第7話 事件の余韻

大広間に漂っていた緊張は、ジェイコブが告白した瞬間から徐々に和らいでいった。だが、それは単に表面的なものであり、家族の間には今もなお、解決しきれない感情が複雑に絡み合っていた。ポアロは静かにその場に立ち、全員の様子を見守っていた。彼の鋭い観察眼は、家族それぞれの心に残された傷跡を見逃さなかった。


サー・ヘンリーは、深い溜息をつきながら椅子にもたれかかり、遠くを見つめていた。「家族の名誉を守るつもりが、かえって壊れてしまったのか……ジェイコブ、君がそのような行動を取るとは思わなかったが……長年我が家に仕えてくれたことには感謝している。」


ジェイコブは膝をついたまま、視線を下に落とし、答えなかった。彼の心には、すべてを明らかにしたことによる安堵と、後悔が入り混じっていたのだろう。


一方、メアリーは窓の外を見つめ、静かに涙を拭っていた。彼女にとって、家族の秘密が明らかになることは、ジョージを救うための第一歩だった。しかし、それが同時に自分をも深く傷つけるものだということに気づかされていた。彼女の震える手は、今でもジョージが襲撃された夜の恐怖を忘れられないでいた。


「ポアロさん……」メアリーが静かに言葉を紡いだ。「私たちは、どうすればよいのでしょう? 真実が明らかになった今、私たちは何を守り、何を信じればいいのか……」


ポアロは優しい笑みを浮かべ、彼女の方に歩み寄った。「メアリーさん、真実を知ることは時に苦しいことです。しかし、それこそが新しい始まりの鍵です。家族の名誉とは、決して秘密を隠すことではありません。むしろ、過去を受け入れ、未来に向かって進む力です。」


「ですが、ジョージは……」彼女は息を詰まらせた。「彼はまだ意識が戻っていません。彼を救うためにできることは……もうないのでしょうか?」


ポアロは静かに頷いた。「医師たちは全力を尽くしているはずです。そして、あなたの心が彼に寄り添い続ける限り、ジョージさんはきっと戻ってきます。何よりも、今あなたが持っている真実を彼と分かち合うことが、彼を支える最も強力な力となるでしょう。」


メアリーは涙をこらえながら頷いた。「分かりました。私はジョージを信じます。そして、この家族も、過去に囚われずに前へ進むべきですね。」


ポアロは微笑みを浮かべ、彼女の肩にそっと手を置いた。「その通りです、マドモアゼル。真実は時に辛いものですが、それを乗り越えることで、より強い絆が生まれるのです。」


その時、部屋の隅にいたレディ・イザベルが静かに立ち上がり、ポアロに近づいてきた。「ポアロさん、あなたが私たちの家族を救ってくれたことに感謝します。しかし、私たちはこの事実とどのように向き合うべきなのでしょうか? 家族の名誉は既に崩壊してしまったのかもしれません。」


ポアロは穏やかに彼女に向き直り、優しい口調で答えた。「レディ・イザベル、名誉とは必ずしも外見や秘密に基づくものではありません。むしろ、あなた方がどのように過去の過ちを受け入れ、それに向き合うかによって、真の名誉が築かれるのです。」


レディ・イザベルは深く頷き、わずかに微笑んだ。「あなたの言う通りです。私たちは、この家族が再び一つになれるよう、努力を続けます。」


その後、ポアロは家族全員に目を向け、穏やかな声で結んだ。「皆さん、この事件は一つの終わりを迎えましたが、それは同時に新たな始まりでもあります。過去を振り返り、そこから学ぶことができるならば、未来は必ず明るいものとなるでしょう。」


その言葉に、家族全員が静かに頷いた。彼らの表情には、それぞれに違った感情が浮かんでいたが、全員が未来に向けて進む決意を新たにしていた。館の中に漂っていた重い空気は、徐々に解け始め、やがて夕暮れの柔らかな光が窓から差し込んできた。


ポアロは最後に、そっと自分の帽子を手に取り、ヘイスティングズに向かって微笑んだ。「さて、ヘイスティングズ、我々もそろそろこの美しい館を後にしましょうか。次の事件が待っているかもしれません。」


ヘイスティングズはポアロの軽口に少し微笑みながら頷いた。「そうだな、ポアロ。君がいれば、どんな事件も解決できると信じているよ。」


二人は館を後にし、静かな夕闇の中を歩き始めた。遠くで鐘の音が静かに響き渡り、ヘンリー館の物語は幕を閉じた。しかし、新たな希望と共に、家族は再び立ち上がろうとしていた。

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名探偵エルキュール・ポアロ〜「消えた肖像画の謎」〜 湊 町(みなと まち) @minatomachi

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