最終話 この世で一番甘いもの

 怪我の完治と共に翔和とわの両親を訪ね、二人は結婚の挨拶といざ参る。

 改まった様子の二人にそれを察していたのか、息子が決めた覚悟に涼佳すずかは大喜びで飛び上がり、伯爵もまた、微笑ましそうに祝福を贈っていた。


「嬉しいわ、雅月あづきちゃん! これからもよろしくね」

「ああ、遂に私たちに義娘むすめが……。嬉しいよ」

「ねぇ、二人とも、どうせなら神前式にしましょうよ! 大安吉日抑えておくわ!」


 すると、目を輝かせて雅月を抱きしめた涼佳は、早速、二人にそんな提案をし始めた。

 わずか十年ほど前、皇太子様をきっかけに始まった神社での婚儀というものに、涼佳は相当興味を惹かれていたのだという。

 それまでは自宅で行うものだったせいもあるだろうけれど、唐突な言葉とはしゃぎように、当人たちはちょっぴり置いて行かれた様子だ。


「あの、母上……」

「さぁて、これから忙しくなるわね! とかく御代みしろ家の威信にかけて、雅月ちゃんにぴったりの素敵な花嫁衣裳を作らないと!」


 フンと鼻を鳴らさんばかりの勢いで腕をまくり上げ、彼女はなおも張り切り出す。

 正直雅月には、嫁入り道具も何もないので、御代家にあまり負担を掛けたくないところだが、大張り切りした彼女は最早止められそうにない。

 どうしたものかと伯爵に目を遣ると、彼は心底頼もしそうに妻の姿を見つめていた。


 ちなみに、これはあとで聞いた話なのだが、どうやら涼佳こそが御代伯爵家の血を持つ一人娘だったらしく、婿である伯爵が名目上爵位や当主を継いでいるものの、どうやら家の決定権は実質涼佳にあるらしい。

 翔和の話でも、様々な場面で涼佳の決定が重視されていた理由には納得だが、そのせいも相まって、しばらく御代家に婚儀に関する嵐が吹き荒れそうだ。



「……随分張り切ってたね、母上」

「ええ。しかし喜んでいただけたこと、本当に嬉しかったです」


 結局、二人の婚儀は希望通りの神前式と相成った。

 それに付随した祝言を初めとする日程も決まり、涼佳は早速動き出す。


「うん。たぶん父も母も、一年前までは僕の結婚を諦めていただろうから、相当嬉しいんだろう。じゃあ挨拶も終わったし、僕らは一時、別邸へと帰ろうか」

「はい」


 挨拶を終え、両親が退室した室内で、二人はどちらからともなく手を握る。

 空を舞う雪がけきった春。雅月は、桜と共に花嫁となるのだ――。





 そこからの日々は目まぐるしかった。

 元の生活に戻るため別邸へと帰ったは良いものの、時は師走も大詰めと言った頃合いだ。正月は早々に本邸へと呼び出され、二人は定期的に二つの家を行き来する。

 涼佳は雅月と会えることを心底楽しみにしているようだったが、その横で、翔和は甘味巡りの時間が減るとぼやいていた。



「……この場所に来るのは実に三年ぶり、ですね」


 そんなある日。珍しく太陽の光が降り注ぐ午後のこと。

 雪粒が光を反射してキラキラ輝く世界を、二人はゆっくりと歩いていた。

 行先は、雅月の両親が眠る、蒼依あおい霊園。

 立派な墓石には綿帽子のように雪が積もり、灰色の景色を白銀へと変えていた。


「わざわざ立ち寄っていただきありがとうございます、翔和。これでようやく、私の両親にも報告ができますわ」

「うん。僕だって、雅月のご両親に挨拶しないといけないしね。大事な娘をもらうのだから」


 白い吐息が空気へと溶ける中、二人は柔らかい色合いの菊とアスターの花束を供え、そっと手を合わせる。線香の香りが鼻孔をくすぐり、その場に静寂が訪れた。


(お父様、お母様。雅月は幸せになります。春が来たら、御代家の花嫁になるのです。御代家の皆様は本当に素敵な方ばかりで、毎日が楽しい。ここまでたくさんの心配をかけてしまったことでしょう。これからはお二人で、ゆっくりと過ごしてくださいましね……)


 心の中で語りながら、雅月はこれまでのことを振り返る。

 こうして報告に訪れるまで、どれだけの苦難があっただろう。

 一時は、捕縛されるくらいならと身投げさえ覚悟していたはずなのに。巡り巡った縁が未来を結び、ようやく亡き両親に胸を張った報告ができる。

 翔和の隣で深く目を閉じた雅月は、これまでの想いを吐露するように、長いこと両親に語り掛けていた――。





「帰りにあったかい甘味でも食べて帰ろうか。雪模様でないとはいえ、冷えたよね」

「分かりました。まだ睦月ですもの、寒さも堪えますわよね」


 様々な思いを語り目を開けると、翔和は静かに微笑んだ。

 優しい瞳に頷いて、雅月は笑顔で立ち上がる。

 神前式を終えたらまた来よう、翔和はそう言って手を差し出した。

 頭上から、白い陽光が降り注いでいる。



 蒼依霊園を後にした二人は、仲睦まじく手を繋ぎ、冬の小道を大通りへと向かって行った。

 霊園への来訪は初だったせいか、ここまでの案内役は雅月だったものの、知っている通りに出た途端、翔和は彼女をエスコートするように行きつけの純喫茶へと入っていく。


 温かいアッサムとオレンジペコを注文し、できたてのアップルパイに舌鼓。

 妹への宣言通り、チョコレートを始めとした甘味に慣れようと、最近は雅月も共に、甘味を食べることが多くなった。

 林檎の爽やかな酸味に、サクサクのパイ生地と粉砂糖の甘さが美味しくて、彼女の頬にも自然と笑みが零れ出す。


 目の前の翔和は、いつも通り浸るほどのメープルシロップをかけていたけれど、最早日常化した風景に、雅月が目を見張ることはなかった。



 そして、散歩をしながら自宅に帰ると、大きな雪だるまが出迎えた。

 連日の雪かきで大変そうな奉公人を気遣うべく、翔和が除雪作業を買って出た末の代物だ。

 律義にシルクハットを被り、小石や木の枝で顔や手まで作成された雪だるまは、さながら門番のように佇んでいる。


「案外雪だるまを作るのも楽しかったよ。今度は雅月も一緒に作ろうね。なんなら、精霊木に雪兎でも作って飾る? 南天の木なら向こうにあるよ」

「ふふ、そんなことをしては精霊たちに怒られませんか?」

「大丈夫だよ。なんとなく、そんな気がする。……っと、寒いね」

一先ひとまず屋敷内へ戻りましょうか。お茶を淹れますね」


 そんな会話をしながら、笑う雪だるまの横を通り過ぎ、二人は屋敷内の居間へと帰りゆく。

 分厚い炬燵こたつ布団がかけられた卓の上には、西洋の文字が描かれた美しいデザインの箱がいくつか置かれ、中には美味しそうなミルクチョコレートを始めとした西洋菓子に溢れていた。

 これらはすべて、西洋菓子博覧会で知り合ったリリーヌ姫からの贈り物だ。


「姫様のチョコレートボックス。なかなか減らないねぇ、雅月。今日もチョコレート訓練、頑張るんでしょう」

「ええ。頑張ります。しかし、チョコレートがもたらす甘さに如何せん慣れなくて……」


 急須と湯飲みを準備し、渋み際立つ緑茶をこぽこぽと注ぎながら、雅月は苦笑を返す。

 毎日ひと欠けずつ、彼女は訓練と称してチョコレートやチョコレート菓子をいただき、その甘さに慣れようとしていた。

 もっとも、チョコレートクッキーにミックスベリージャムを浸すような甘党が隣にいる以上、普通の菓子くらい食べられるのでは、という錯覚に陥るものの、その進捗はあまり芳しくない様子だ。


 薄桃色のかわいらしいパッケージを見つめ、躊躇う雅月に翔和がフフと笑い出す。


「大丈夫だよ、雅月。チョコレートは甘くない。だって、僕は雅月の方が甘くて好きだもん。やっぱりきみは名前通り甘くって、触れる度それを実感してしまうんだ」

「……!」


 難しい顔で小首をかしげる彼女を抱き寄せ、その頬に手を添える。

 目を見開いた雅月の顔が赤くなって、少しだけ、瞳が潤み始めた。


 そんな彼女を見つめた翔和は、


「この世で一番甘い僕の花嫁。これからも一緒に、たくさんの甘味を巡ろうね」


 柔らかく蕩けるような笑みを見せ、願うようにそう語る。

 途端障子越しに光を感じ、二人は何気なく、縁側から外を見遣った。


「……!」


 すると、真っ白な雪に彩られていたはずの精霊木が花を咲かせ、柔らかな桜色の光と共に、風に舞った花びらが、思わずガラス戸を開けた二人の周囲をひらひらと踊り出す。


 幻のように幻想的で、美しい精霊たちの祝福――。

 ゆっくりと消えゆく花びらに永久とこしえの縁を悟り、彼らは互いに微笑んだ。


 清い心と甘い好きが結んだ縁の先。

 二人は今日も、甘味を巡る――。



 完

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【新装版】チョコレートは甘くない -甘いが紡ぐ縁の先で少女は甘党貴公子と恋をする- みんと@「炎帝姫」執筆中 @minta0310

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