臨界/限界

深川我無

臨界

1-1

 けたたましいスマホのベルが心臓を締め付ける。

 恐る恐る覗き込んだ画面の中には市役所の番号が光っていた。

 そう言えば一ヶ月ほど前にも、所有する土地から生えた木とポンプ小屋が何だと言われていたのを思い出し、そのことだろうと結論づける。

 電話が怖い。

 電話のベルが鳴るのは決まって悪い知らせの前兆で逃げ出したくなる。

 それでも放っておけば事態はもっと酷いことになるのは経験上分かっていた。

 憂鬱で目眩がしたが仕方なく僕は受話器をとった。

「はい」

 生気のない声で言うと、相手はやはり農林課の役人だった。

 話によると昨夜の台風で折れた木がポンプ小屋を破壊したらしい。

 そこは親父の残した農地だった。農地法のことはよくわからないが、処分することもできず地元の人間にタダ同然で貸していた。その人間も四年ほど前に他界し、今は荒れ地になっている。

 いつだったか親父が言っていた。

「桑やアカメガシワの木は成長が早い。すぐに大木になるからさっさと切らにゃいかん」

 とは言っても、それは農地にとっての悪影響の話で、まさか何処かに被害を出すことになるとは思ってもみず、僕は頭を抱えた。

「それでですね、市としましては賠償をしていただかなければならず」

「はい?」

 抱えていた頭を擡げて、僕は強い口調で問い直した。

 強い語気とは裏腹に賠償という言葉にさっと血の気が引くのを感じる。

「たいへん申し上げにくいのですが、壱山様は再三のお願いにも関わらず木を伐採なさらなかったので、瑕疵がございます。つきましては郵送致します書類に詳しい賠償内容を記載してありますので、そちらをご確認ください」

 どくん、どくんと冷めた血がこめかみで脈打った。

「困りますよ……賠償なんて。大体、先日の株価大暴落でうちは今それどころじゃないんです」

「ご事情はお察しいたしますが、それはこちらでは対応のしようがございませんので……生活課か、弁護士や税理士さんへのご相談をおすすめいたします。では」

 僕は電話に向かって呼びかけたが、ツゥ、ツゥと繰り返すばかりでそれ以上の応答は無かった。

 慌ててスマホを取り出し『木 ポンプ小屋 賠償』と検索するも、電線にかかった木を切断するためのハウツーばかりで目当ての情報は見つからない。

 大きなため息が出た。

 頭痛が酷い。右目の奥がズキズキと痛む。

 もう逃げ出してしまいたい。

 気を抜くと自己破産や夜逃げという言葉が脳裏に浮かび、ぐるぐると頭を埋め尽くす。

 やがてそれが現実的ではないと悟ると、今度は脳の暗い部分からそっと『自殺』の文字が顔を出して笑いかけてくる。

 悪魔の微笑みを振り払い、僕はいつもの頭痛薬を飲み込むと弟家族の待つ家に向かって重い足を引き摺った。

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