渡せなかったお守り

第13話

――十一月二十八日。

  

 今日日直の私は、放課後に先生から頼まれていた学年だよりと広報だよりと進路通信のプリントを教室後方の掲示板に張り替えていた。

 高いところの作業なのでイスを足場にしている。

 ガヤガヤと賑わう教室内は、扉に吸い込まれるように人が消えていく。私は一つ一つ消えていく声を浴びたまま作業を続けた。

 すると、波瑠が後ろから声をかけてきた。



「まひろ、ごめんっ! 私、バイトだから先に帰るね」


「うん! バイバイ。また明日ね〜」



 波瑠の背中を見送っていると、その後ろから星河と櫻坂さんが教室を出ていこうとしている。

 最近は見慣れつつあるけど、二人でいるところをあんまり見れなくなってきたというか、見たくないというか。


 ふぅ、とひと息をついて顔を掲示板に向ける。

 先に先月号の掲示物の画鋲を引っこ抜いて手前のロッカーの上へ置いた。次に新しいプリントを貼ろうしたけど、先ほど貼ってあった場所まで手が届かない。


 あともう少しなのに届かないな。三枚を縦一列に貼るには、一枚目をさっきの高さから貼らないと貼りきれなくなる。

 つま先立ちをして画鋲を押し込むと、ちょうど後ろを通った人の何かが私の左足にドンッとぶつかった。

 その瞬間、足元がよろけたせいで体勢を崩してふわりと体が宙に浮いた。



「えっ…………」



 一瞬にして遠ざかっていく天井。

 そして、追いついていかない気持ち。

 バランスを崩した体は一気に地面へと叩きつけられていく。


 ガッターーーン!!


 爆音が教室内に走ると、私に衝突した葛原くんの目に加えて教室に残ってる生徒たちの目線が一気に集中した。

 派手に転んで恥ずかしいと思う以前に気持ちがついていけない。

 次第に教室内はざわつき始めて一人一人が吸い寄せられるように寄ってきた。私はあっという間に注目の的に。

 しかし、そんなことが気にならないくらいの激痛が左足首に走っていき、手で押さえたまま悶絶した。



「いったぁあ〜〜っっ!!」


「鶴田、ごめん!! 大丈夫?? よそ見をしてたから後ろで作業していたことに気づかなかった」



 葛原くんは心配の目で私の前にしゃがみこんだ。

 私は心配かけまいと思って首を横に振る。



「だっ、大丈夫だよ……。平気、へーき……」


「すげぇ音だったけど、打った箇所をちょっと見せてみ?」


「足首が……。でも、心配しないで…………」



 強がってはいたものの床に手をついて体を起こした途端、ピキーンと稲妻のような痛みが襲ってきた。



「……っっ、たぁああ〜〜!!」


「手を貸そうか? 保健室連れて行くよ」


「ううん、大丈夫っ。気にしないで」



 痛みを堪えて苦笑いしながら葛原くんにそう言うと、人の輪の隙間から星河が姿を現した。

 私の前にしゃがみ込んで左肩に手を当てて顔を覗き込む。



「足、くじいたんじゃない?」


「だ、大丈夫……痛っ!!」



 体勢を変えるだけでも激痛が走る。

 心配かけまいと思って強がっても、痛みは正直だ。

 はぁ……、情けなくて泣けてくるよ。


 気が滅入ったまま再び立ち上がろうとすると、星河は後ろを向いてから私の両手を引っ張って立ち上がり、膝裏に手をまわしておんぶをした。

 私は急展開に驚いて一瞬痛みを忘れた。



「ちょ、ちょっと……。おんぶなんてしなくていい!! 一人で歩けるから」


「全然大丈夫じゃないでしょ。とりあえず保健室へ行こう」


「保健室はわかった。わかったけど、おんぶはちょっと……」


「お前は無理するところあるから言うこと聞けない」


「あ…………う……ん。ごめん。ありがと」



 このまま意地を張り続けてもどうしようもないと思ったので、素直に言うことをきいた。

 すると、星河は扉の方に体を向けてから葛原くんに言った。



「葛原、俺が保健室連れて行くから心配しないで」


「ありがとう……。鶴田、本当にごめんね」


「ううん。葛原くん気にしないで……」

 


 それから星河は私をおんぶしたまま保健室に向かった。ぼたんどころか、教室や廊下にいる生徒たちの視線を集めながら。


 星河……。

 さっき、櫻坂さんと一緒に帰ったんじゃなかったの?

 もしかして、私の叫び声に気づいて戻ってきたのかな。

 ……まさか、ね。


 

 ――背中は星河の香りがした。

 私がよく知ってる懐かしい香り。いつもこの香りに守ってもらっていた。



「昔もこんな事があったね。小学生の頃、自転車に乗ってた時に転んでさ。膝をすりむいたら星河がおんぶして家に連れて行ってくれたよね」


「あの時はお前の体が重くて足が潰れるかと思ったよ」


「もう!」


「今も潰れそうだけどね」


「こらっっ!!」


「いてて……。ばかっ、グーで殴るなって!」



 私がケガをすると星河はいつも一番に気づいてくれた。私以上に泣きそうな顔で心配しながら。

 今は生意気なことばかり言ってくるけど、昔と変わらずに気にかけてくれている。



「…………俺、おじさんと約束したから」


「えっ、何て?」


「秘密」



 星河の背中はあたたかくてがっしりしていて、小学生だったあの頃と比べて随分広くなった。

 もう、私が知ってる背中じゃなくなっちゃったね。



 保健室に到着して養護教諭から手当を受けた。

 ……と言っても、簡単に診察してもらって、湿布の上からネット包帯を巻いてもらっただけ。これだけでも少し楽になった。



「簡単に診てみたけど、打撲っぽいわね。でも、念の為に病院に行ってね」


「骨折じゃなさそうで良かったな」


「うん。……星河、ありがとう」



 私はイスから立ち上がって隣に立つと、星河はすかさず横についた。



「歩けそう?」


「うん、さっきよりは痛みが引いたから平気」


「叔父さんにはバイトを休むように伝えとくから。病院行ってこいよ」


「わかった。……あっ、そうだ! あのね、今度のパティシエコンテストで優勝出来るように神……」



 扉付近で櫻坂さんがいない隙を狙って、昨日購入したお守りを渡そうと思いブレザーのポケットに手を突っ込んだ瞬間。


 ガラッ……。



「星河いる〜?」



 空いた扉の向こうから櫻坂さんが現れた。

 私は思わずポケットから出しかけていたお守りをサッとしまう。



「どしたの?」


「星河が教室に戻ってこないから迎えに来たの。……鶴田さん、足大丈夫?」


「……あ、うん。心配してくれてありがとう」


「ううん。平気そうで良かった。幼なじみだと余計心配しちゃうよね。……じゃあ、星河。帰ろっか」


「待たせて悪かったな」


「ううん。鶴田さん。じゃあ、この辺で」


「うん。バイバイ……」


「じゃあな」



 私は廊下に進んでいく二人に軽く手を振って見送った。

  

 幼なじみ……か。

 櫻坂さん、保健室まで迎えに来るくらいだから少し怒ってたのかな。急に現れてびっくりしたよ。

 お守り……、渡しそびれちゃったな。残念。

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