは竹林だけだった。
「ここは……」
「お前ら現世の者たちが
「では、化野のどこかに冥府の扉があると言うですか」
「さあな。どこにあるかは教えることはできんと言っただろう」
そう言いながら冥閂はちらりと篁の背後へと視線を向けた。
篁が振り返ると、そこには竹林の中に佇む古びたお堂が存在していた。
「ここが?」
「冥府の扉。現世の者たちがそう呼ぶ場所だ」
篁と阿母はそのお堂へと近づいていく。
するとお堂の中に小さな扉のようなものがあるのが見えた。まさか、これが冥府の扉だというのだろうか。
その扉には札のようなものが貼られており、扉が開けられた様子はなかった。
「ここは問題ないようじゃな」
後からやって来た冥閂がそう言うと、篁たちの目の前で柏手でも打つかのようにパンと手のひらを合わせた。ものすごい音だった。その音に驚いていると、またあたりの景色が変化していた。
今度は竹林ではなかったものの、鬱蒼とした木々の生えた場所だった。やはり、ここも先ほどと同じように人の気配はまったく感じられない。
「今度はどこに来たというのだ?」
「
この鳥辺野と先ほどの化野、そして蓮台野の三地点は
鳥辺野は先ほどの化野とは違い、妙な空気が漂っている。
「まずいな」
辺りを見回しながら冥閂が呟く。
その言葉の意味を篁は聞かずとも、何となく理解が出来ていた。それは一緒にいる阿母も同じようで腰に佩いていた毛抜形太刀へと手を伸ばしている。
何かが地で
まるで蛇のようにうねりながら、その髪の毛は篁に襲いかかってきた。
先ほどまで篁が立っていた場所に髪の毛の束がトグロを巻く。
「やはりか……」
それを見た冥閂は再び呟くと、そのトグロを巻いた髪の毛を無造作に素手で掴むと力強く引っ張った。
「あなやっ!」
少し離れた場所から声が聞こえた。それは女の声だった。
冥閂はその髪の毛を自分の方に手繰り寄せるかのようにどんどんと引っ張っていく。
「これ、やめぬか。やめよ」
悲鳴に似た声が徐々に近づいてくる。
そして、その声とともに奥の竹林の方からずるずると何かが引きずられるような音も聞こえてきた。
姿を現したのは白い着物姿の女だった。女は冥閂にその長い髪の毛を引っ張られるような形で地の上を滑りながらこちらへと近づいてくる。引きずられているため、着物は乱れ、胸のあたりからは乳房がこぼれ、着物の裾は捲れ上がっていた。
「やめよ……。おやめくだされ。おねがいじゃ、やめてくだされ」
女の声は次第に弱々しくなっていき、最後は懇願するようになっていった。
「なぜ、冥府から現世へ姿を現した」
冥閂はその女の髪の毛をさらに引っ張りながら言う。
「め、冥閂……」
「
「こ、これには
冥閂に髪の毛を掴まれ、地に押さえつけられるような体勢で羅刹女は言い訳の言葉を述べようとした。
見た目は若い人間の女のようだったが、肌が妙に青く、紫色の血管が透けて見えていた。口を開けば、尖った牙の姿が見え、話せば口から蒼き炎がこぼれ出る。その姿はまさに現世の者ではなかった。
「では、言い訳を聞かせてもらうか、羅刹女」
「そ、その前に髪の毛を離しておくれ。そう強く握られていたんじゃ、まともに話もできない」
「だったら、もっと苦しめてやろうか」
そう言うと冥閂は、羅刹女の長い髪の毛を更に引っ張った。
「あなやっ」
強く髪の毛を引っ張られた羅刹女は首を長く伸ばし、苦しそうな表情を浮かべる。しかし、その表情は何とも艶やかにも見え、妙な色気を感じさせた。
「さっさと言え。我の気が短いことは知っているであろう」
「わ、わかった、わかったから、もう髪を引っ張らないでおくれ」
「では、さっさと言え」
「呼ばれたのじゃ。丑の刻に誰かが冥府の扉を開けて、私を召喚したのじゃ」
羅刹女がそう言ったところで、何かがブチブチと切れるような音がした。
「あ……」
そう声を出したのは冥閂だった。
冥閂の手に握られた髪の毛。それを強く引っ張りすぎたせいで羅刹女の首が伸びきってしまったのだ。先ほどの何かが切れるような音は、首の筋が切れた音だった。
「やってしまったな」
冥閂はそう呟くと、羅刹女の髪の毛を離した。それと同時に羅刹女の首は力なく垂れ下がる。
すでに羅刹女は絶命していた。冥閂によって、重大な手がかりは失われたのだった。
平安奇譚 異聞小野篁伝 大隅 スミヲ @smee
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