1-3

 翌朝僕はピリリと鳴る電話のベルで目を覚ました。

 まただ……

 出たくなかったが夏帆と愛海に気付かれたくない。

 僕は仕方なく受話器を取った。

「はい……」

 低い声で言うと聞き慣れた大阪弁が返ってくる。

「もしもし? 壱山さん? 朝はようからすんません。中谷なかやです」

「返済日はまだですよね……?」

 嫌な予感がする。イレギュラーが幸運を連れてきたことは一度もない。唸るように言うと相手はカラカラと笑って答えた。

「そんな警戒せんとってくださいよぉ。良いお話持ってきたんですわ! 運転資金、焼き付いてはるんでしょ? 債務整理ってご存知ありません?」

「債務整理?」

「そうです。そうです。バラバラに借りてるお金を一箇所にまとめて、金利の負担やらを下げるアレです。信用も回復するし、別のとこから融資も受けやすなるし、良いことづくめですよ?」

「そんなのがあるなら、どうして今まで黙ってたんですか……?」

 しばらく沈黙してから尋ねると、相手は再びわざとらしく笑って答えた。

「壱山さん。そらしゃあないですって。このご時世不良債権かもしらん債権なんて誰も手え出したないですやん? でも壱山さんは返済期日もしっかり守ってはるし、その信用実績がある。それでたまたまこの間会うた同業者に話したら、全部引き受けたるって言ってくれはったんです。こんなチャンスそう無いですよ? 話だけでも聞いてみませんか?」

「有り難いお話ですがお断りします……信用出来かねます……」

「そうですかぁ? まあ、気ぃ変わったら連絡ください。待ってますんで」

 ツゥ、ツゥといつものように繰り返す受話器を見て呆然とする。

 時刻は土曜の朝八時だった。

 土日は電話が少ない。工場も休みにしている。

 それだけで心が軽い。

 それと同時に月曜の朝が今から憂鬱だった。

 まるで堤防が決壊するように、決まって月曜には溜まった厄が押し寄せてくる。

 あと何度、押し寄せる濁流に耐えられるだろうか……?

 そんなことを考えながら僕はもう一度横になった。

 太陽の光が鬱陶しく思えて頭まで布団を被ると、どす……と柔らかい重みがのしかかってきた。

「愛海?」

 僕が顔を出すとそこには夏帆の顔がある。

「何やってるの?」

「朝ご飯出来たから起こそうと思ってちょっと悪戯」

 そう言って笑う夏帆に釣られて僕は笑った。

 三人で目玉焼きトーストをかじっていると、愛海が僕と夏帆の顔をジロジロと見比べている。

「どうしたの?」

 愛海がもじもじしながら口を開きかけたその時、突然テレビの電源が入ってワハハと笑う声が響き渡った。

「わあ、ごめん! リモコン踏んじゃった」

 夏帆が肘で踏みつけたリモコンを手に取って言うと、愛海は思い出したように時計を見て叫ぶ。

「ああ! ショーンの時間! ママ見ていい?」

「だーめ! まだけんちゃんご飯食べてるでしょ?」

「構わないよ。そのかわり愛海が食べ終わって、お皿を片付けてからね」

 それを聞くなり愛海はトーストを大急ぎで平らげて空いた皿をシンクに運んだ。

 ここに住むようになって数日ではあったけれど、年の割に利発で、とても空気を読む子だと僕は感心していた。

 本当に賢い子で、賢治の遺伝子を強く感じる。

 夏帆の明るい性格もしっかり受け継いでる。可愛らしさも。

 何となく落ち込んだ僕に気づいたのか、夏帆は困ったように笑って言った。

「ご飯中にごめんね。迷惑じゃないかな……? けんちゃんみたいに、もう少し落ち着いてくれるといいんだけど」

「家が明るくなったよ。それに賢治だって、愛海の元気な声を聞いてる方が、早く立ち直るだろうし」

 羊が繰り広げるドタバタ劇を眺める愛海の後ろで、僕らがコーヒーを飲んでいると、突然玄関のチャイムが鳴って幸福な朝をぶち壊しにしてしまった。

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