第二の夢_殺さなくてもよかったじゃないか
夢の中で僕は、何人かの友達と悪戯動画を撮ろうと計画していた。通行人を驚かして、その様子をネットに上げようってね。あっ、ドン引きしないでくれよな。もちろん現実ではそんなことしたことないし、する気もないよ。夢ってそういうものだろ。普段はしないような行動をしてしまうし、突飛な状況も時には違和感なく受け入れてしまう……
とにかく、夢の中の僕はやる気満々で、作戦はこうだった。
・まず、のっぺらぼうみたいに顔がないように見えるマスクを用意する。
・次に、
・のっぺらぼうの顔を披露して驚かせる。驚かせる役は、僕だ。
・仲間はその様子を物陰から撮影する。
くだらない悪戯だよね。でも夢の中では面白いと思っていたんだ。
ちょうどそこに、
どんっ
男の肩が、僕の顔にぶつかった。もちろん、僕がそうなるようにぶつかったんだけど。僕はすかさず身を屈めてうめき声をあげ、大袈裟に痛がる振りをした。
「ああっ、す、すみませんっ」
慌てて謝る男の声をよそに、僕は「う、うぅぅ・・・・・・」とうめき声をあげ続ける。
「あぁ、どうしようどうしよう。申し訳ない。すみません、すみません」
男は完全にテンパっていた。ここからは間が重要だ。僕は顔を押さえたまま男に向き直り、体の動きをぴたっと止めた。男は困惑し、その視線は自然と僕の顔に定まる。そして、僕はゆっくりと手を顔から離した。
「わ、わああああああああああああああああああああ」
男は跳び上がるようにして逃げ出した。
申し分ない大成功だった。しかし僕は調子に乗ってしまった。逃げる男を追い掛けて、もっと怖がらせてやろうと思ったんだ。男に向かって僕が駆け始めると、向こうもちょうど後ろを振り返った。
「ひぃぃぃぃごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
男はもうほとんど泣いているような声で叫んでいた。
そこからは一瞬の出来事だった。
男がこちらに顔を向けたまま交差点に差し掛かる。そこに横から大型トラックが侵入してきて男の身体が玩具みたいに弾き飛ばされた。トラックは全くスピードを緩めることなくそのまま去っていった。冗談みたいな光景をスローモーションで見ていたかのようだった。仲間はいつの間にかいなくなっていた。道は異常なまでに静けさを取り戻していて、僕だけが場違いみたいに立っていた。
僕は恐る恐る交差点に近付いた。さっきまで怯えた顔をしていた男が、もはやなんの感情もない表情でそこに転がっていた。腰の部分が完全に潰れていて、首はありえない角度に曲がり、目だけが恨めしそうな光を放ってこちらを見つめていた。どう見ても死んでいた。
こんなはずじゃなかった。ここまでするつもりは。
「どうしよう……どうしよう……」
さっき男が口にしていた言葉を、今度は僕が口にする番だった。そこで、急に声が聞こえた。
「なにも……殺さなくてもいいじゃないか……」
ぞっとした。死んでいるはずの男の唇が動いていた。
「謝ったじゃないか……肩をぶつけただけで、なにも殺さなくてもよかったじゃないか……」
僕は反射的にその場から逃げ出した。
違うんです。殺すつもりなんてなかった。なんで今喋ったんだ。まだ生きてるのか。どう見ても死んでる。僕は殺してない。事故なんです、どうしよう、ごめんなさい。
いろんな言葉が頭の中で渦を巻いたまま、僕は休まず走り続けた。
気が付くと家の前まで来ていた。もしかして警察が来ていたりしないだろうか。びくびくしながらドアを開ける。
「……ただいまぁ」
家に上がると、キッチンで母が夕飯の支度をしていた。
「あら、おかえり。あんた今試験期間中でしょ。こんな時間までいったいどこほっつき歩いてたの」
母は若干呆れたような顔をして怒っていたけど、逆に日常を取り戻したように感じられて僕は安堵した。
「ごめん、塾の友達にちょっと付き合ってて」
「本当かなぁ。まぁ良いけど。もうすぐ夕飯できるけど、先に食べちゃう?お父さん今日遅くなるみたいだし」
「いや、今日はちょっと食欲ないからいいや」
「なにそれ、恋する乙女みたいなこと言って」
母がクスクスと笑いながら言ったので、僕はちょっとムキになって反論した。
「恋とかじゃないから。あと、思春期の息子にそういう無神経なこと言ってたら嫌われるからね」
「ごめんごめん。でもさ、なにも殺さなくてもよかったんじゃないの?」
その一言で一気に身体の芯が冷えるのが分かった。
「謝ってたんでしょ?肩がぶつかったくらいで、なにも殺さなくてもよかったじゃないの」
姿も声も、確かに母親だった。でも、顔の部分だけが、いつの間にかあの死んだ男に変わっていた。
「ああああああああ!!!!」
大声を上げて階段を駆け上がり自分の部屋に駆け込んだ。急いでドアの前に机や棚を動かしてバリケードにする。
一体なんなんだ。何が起こってるんだ。
ドアをじっと見つめたまま身体を強張らせて耳をすます。階段を登ってくる気配はないようだ。部屋の静けさが逆に恐ろしく感じられて、追い詰められるような気分だった。僕は耐えきれず部屋のテレビをつけた。若い男性キャスターが天気予報を解説しているところだった。
「明日は低気圧の影響で南からの温かい湿った空気が流れ込み全国的に雨のところが多いでしょう。肩をぶつける確率は100%、交通事故に注意が必要です。ところにより大きなトラックが通過する見込みで」
キャスターが急に黙ってじっとカメラを見つめた。違う、僕を見つめているんだ。顔がいつの間にか変わっていた。死んだあの男の顔だった。
「謝ったじゃないか、なにも殺さなくてもよかったじゃないか」
僕はそこで気を失った。
場面が転換して、僕は車の助手席に乗っていた。運転しているのは母だった。一瞬ギョッとしたが、母の顔はちゃんと元の顔に戻っていた。
「気が付いた?大丈夫よ。もうすぐ有名な神主さんのところに着くからね。悪いもんは全部落としてくれるからね」
母の言う通り、すぐに目的地らしい神社に到着した。鳥居をくぐると急に空気が清々しくなったように感じられた。ここなら確かになんとかしてくれる、そんな気がした。
奥に進むと、神主らしい白装束を纏った厳めしい顔つきのおじいさんが待っていた。僕の身体や顔をふむふむと言いながら一通り
「あの、僕、ヤバいですよね。助かりますか」
縋るような声で尋ねると、あくまで神主は冷静に
「ヤバいはヤバいが、なんとかする。心配するな。ただ、ワシの言うことはきちんと守ってほしい」
と返答した。僕は頷くしかなかった。
そこからは、なされるがままだった。社殿にくっつくようにして建てられた小屋に案内された。一面が入口の扉で、三面が壁の簡素な造りの部屋だった。用意されていた何本かの蝋燭が辛うじて闇から部屋を守っているようだった。僕はその中央に座らされて、厚手の布で目隠しをされた。
何も見えない状態で座っていると、ガサゴソと紙を取り出すような音がした。
「今からこの部屋に結界を張る。四方に魔除けの札を大量に貼るが、お前はその間もその後も絶対に目隠しを外してはならん。声を上げてもいかん。分かったら右手を上げろ」
僕は黙って右手を挙げた。
その後は、しばらくの間ずっと御札を貼る音だけが聞こえていた。母も手伝っているようだった。ようやく貼り終えたかと思うと、神主と母はおそらく部屋の隅に座って、なにやら魔除けの呪文のようなものを唱え始めた。
僕は何もすることがなく、何も見えないまま、ただ時間が過ぎていった。神主と母のぶつぶつ呟く呪文を聞きながら、僕は段々と自分が冷静さを取り戻してきたのを感じた。そして同時に嫌な予感が膨れ上がっていくのも。どうして夢の中って、嫌な予感は当たってしまうのだろうね。
僕は母の言葉を思い出していた。
──もうすぐ有名な神主さんのところに着くからね。悪いもんは全部落としてくれるからね──
どうして母は悪いものが憑いていると思ったのだろう。息子の様子がおかしかったら、普通は原因を尋ねるのが先じゃないか。息子が倒れたことが心配だったのなら、まず病院に行くんじゃないか。
──四方に魔除けの札を大量に貼るが、お前はその間もその後も絶対に目隠しを外してはならん──
守られている間、目隠しをさせられるのはなんとなく分からないでもない。しかし、どうして札を貼るところも見ちゃ駄目だったんだろう。
そこまで考えたところで、直感的な確信が降りてきた。──しまった、はめられた。
弾かれるように立ち上がって目隠しを外した。僕は絶叫した。先程までの簡素な部屋は一変していた。部屋中の至るところに大量の何かがベタベタと貼られていた。誰がどう見ても魔除けの御札ではなかった。それは写真だった。あの死んだ男の顔の写真が壁や天井を埋め尽くして僕を見つめていた。神主と母の方を振り返る。予想した通り、その顔は死んだ男の顔に変わっていた。その瞬間、先程から神主と母が呟いていたものが魔除けの呪文などではないことも理解した。ずっとアレを呟いていたんだ。蝋燭の光で揺らめくように、写真の男達の口元が一斉に動いた。
「なにも殺さなくてもよかったじゃないか「なにも殺さなくても「なにも殺さな「なにも「なにも殺さなくてもよかった「謝ったじゃないか「謝ったのに「殺さなくてもよかったじゃないか「肩がぶつかったくらいで「殺さなくてもよかった「なにも殺さなくても「謝った「殺さなくてもよかった「謝ったんだ「殺さなくても「肩がぶつかった「殺さなくても「よかったじゃないか「殺さなくてもよかったじゃないか「謝ったのに「なにも「謝ったじゃないか「肩がぶつかっただけで「殺すほどのことじゃ「肩がぶつかった「よかったじゃないか「謝ったじゃないか「殺さなくてもよかったのに「なにも殺さなくても「謝ったのに「殺したんだ「殺さなくてもよかったのに「殺した「殺したんだ「謝ったんだ「殺さなくてもよかったじゃないか「肩がぶつかったくらいで「殺した「殺したんだ「殺さなくても「よかった「肩がぶつかったくらいで「殺さなくてもよかった「なにも殺さなくてもよかったじゃないか」
「そこで、僕は目を覚ました」
覚史君が二番目の夢を語り終えた。
異様な話の余韻で、部屋はしんと静まり返っていた。静寂を破ったのは拓也だった。
「まぁ確かに殺さなくてもいいとは思うけどよ、そもそも覚史君が殺したわけじゃないし、そこんとこ誤解があるよな」
相変わらずズレた感想だったけど、空気を変えてくれたのはありがたかった。
「天気予報のところで一回気絶したじゃん?あそこで目が覚めたかと思ったよ」
僕もあえてズレた感想を述べた。まともに感想を言ってしまうと、恐怖心が戻ってきそうだったから。
それと同時に、僕はもったいないなとも思っていた。
どうして覚史くんは『夢の話』だと断って話すのだろう。覚史君は最初、怖い話なんて知らないと言った。でも、さっきの話も今の話も、ちょっとアレンジすれば夢の話じゃなくて普通の怖い話として語れそうだと思った。それに、彼が怖い話を語り慣れてないようにも思えなかった。
「覚史くんさ、今の二つの話、夢の話じゃなくて普通に怖い話として語れそうじゃない?覚史君、喋るのも上手いしさ」
僕は思ったことをそのまま喋った。隠し事ができないタイプ。
覚史君は困ったように微笑んで「うーん、でも夢の話だから夢の話だよって言ってるだけなんだよね」と返答した。
「でもさ、夢は結局夢だから覚めれば終わりなわけじゃん。夢オチじゃん。現実には影響がない分、怖さも減るっていうか」僕は食い下がった。
「そうかな」
「そうじゃないの?」
「本当に怖い夢は、覚めても終わりじゃないんじゃないかな。現実が夢より確かって本当なのかな。夢が現実に影響を与えることだって、現実を侵食することだってあるんじゃないだろうか……」
覚史君が少し俯くように顔の角度を変えると、急に表情が闇に溶けて見えなくなっていった。僕はなぜか、怖い夢の話を聞いている時よりも恐怖を感じた。
「……なんてね!悠介君の言う通り、夢は所詮夢だから、そう構えずに聞いてくれたら嬉しいな。もちろん、程々に怖がってくれるとなお嬉しいけどね」
覚史君は何事もなかったかのように顔を上げ、元の表情を取り戻した。でも、僕はもう何も言えなかった。そして覚史君は、誰に確認することもなく、自然と次の夢を語り始めた。
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