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「ちょっと出てくるよ」

 そう言い残して玄関に向かうと、すでに家に上がり込んだ作業着のオヤジが玄関框に腰掛けてタバコを吹かしていた。手には競馬新聞が握られている。

「ちょっと……! 勝又さん、勝手に他人の家でタバコ吸わないでくださいよ」

「おう大将! 実はよ、コンベアの調子が悪いから休みの間にちょいとメンテしに工場に行ったら、おかしな連中がいたんでよ、知らせに来たんだよ」

 どうやら今週の厄は月曜を待つ気は無いらしい。

「おかしな連中?」

「おう。スーツ着た男が二、三人で工場の周りをウロウロしてるからよ、声かけたら何の返事もしねえで車で行っちまったんだよ」

「町金じゃないの?」

「町金の奴らなら、俺だって顔見知りよ」

 とりあえず心当たりがないことを伝えると、勝又のオヤジはのそのそと立ち上がって尻をはたいた。

「まあ、大将が知らねえんなら、誰も知らねえわな。でも気をつけなよ? ただでさえギリギリの経営なんだから」

 そう言って大声で笑うと勝又さんは自転車にまたがり行ってしまった。

 知りたくもない情報を勝手に置き去りにされた僕は、ため息をつきながら戸を閉め鍵をかけた。

 せっかくの土曜の朝が鉛のように重い気持ちに変わってしまった。

 冷めた内臓を抱えてリビングに戻ると、すでにテレビは消され愛海は机に向かい何かを描いていた。

「ちょっと話があるんだ」

 僕が切り出すと二人は不思議そうな顔でこちらに視線を移した。

「あのね、さっき工場の勝又さんが来てたんだけど、勝手に玄関の中まで入ってきてたんだよ。僕だけで暮らしてた時はそれでも良かったんだけど、今は愛海もいるし、これからは鍵を掛けることにしようと思うんだ。僕がいない時にお客さんが来ても、戸を開けちゃ駄目だよ?」

「なんで?」

 首をかしげて尋ねる愛海の前にかがんで僕は答えた。

「愛海が可愛いからだよ。悪い人が来て愛海を攫ったら大変だろ?」

「やだー!」

「僕も嫌だよ。だから鍵は開けないこと。約束」

 愛海は神妙な顔でコクリと頷いた。僕もそれに頷き返す。

 少し怖がらせてしまったことに気遅れしそうになったが、こればかりは仕方がない。

 僕が守るべきは仮初であったとしてもこの束の間の小さな平穏だ。

 頭を撫でて立ち上がると、描きかけの絵に目が行った。

 夏帆と愛海が並び、愛海の隣には描きかけの男が立っている。

「愛海絵が上手だねえ」

 本心だった。五才児とは思えないほどよく特徴を捉えている。

「愛海はお絵描き教室習ってたもんね」

 夏帆が言うと愛海は嬉しそうに頷いた。

「これは途中だけどパパ?」

「うん! 早く元気になるおまじない!」

 それを聞いた僕はチクリと胸が痛んだ。そしてすぐにそんな自分に自己嫌悪する。

 顔を上げると夏帆と目があった。夏帆はすぐに目を反らして愛海の方を向いて言う。

「ねえ愛海、けんちゃんも描いてあげたら?」

 夏帆の提案が気に入ったらしく愛海は描きかけの賢治を残して僕を描き始めた。

 しばらく配置に迷った後、僕は夏帆の隣に立たされることになった。

 手を繋ぐ夏帆と愛海と賢治(首から上はまだ無いけれど)

 そんな家族の隣に突っ立った僕。

 その絵はパーツの上手さの割に構図が酷くチグハグで、けれどもそれが却って正鵠を射ているような気がした。

 その時またもや玄関のチャイムが鳴った。

 次いで乱暴に戸を叩く音が聞こえてくる。

 どすどすどす……どすどすどす……

 部屋の空気が固まった。

 愛海は慌てて夏帆のそばに向かうとワンピースの裾を掴んでしがみつく。

「まなみさらわれちゃうの?」

「攫われないよ」

 僕はそう言って玄関に向かった。

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