第三の夢_剪定
夢の中で、僕はサーカスの天幕の中にいた。中央の
唐突に、カッ、カッ、カッ、カッ、という連続した音とともに、リングが強烈なライトで照らされた。いつの間にか、
「やあやあ、どなた様もようこそお越しくださいました。当サーカスにようこそ!私は本日の進行を務めます哀れな道化でございます。名前は覚えていただかなくて結構!クラウン、ピエロ、赤鼻、なんでも好きなようにお呼びになって!本日お集まりいただいた紳士淑女の皆々様、きっとよほどお暇なのでしょう。退屈に倦んでいるのでしょう。じゃなきゃこんなサーカスに来ませんもの。でもご安心あれ!皆様の目に奇跡と驚きをご覧にいれることをお約束しますよ!それでは、ショウをお楽しみください……」
ああ、パントマイムみたいなものかな、と思った。観客は僕一人なのに、まるで大勢の人間がいるような振る舞い。パントマイムは無言でその表情や仕草によってないものをあるかのように見せる劇だ。この
続いて、コメディアクトが始まる。舞台には演者一人だけ。演者は先ほどの道化だった。しかし、その演目の途中で道化の動きが止まった。
「ふむ」
道化がしゃっきりと身体を立て直す。
「今宵のお客様方はなかなか気難しい。流石は紳士の中の紳士、淑女の中の淑女といったところでしょうか。まぁまぁご心配なさらず!奇跡と驚きをお見せするとお約束したでしょう。ちょっと変わった趣向が必要であること、私きちんとわきまえておりますよ。さてそこのお坊ちゃん!」
鼓動が途端に跳ね上がった。道化はまっすぐ僕の方を見ている。明らかに僕に対して声をかけていた。一体なんだろうか。
「鼻が長ぁくて耳が大きくて灰色の皮膚の動物といえば?」
なんだいきなり。普通に考えれば象だよな?いや、引っ掛け問題なのか。
「引っ掛け問題ではございません。そう、象です!」
まるでこちらの思考を読んだように言うと、するすると懐から赤い布を取り出した。広げていくとかなり大きなサイズだ。一体どうやってしまっていたのか。いや、これ自体がサーカスの演目としてのマジック・ショーなのかもしれない。
「では、それを踏まえた上でこちらの動物は一体なんでしょうか」
道化がバサッと布を振るうと、何もなかったはずの空間に何かが現れた。動物だ。かなり大きい。全身がピンク色をしている。最初、それがなんなのか本当に分からなかった。目を凝らしたことを後悔した。それは象だった。ただし、耳と鼻が切り取られ、全身の皮膚を剥がされた……
僕は瞬時に目を反らした。込み上げてくる吐き気を必死に堪える。しかし、道化はお構いなしに喋る。
「もちろん、ご覧の通りこれは象です。ちょっとチャームポイントはなくなりましたがね。こうなっても象は象。ちょっとお待ちになって!こんなもので満足されないことは分かっておりますとも。これはあくまで分かりやすい例でございます。さてどうぞ、特等席へ」
再びバサッと布を振るう音がしたかと思うと、僕は観客席から瞬きもしない間に舞台の上にいた。椅子に座らされている。動けない。手首と足首をロープで縛られている。変わり果てた姿の象から、血と死の臭いがする。
「さてさて、つまりこういうことです。誰しも少なからず分かりやすい記号を持っている。しかし少しそれを剥いだくらいでは、存在そのものが失われたとは言えないわけです。一方で完全にバラバラにしてしまうとなると、これはある意味で別ものになってしまう。豚ちゃんが豚バラ肉になるようにね。では、その間をとって、境界線ギリギリのところまで分かりやすい記号を剥ぎ取った時に残るもの、それこそが本質と言えるのではないか。今回はそこを掘り下げてみたのです。嗚呼まったく、真実の探求とはなんと甘美なエンターテイメントでしょうか」
稚拙な詭弁だったが、それを実践する狂気を目の前で見せつけられた後では笑い飛ばせなかった。道化は一人で盛り上がったかと思うと、また布をバサッと振るった。かわいそうな象の姿が一瞬で消える。代わりに、二つの長方形の箱が屹立していた。それは棺だった。
「先程申し上げた通り、さっきの象さんはあくまで例でしてね。私の本当の作品はこちらでございます。無駄を限界まで削ぎ落とした本質の塊、それを表現した真の芸術品。あなたには是非それを間近でご覧いただきたいのですよ。人間のお坊ちゃん」
どうして僕なんだ。今から何をされるんだろう。恐ろしいことが始まる予感がしていた。さっきの象よりも酷いことが。縛られて動けない身体。不気味な道化。嫌だ。怖い。家に帰りたい。誰か助けて。父さん、母さん。
そう思った瞬間、父と母のことを思い浮かべてしまったことを後悔した。全身から冷たい汗が噴き出す。目の前の二つの棺が先程とは比べ物にならないくらい忌まわしい意味を伴って僕の目に映る。
道化が棺に手を掛けた。やめろ。
「さあ坊っちゃん、よおくご覧になってくださいね」
棺の蓋が開いていく。やめてくれ。
「これこそが『奇跡と驚き』ですよ」
やめろ。見たくない。ああ、中が見えてしまう。見たくないんだ。やめろ。やめてくれ。やめろ。
「やめろ!!!!!!!!!」
一瞬、心臓が止まるかと思った。僕は身を縮み上がらせたまま状況を理解した。叫んだのは拓也だった。寿命が縮むからやめてくれよと言おうとしたが、なんだか茶化せる雰囲気ではなかった。僕はそっと拓哉の様子を伺う。俯いて肩を震わせている。怒っているのか、それとも怯えているのか……でも、いったいどうして急に……今の話がそんなに怖かったのだろうか。まだオチまで辿り着いてもいないのに。いや、それとも、あそこで目が覚めたというオチだったのだろうか。でも、僕は覚史君の夢の話なんかよりも、先程まで飄々としていた拓也の態度が豹変したことの方が怖かった。覚史君は何も喋らない。拓也も震えて何も喋らない。静まり返る室内……
その時、部屋の扉がノックされた。
「おぅい。まだ起きてるやつがいるのか。今何時だと思ってるんだ、ったく」
見回りの先生が僕達の部屋の様子を見に来たのだ。ヤバい、と思ったが、それはいかにも現実の質感を伴ったもので、なんだか逆に安心したような心地がした。
「すみません、拓也君が寝言で急に叫んだみたいで……」
僕は咄嗟に言い訳を取り繕った。実際に叫んだのは拓也なんだからこれくらいは泥を被ってもらっても良いだろう。
「……まぁいいけど、早く寝ろよ。勉強したことの記憶の定着にも睡眠は大事だからな」
先生はあっけなく去っていった。
部屋はまたどん詰まりのトンネルみたいに暗く静かになった。誰かが声を上げれば、それが異様に大きく響いてしまう、そんな危うさを孕んだ静けさ……
でも、もう誰も喋らなかった。覚史君も。拓也も。潤一も。響介も。そして僕も。
その時、ほぼ同時に、拓也と覚史君が動いた。僕はびくりとして身構えたが、二人とも布団に入って寝る体勢を整えただけだった。潤一と響介は、いつの間にか寝てしまったのだろうか。
僕ももう寝ることにした。後味はなんだか悪いけど、この空気はどうしようもない。もやもやしたものを抱えながら、僕は布団を被る。眠りにつく前に、覚史君の声が聞こえた気がした。
「…………だった。そこで、僕は目が覚めた……」
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