第26話 姉妹の縁

 パァンと大きな音が、雪の舞う世界に響く。

 目の前で起きた出来事に、誰もが言葉を失くしていた。


 眞銅しんどう暦時れきじが放った弾丸は、警官たちにより拘束されていた杏子あんこの心臓をめがけて飛翔し、それを庇おうと、雅月あづきが咄嗟に飛び出してくる。

 刹那、何が起きたのかも分からない状況で、姉妹は雪に濡れた地面へと倒れ込んだ。

 途端鮮血がじわりと滲み出てくる。


「雅月!」

「お前たち、今すぐあの男を拘束しろ!」

「お嬢様! すぐに状況を……!」

「きゃああ、雅月さん!」


 混乱と悲鳴と、動揺。

 沈黙を経て騒然となった場で、警官隊は逃亡を試みる眞銅暦時を追いかけ、手荒な手段で拘束を試みる。

 一方、翔和とわ真緒まおはすぐさま雅月に駆け寄り、なすすべなく状況を見ていた維南いなみは、悲鳴を上げてへたり込んだ。


 仰向けに倒れた杏子は、ショックと衝撃に気を失っているようだが、外傷はみあたらない。

 そんな妹を庇うようにうつ伏せで倒れた雅月は……。


「う……っ」

「雅月? 雅月、しっかり」

「はぁ、痛た……」


 荒い息をした彼女は、のろのろと起き上がると右腕を抑えた。

 無残に破れてしまった紅桃色の着物の周囲は赤く染まり、腕を伝って指先からぽたぽたと赤い血が滴ってくる。幸い、弾は直撃や貫通ではなく掠っただけのようで、近くには弾痕が見て取れたものの、なんて危険な手段に出たのだろう。

 全員の顔が蒼白となる中、雅月は気を失った妹を見つめる。


「杏子は、一応無事みたいね……よかった」


 誰にともなく呟いた彼女の顔には、小さな笑みが浮かんでいた。

 あれだけ罵詈雑言を浴びせられ、押し付けられた借金にずっと苦しめられていたはずなのに。妹を見つめる雅月の表情に、侮蔑も後悔もありはしない。

 すぐさま止血をしてやりながらそれを確認した翔和は、彼女を強く抱きしめると、どこか呆れたように笑った。


「まったく、清く正しくも大概にしないとね。間違いなく命は平等で、一方的に奪われるべきではないけれど、妹のために無茶しすぎだよ」

「……!」

「流石雅月、とは思うけれど」

「……ごめんなさい、翔和。咄嗟に体が動いてしまって」

「うん。でも家に帰ったら医者を呼ぼうね。治るまでつきっきりで看病してあげるから」


 しゃがみ込んだ状態で強く彼女を抱き寄せ、翔和は甘く囁く。

 降り続く雪は、二人の着物やスーツ、そして地面を濡らし、震えるほどの寒さが傍にはあるはずなのに。彼女を近くで感じるほど、そんなものは気にならなくなりながら、翔和は真緒や維南が見ている状況でなお、気が済むまで彼女を抱きしめていた。


「いったぁ……」


 そうしているうちに、警官隊に捕縛された眞銅暦時が車に押し込められ、杏子がゆっくりと目を覚ます。

 頭を軽く打ったのか、目を瞬いた彼女は、起き上がりざまに雅月を見つけると、また恐ろしい表情を見せていた。

 しかし、ひとつ間を開けた彼女は不思議そうに睨んだまま、小さく口を開いた。


「……どうして、私を助けたのです」


 硬い声音で問う杏子は内心混乱しているのだろう。

 高潔で平等で、凛と正しさを大事にする姉のことを、自分に与えてくれない彼女のことを嫌っていたはずだし、姉もまた、自分を恐れていると思っていた。

 だからこそ、助けられた現状が理解できず、声音に疑問が浮かぶ。


「あなたは私の妹だもの。確かに血の繋がりは半分で、あなたは私を快くは思っていないでしょうけれど、それを理由に見殺せはしない」

「……!」

「偽善だと思うならそれでも構わないわ。私は、自分の思うままに動いただけ。でも、少なくとも私は、あなたに死んでほしいとは思わない」


 珍しく姉を正面から見つめ、ぼそりと呟く杏子に、雅月は淡々と説明した。

 打算などまるでなく、純粋に「妹だから」を理由とした雅月に、杏子は驚き、釣り目がちの黒い瞳が丸くなる。

 だが、彼女としてもそれが本心と悟ったのだろう。


「余計なことを……」


 呟きながら立ち上がった杏子は、自ら警官たちがいる護送車の方へ歩いて行った。

 そして、彼らに促されるがまま、武骨な車へと押し込められる。

 先程までと打って変わり、彼女に抵抗の意思はないようだが、あまりにもあっけない逮捕劇に、散々手こずっていた警官たちは驚いた様子だ。


「ではこれより、彼らの護送を開始いたします。処遇については決定次第、口頭及び文書にてご報告させていただく所存。よろしいですかな?」

「僕は問題ないよ。一応被害者として、最終的なことの顛末は詳細に聞きたい。真緒を窓口にしてくれても……」

「杏子」


 すると、姉の持つ善意に触れ、喚く気力すらも折られたように大人しくなった妹に、雅月は護送車が出る直前、そっと名前を呼び掛けた。

 車窓越しに顔を上げた彼女は無言を貫いているものの、姉の言葉を聞く気はありそうだ。

 それを悟った雅月は、静かに口を開き。


「これから先、あなたが人を思いやれる人になることを願っているわ。与えられるだけじゃない。与えて思いやって、それがきっと、良縁を運んでくる。罪を償い、あなたが改心できたときは、一緒にお茶でもしましょう」

「……!」

「あなたの好きなチョコレート、私も克服しておくから」

「……フン」


 一瞬とはいえ、妹が命の危機に瀕したせいだろう。

 彼女に抱いていた恐怖がどこかへ霧散してしまった雅月は、姉の顔でそう告げた。

 途端彼女は小さく鼻を鳴らしたけれど、なんとなく、肯定された気がして。

 雅月の表情に柔らかな笑みが浮かぶ。


 だけど、こうやって杏子に優しく声を掛けるのはいつ以来だろう。

 思い返せば、昔は杏子にも普通に話しかけられたものだ。

 それがいつからか歪んでしまい、喚くような言葉と罵詈雑言ばかりを浴びせてくる妹に、雅月は怖くて近付けなくなってしまった。


 本当はもっとちゃんと話をして、理解してあげられれば、天宮あまみや家に降りかかった参事はなかったのかもしれない。

 それが後の祭りである以上、口に出す気はないけれど、妹の暴走が終結した今、姉妹を隔てる確執も終わりにしてしまいたい。

 雅月の中にいつの間にか、そんな気持ちが芽生えていた。


「お姉様は本当に、反吐が出るほどお父様の矜持に忠実ね。清く正しくを掲げ、罪を憎んで何とやらかしら。本当に、嫌い」

「……」

「でも、私の中にあるお姉様の情報は、ほとんどがお母様から聞いたものだわ。助けられるとは思わなかったし、驚いているのも本当。……だから、一回くらいは考えてあげる」


 最後の言葉は、消え入るほどに小さなものだった。

 だが、確かに紡がれた言葉に、雅月は大きく頷く。


 これで途絶えかけていた姉妹の縁も、多少は修復されたことだろう。

 動き出した車が路地を曲がり、見えなくなるまで目で追いながら、彼女は妹の行く末を静かに見守った――。





「さあ雅月、家に帰ろう! 話が長引くほどに気が気じゃなくなってきたよ。早く消毒して、適切な処置を……!」


 と、姉妹のやり取りを少し後ろで見ていた翔和は、雅月が視線を戻した途端、やけにはらはらした声音で言い出した。

 状況のせいか、右腕の痛みはさほど気にならなくなっていたのだが、万が一黴菌ばいきんでも入ろうものなら一大事ということだろう。腕の怪我を避けるようにぎゅーっと抱きしめてきた翔和は、何を思ったのかそのままお姫様抱っこをしてくる。


 ひゃあ、と変な声が漏れて、雅月は海外の小説でしか見たことのない状況に混乱してしまった。それこそぴったりと身体が密着し、全体重を彼に預けているのだ。

 普段見ているのとは違う視点から間近に覗く柔らかな美貌も合わさって、腕の傷どころではなくなる。


 触れられた部分が熱を持って、本当に……。


「あの……!」

「なら二人とも本邸うちに来なさいな。まったく、羊羹を買いに来ただけがとんでもないものを目撃してしまったわ」

「……!」


 そのときだった。

 警官たちが去ったことで閑散とした路地の向こうから、付き人を従えた女性が姿を現した。

 深い緑色の着物にきっちりと結われた丸髷、凛とした眼差しでこちらを見つめるのは、偶然この場に居合わせたらしい涼佳すずかだ。


「母上!?」


 だが、予想外の人物の登場に、翔和はもちろん、雅月や維南も動揺していた。

 伯爵夫人の持つ高貴な雰囲気に、その場の空気が凍りつく。


「もう、驚くのはあとよ、翔和。さっさと雅月ちゃんを運びなさい。どんな状況だろうとお嫁さんに怪我を負わせるなんて、帝国男児失格ね! しばらく甘いものは禁止よ」

「えっ、いや……」

「維南ちゃんも一先ひとまずいらっしゃい。裕也ひろなりくんに連絡して、迎えに来てもらいなさいな」


 粛々と翔和の傍に歩み寄り、背中をバシバシと遠慮なく叩きながら、涼佳はあたりまえのように彼らを促した。

 しかし、どこからともなく現れた彼女に対する驚きはまだ拭えなくて、誰もが上手く言葉を紡げない。

 すると、それを気にした様子もなく雅月に歩み寄った涼佳は、息子の腕に抱かれる彼女の頭を撫でながら優しく笑った。


「意識はあるわね、雅月ちゃん。杏子ちゃんとの結末がまさかこんなことになるなんて。よく頑張ったわ。さ、家に向かいましょう。今人を向かわせたから、すぐにでもうちの主治医が来てくれるわ」

「え、あ……」

「ほら、翔和。ぼうっとしてないで歩く! 家に帰ったら色々聞かせてもらうんだから!」


 誰もが置いてきぼりとなる中、涼佳はなおもてきぱきとその場を仕切り出す。

 その姿は流石大店おおだなを切り盛りする伯爵夫人と言った様子だが、有無を言わせない雰囲気に維南は頷き、翔和も押し負けたように黙り込んだ。


 一方、その横で雅月は、お姫様抱っこのまま人目のある通りを行くという現実に、叫び出したい気持ちを懸命に堪えるのだった――。

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