第四の夢_夢より出づる


 夏休みが明けた新学期の初日。朝のホームルームの時間に、僕はそれを知った。


「えー、大変、悲しく残念なお知らせがあります。既にテレビのニュースなどで、皆さん、知っている人も多いと思いますが、この学校の生徒のご両親が事件に巻き込まれ、お亡くなりになりました。幸い、生徒さん御本人は無事だと聞いていますが、大変なショックを受けているとのことで、今はちょっと学校に来られるような状態ではないということです。その生徒さんがまた学校に来たときには、皆さん、クラスは違いますが、同じ学校、同じ学年の仲間として、温かく迎え入れて、寄り添ってあげてください。もちろん、先生達も全力で支えるつもりですが、皆さんだからこそできることもあると思います。どうかよろしくお願いします。また、まだ犯人は捕まっていないとのことです。皆さんも下校の際は何人かでまとまって帰る、家の戸締まりはしっかりするなど、身の回りの安全には十分に気をつけてください」



 生徒の名前は伏せられていたが、教室内に広がった生徒達のどよめきとささやき声が僕に答えを教えてくれた。



 五組の藤島君が……

 うっそ、拓也君?……

 拓也の親ってマジ?……

 変死体だって……

 ニュースでやってたよ……

 中身が全部……とか……

 拓也君かわいそう……

 惨殺かよ……

 持ち去られて……



 僕は呆然とするしかなかった。拓也。拓也の両親が殺されていたなんて。あいつとは、あの合宿以来一度も会っていなかった。どんなに辛かっただろう。線香をあげに行っても良いだろうか。でも、親を二人共亡くしたばかりの友人に、僕はどんな言葉を掛けたらいいだろうか……

 ホームルームが終わり、夏休みの宿題を提出したり、始業式で校長の話を聞いたりしたはずだが、僕は拓哉を襲った不幸に心を囚われたままで、気が付けばもう下校の時間になっていた。クラスメイト達は帰り支度をして次々と教室を出ていく。しかし僕はなせだかそこから動けなかった。


「悠介」


 不意に声をかけられて振り向く。


「……潤一」


 声の主は潤一だった。合宿の時に同じ部屋で過ごした友人の一人。拓哉も、そうだった……


「ちょっと今、時間いいか」


 久し振りに会った潤一は、合宿の時よりいくらかやつれたようで、張り詰めた糸のような危うさを感じさせた。何かただならぬ雰囲気を察して、「ああ」と一言だけ応え、あとは黙って彼に付いていく。

 連れて行かれたのは空き教室だった。普段あまり掃除もされていないのか、中は埃っぽく、外の日差しはカーテンにより遮られ、薄暗い空気が立ち込めている。どうしてこんなところに……人に聞かれたくない話なのだろうか……

 潤一が扉を閉める。明かりもつけずに手近な空いている席に向き合って座ると、彼は開口一番こう聞いてきた。


「あの合宿の夜、あいつがした怖い夢の話、覚えてるか」


 僕は少なからず面食らった。てっきり拓哉の話をするとばかり思っていたから。


「あいつが……って、ああ、覚史君が見たっていう夢の話か?」


「そうだ、そうだけど、違うんだよ。あれはあいつが見た夢じゃないんだ。あの時、怖い夢の話をするって言って、三つ話しただろ。あいつ、自分の夢の話なんかしちゃいないんだ。くそっ、あの一番目の夢の話、あれは、俺の見た夢の話なんだよ!」


「は……?」


 空気が抜けるような間抜けな声が自分の口から出た。言っている意味が分からない。思考が追いつかない僕に構わず、潤一の声はさらにヒステリックな色を帯びていく。


「あれは、合宿よりも前に俺が見た夢なんだよ!俺も夢の内容なんて忘れてたから最初は気付かなかったけど、聞いてるうちにはっきり思い出したんだ。なんでこいつが俺の夢の内容を知ってんだってびっくりして、でも怖くて何も言えなかったんだよ!」


 潤一は痛々しいほど蒼白な顔をしていた。とても冗談を言っているようには見えない。一番目の夢の話……確か、塾の帰りに前を歩く女から逃げられなくなるといったような話だった。一ヶ月近く前に聞いた話なのに、不思議と記憶に残っている。あれが覚史君じゃなくて潤一の夢?そんな馬鹿なことがあり得るだろうか……自分が見た夢の内容を他人が話していただなんて、そんなことが……


「その、言いにくいんだけど、勘違いとかじゃないのか。話を聞いているうちに自分の夢のような気がしてきたとか……」


 僕は控えめに尋ねたが、潤一は首を横に振った。


「最初はそう思ったんだよ。俺がおかしいのかもって。でも俺、もしかしたらと思って、拓也と響介には合宿の次の日に連絡取ってみたんだよ。お前はスマホ持ってなかったし、ずっと親戚の家に行ってたみたいだからできなかったけど……そしたら、やっぱり俺の思った通りだった。二番目の夢の話は響介の夢で、三番目の夢の話は拓也の夢だったんだ……」


 急に拓哉の名前が出てきて心臓が跳ね上がった。両親を殺された拓哉。飄々としてマイペースだった拓哉。合宿最後の夜の、あの怯えた表情が脳裏によみがえる。あの時、拓哉は怖い夢の話を遮って大声で「やめろ!」と叫んだ。あれは、自分の夢を語られていることに気付いたからだったのか。それとも夢の結末を知っていて、聞きたくないがためのことだったのか。

 響介。僕は、響介は途中で寝たんだと思っていた。お喋りなあいつの声が、いつの間にか聞こえなくなっていたから。でも、あいつが喋らなくなったのはどのタイミングだっただろう。もしかしてそれは、二番目の夢の話を聞いてからじゃなかったか。潤一と同じように、途中で自分の夢を語られていると気付いて、恐怖で喋れなくなってしまったのか。


「でも」


 潤一の言葉で思考が中断される。


「本当にヤバいのはこの後からだったんだ」


──本当に怖い夢は、覚めても終わりじゃないんじゃないかな──


 不意に覚史君の言葉が脳裏によみがえる。

 違う。どれだけ怖くても、夢は覚めたら終わりだろ。


「あいつが三番目にした夢の話、覚えてるか」


 潤一の声で再び意識を引き戻される。


「あぁ、確かサーカスで変なピエロが出てきて、棺桶を出して……みたいな話だった」


「そう、でもそれだけじゃなかっただろ。俺も完璧には覚えてないけど、棺桶は二つで、結局中身を見る前に話は中断はされちゃったけど、明らかに父親と母親のことが示唆されてた。あと、その前にゾウの身体の一部を切り取ったりって流れがあったんだよ。だから、中身は聞かなくてもなんとなく想像はつく……それで、なぁ、拓哉の親が殺されたってのはもう聞いただろ。二人とも普通じゃない殺され方だったらしいんだ。分かるだろ、これって」


「やめろ、不謹慎過ぎる。夢の話と現実の事件を一緒にするな」


 僕はあの夜に聞いた三番目の夢の話を思い出して吐き気が込み上げてきた。荒唐無稽なことを言う潤一に対する苛立ちも。


「お前、まさか、その夢が正夢になったとか言うんじゃないだろうな」


「正夢……そうかもしれないけど、ちょっと違う……夢と同じことが起きてるんじゃないんだ。


 潤一は目を見開いていた。恐怖で塗りつぶされたかのような黒い瞳。黙って聞いていると僕まで飲み込まれそうな……

 僕は恐怖を振り払うように必死に否定した。


「あり得ないだろ、いくらなんでも。夢の中の殺人鬼が拓哉の親を殺したって言うつもりかよ。いいか、拓哉の両親が殺されたことは悲しいことだし、殺人犯は僕だって怖いけど、それはあくまで現実の話なんだ。夢はどれだけ怖くても夢なんだよ。現実に起こった事件とは関係ないんだ」



──そうかな?──



 脳内に、また覚史君の言葉が蘇る。



──夢が現実に影響を与えることだって、現実を侵食することだってあるんじゃないだろうか──



 どうしてこうも生々しく、彼の言葉が思い出されるのだろう。まるで今まさに、僕に語りかけているかのように。

 同時に、潤一の言葉の違和感に気付いた。今、『あいつ』と言わなかったか。


「まさか……響介も、お前もなのか」


 潤一はこくりと頷いた。


「響介とは……ちょっと前から連絡取れなくなったから、詳しくは分かんないんだけど、でも、噂になってるのを聞いたんだ。あいつ、頭おかしくなって母親の顔を包丁で刺したらしいって……それで、病院か施設に行くのか分かんないけど、もうこの学校にはこないだろうって……こっちはまだ、ニュースにはなってないと思うけど……」


「母親の……顔を……」


──なにも殺さなくてもよかったじゃないか──

 違う、僕はそんなこと考えていない。潤一も殺したとは言ってないじゃないか。脳裏によぎった言葉を振り払う。しかしあの夢。覚史君が語った二番目の夢。確か母親の顔が、この言葉を吐く男の顔に変わっていたのではなかったか。潤一の言う通りなら、夢の中で響介のせいで死んだ男が、現実にも這い出して来たとでもいうのか。

 

「俺も……」


 潤一は肩を震わせながら言う。


「……合宿から何日か経って、夜に一人でコンビニ行った時に、その帰り道に、いたんだよ。夢に出てきたのと全く同じ格好の女が前を歩いてたんだ。気の所為だって思うか?でも何回も同じことがあったんだ。最初の方は、道を曲がったり戻ったりしたら消えてた。でも、一週間前に見た時は、道を曲がった先にもいたんだよ。もう一回別の方向に曲がったら消えたけど……分かるだろ?多分もう時間の問題なんだ。あれから夜は絶対に一人で出歩かないようにしてるけど、次会った時にはどうなるか……それだけじゃないんだ。昨日夕飯の時、俺、母さんにこう聞いたんだよ。『姉ちゃん、今日は帰り遅いのか』って。ヘヘ、へ……おっかしいよな。俺に姉ちゃんなんていないのに。なんでか、姉ちゃんがいると思い込んでたんだ。へへ……」


「もういい、やめろ。落ち着いてくれ」


 そう言うのが精一杯だった。何か反論しようとしたが、言葉がうまく出てこない。口の中がカラカラに乾いていた。否定しようと思えば、多分できるだろう。現実に起きたことは起きたこととして、夢とは関係ないと。説明はつけられる。道を曲がった先にいたのは別の女性で、怖い夢のことが頭にあるから、同じ人物だと思い込んでしまっただけだと。先入観のせいでたまたま一致している部分だけを見つけたり、思い込みが強化されたりしているだけで、全ては気の所為なのだと。でも、そうした反論の言葉達はいかにも空虚で現実感が全くなかった。僕自身がそれを信じることができないのだから。

 自分が恐怖に飲まれていることが分かる。出口が欲しかった。この気味の悪い話に説明をつける何かが。その時、この話に欠けている重要な人物を思い出した。

 

 「覚史君に会いに行こう。彼に相談しよう。もしかしたら、彼も何か知ってるかも」


 そうだ。どうして思いつかなかったんだろう。怖い夢の話をしたのは、そもそも彼なんだ。彼の口から『夢のせいで事件が起きるなんて馬鹿馬鹿しい』とか『あれはただの作り話だ』と否定してもらえるならそれでも良い。何か事態が良くなる糸口があるかもしれない、そう思った。しかし。


「覚史はいない」


「え?」


 僕が見つけた希望は一瞬で否定された。


「塾にも学校の先生にも確認したんだ。いないんだよ。覚史なんて名前の生徒は、どこにも。おかしいだろ?なんで夢の中の化け物みたいな奴らが現実に出てきて、現実にいたはずのあいつが消えてるんだ……?」


「覚史君が……いない……」


 なんなんだ、これは。じゃあ、あの夜僕達に怖い夢の話を聞かせたのは誰だったんだ。いないはずないじゃないか。現実とは、もっと強固でしっかりしたものじゃなかったのか。

 カーテン越しの光がにわかにその力を弱めて教室内が暗さを増した。雲が日差しを遮ったのだろうか。潤一はもう何も話すべきことがなくなったのか、放心したようにただ座っている。僕も、もう何も言うべきことはなかった。沈黙が澱のように翳りの中に重く横たわっていた。

 不意に、潤一がはっとした表情で立ち上がった。


「忘れてた。俺、今日、姉ちゃんに言われた用事があるんだった」


 潤一はそのまま教室から出て行ってしまった。ついさっき、姉などいないと自分で言ったことは覚えていないようだった。追いかける気力は、なかった。それに、僕は、先程からずっと気に掛かっていることがあった。


 なぜ僕だけは無事なんだろう。


 あの合宿の夜、部屋には覚史君以外に四人いた。彼が話した夢は三つだった。なぜ彼は、僕の分だけ怖い夢の話をしなかったのか。しようとはしたけど、中断されて有耶無耶になってしまったから諦めたのだろうか。それは違う気がする。あの夜、眠りにつく前に彼の声が聞こえたことを思い出す。中断された後も、結局彼は三つ目の夢の話を最後までひっそりと語っていたくらいなんだ。だとするならば、いったいどうして……

 その瞬間、直感的にその答えが分かった気がした。いや、直感というよりそれはだった。


 ──どうして夢の中って嫌な予感ばかり当たってしまうのだろうね──


 彼の言葉がまたよみがえる。ああ、やっぱりそうだ。分かってしまった。僕は無事じゃなかった。恐怖なら今まさに味わってるじゃないか。あの時、彼は僕の夢の話をあえてしなかったわけじゃない。ましてや見逃したわけでもない。あの時、僕はというだけなのだ。だからこれはだから これは

 その瞬間に気付いた。その瞬間に 気付いた。どうして今まで気付かなかったのか。どうして 今まで 気付かなかったのか。覚史君の声がする。覚史君の 声がする。いや、声がするなんてものじゃない。いや、 声がするなんてものじゃない。覚史君の声が僕の思考覚史君の声が 僕の思考にそのまま重なるようにしてにそのまま 重なるようにして頭の中に響いている。頭の中に 響いている。僕の思考をそのまま読み上げている。僕の思考をそのまま読み上げている。それとも僕が彼の語る言葉通りにそれとも僕が彼の語る言葉通りに思考させられているのか。思考 させられているのか。とにかくはっきりしているのは、とにかく はっきりしているのは、これが夢だということだ。これが 夢だということだ。語られるはずだった四番目の夢。語られるはずだった 四番目の夢。それを僕は今見ている。それを僕は 今見ている。彼はずっとこの悪夢を彼はずっと この悪夢を僕に語り聞かせていたのだ。僕に 語り聞かせていたのだ。終わりが近付いているのが分かる。終わりが近付いているのが 分かる。間もなくこの夢は覚めるだろう。間もなく この夢は覚めるだろう。ただ、この夢からの目覚めは救いじゃない。ただ、 この夢からの目覚めは救いじゃない。僕はもう知ってしまった。僕はもう 知ってしまった。夢から這い出るものを。夢から 這い出るものを。本当に恐ろしい夢というものは本当に 恐ろしい夢というものは現実をも侵蝕するということを。現実をも 侵蝕するということを。彼はこの夢を通して、彼は この夢を通して、ずっとそれを僕に教えていたのだから。ずっとそれを 僕に教えていたのだから。周りの景色が溶ける。視界が暗転していく。周りの景色が溶ける。 視界が暗転していく。意識が遠のき意識が 遠のき全てが渦の中に飲み込まれていく。全てが渦の中に 飲み込まれていく。夢と現の狭間、現実へと帰還する夢と現の狭間、 現実へと帰還するその瞬間、僕は覚史君の声を、その 瞬間、僕は覚史君の声を、頭の中に響く声ではなく、頭の中に 響く声ではなく、この耳ではっきりと聞いた。この耳ではっきりと 聞いた。




「そこで、僕は目を覚ました」



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怖い夢 こくまろ @honyakukoui

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