第27話 悪縁去って良縁来たる
状況と強がりとアドレナリンのせいで平気そうに見えたものの、怪我の状況は存外ひどく、全治二週間と告げられる。
おそらくはショックから、数日熱でも出して寝込むだろう。
そして、共に話を聞いていた
翔和は別邸でもよいだろうと主張していたが、母の笑顔の押しには敵わない。
結果、翔和も実家に泊まることとなったものの、どうやら彼が二日以上本邸に留まるのは五年生中学校時代以来らしく、その場に若干の動揺が走ったことに、雅月は思わず笑っていた。
そして、今日は滞在二日目。
薄い雲からはらはらと小さな雪が舞う、穏やかな朝……。
(ああ、なんだか背徳的な気分になって来た……)
主治医の予想通り、あの日の夜から熱を出した雅月は、今も時折
苦しげな吐息が唇の隙間から漏れ、冷えた室内に消えていく。
そんな雅月の横で、翔和は添い寝をしてあげながら、優しく髪を撫でていた。
熱を帯びたぬくもりにどきどきして、変に力が入ってしまう。
朝方、心配になって部屋を訪れた翔和に、雅月の方が寒気がするので傍にいて欲しいとお願いしてきたのだ。
以前添い寝の話をしたときは、そういうことは奥様を見つけてからしてください、なんて言っていたのに、傍を許されると心がふわふわして落ち着かなくなる。
(雅月は本当に狡いなぁ。無理して頑張って、強がりで、甘えるのはとことん下手なのに、時折素直に心内を露わにしながら甘えられると、本当に我慢できなくなるんだよ。まぁ、そう言うところも好きなんだけれどさ……)
分厚くて軽やかな布団を肩まで掛け、顔を真っ赤にして眠る彼女の頬に触れる。
弱った彼女をどうこうする気はないけれど、次にこんな機会が来たならば、もう自制できる自信が翔和にはない。
きっとめちゃくちゃに彼女を愛してしまうだろうと自覚しながら、今はただ、早く熱が下がることを願った。
雅月の熱が下がったのは、それから三日ほどのことだった。
ようやく熱と腕の腫れも引き、転倒の際細かにできた擦り傷も、わずかな
それでも頻繁に、まるで争うように翔和と涼佳がやって来て面倒を見てくれるので、寂しい気持ちになることはなかったけれど、なんだか本当に、家族ができたみたいで。
「雅月、少し話せるかな」
そんなある日の午後、嫌々
大きな茶封筒には流麗な文字で「報告書」の文字と、警察からの書類であることを示す印字が押されている。
「
「……!」
下手に包み隠さず、雅月の隣に腰を下ろした翔和は、さっと報告書を取り出した。
本来は自分で目を通せればよいのだが、右腕の使用は極力禁止されている。
寄り添うように優しくくっつき、用紙を掲げた翔和は、要点をまとめて言った。
「取り
「そうですか。一人でも多くの方が元の生活に戻れると良いのですが……」
「うん。あと、雅月の妹に関しては、自身の父親に対する阿片摂取の
出来るだけ淡々と、いつもの調子を崩さないように、翔和は杏子の処遇を語った。
今回の逮捕劇に際し、子供たちの実態を知らなかった
もちろん、監督不行き届きに対する処遇に文句はない。
だが、雅月の父である天宮
もう二度と会うこともない、形だけの義母だったあの人に同情する気はないけれど、少しでも、娘の教育方針を後悔してくれればと、雅月は心の中で思ってしまった。
「……禁欲的な生活。自らの欲のままに生きてきたあの子には、辛い処罰になりますね。でも、あの子はまだ十六歳です。きっと改心できると信じたいと思います」
「フフ、雅月はいいお姉さんだよね。あんな目に遭っていたのに。でも、妹の悪意があったおかげで雅月に出逢えたと思えば、僕も少しは感謝すべきなのかな」
読み上げた報告書を畳の上に置き、腕の傷に注視しながら、翔和は雅月を横抱きにする。
杏子の件が片付いてからというものの、翔和は今まで以上に愛情を目に見える形で表すようになった。
二人でいれば定期的に抱きしめて来るし、日に一回は口づけを望んでくる。
流石に身の回りの世話や食事の介助は涼佳に取られてしまい出番なしとなっていたが、対抗心を燃やして甘味を餌付けしてくる翔和に、雅月はまだどこか照れを拭えないでいた。
「そ、そう言えば、翔和。先程仰っていたもうひとつの「良い報告」とは一体何事ですか?」
「ん?」
抱きしめたまま動かず、ただ彼女を感じるように沈黙する翔和の様子に、傍にある火鉢とは比べ物にならないほどの熱を覚えながら、雅月は耐えられなくなったように問いかけた。
ただでさえ傍にいるとどきどきしてしまうのに、その上話題がなくなってしまうのは、耐えられそうもない。
そう思い問いかけると、翔和は思い出した顔で言った。
「ヒロがようやく、イナちゃんとの結婚に踏み切るそうだよ」
「……!」
「あの逮捕劇の際、イナちゃんが一歩間違えれば巻き込まれていたと知って、ようやく許婚がいる日常があたりまえじゃないと気付いたみたいだね。これからはもっと大事にしなきゃ、なんて、変態のくせに真面目なことを報告されて鳥肌立ってきたところさ」
最後の言葉だけ冗談のように付け足して、翔和は優しく笑った。
どうやら、非日常の体験を通して、二人の縁はようやく結ばれる。
散々悩み、幾度も相談を受けていた雅月は、怪我が完治したら盛大にお祝いをしてあげたい気持ちになりながら、柔らかく微笑んだ。
「それはとても喜ばしいことですね。先日の見本市で、
「へぇ。確かに
「へっ?」
何気ない話をしたつもりがさりげない問いへと変わり、雅月は思わず目を瞬いた。
隣を見上げると、翔和は視線を外したままどこか赤い顔をしている。
そう思うと余計に恥ずかしくなって、彼女はしどろもどろに呟いた。
「え、えっと……、
「そっか。うん。似合うと思うな。なら、その姿で僕の隣には立ってくれるかい?」
「……!」
雅月の答えに咲笑い、今度はしっかりと見つめ、翔和は静かに問いかけた。
これはつまり、求婚と採っていいのだろうか。
半年前、初めて告白されたときは、結婚には興味がないと言っていたのに。雅月との縁を、形にしようとしてくれているのだろうか。
嬉しくて信じられなくて、瞳がうるうる潤みだす。
「結婚しよう、雅月。僕の妻として、永遠にきみを守らせてほしい」
すると、懸命に肯定しようと頬を染める雅月の前で、翔和はより正確な言葉を告げた。
最早疑いのようのない求婚に涙が滲み、大きく頷く。
すべての悪縁――家のこと、妹のことに決着がついた今、雅月の未来を阻害するものは何もない。これが、父の言う正しく生き続けた結果なら、
「はい。ずっとずっと、お傍にいたいです。どうか末永く……」
「うん」
最後の言葉を分かち合うように、二人は唇を重ねる。
この縁が永遠に途切れないよう、強く願いを込めた口づけは、蕩けたチョコレートみたいに柔らかく、甘かった。
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