1-11
続々と従業員たちが出社し始めたので、僕は紙を諦めて工場に戻ることにする。
「皆さんおはようございます。今日も暑くなります。熱中症には十分注意して水分補給をこまめに行なってください。気分が悪くなったらすぐに誰かに報告してください」
形ばかりの朝礼で熱中症に気をつけるようにアナウンスすると、数名が気のない返事をしただけで大抵の者は興味なさそうに突っ立ている。
挨拶がすみ、ダラダラと従業員たちが持ち場につくと、ごうごうと機械が唸りをあげて、工場の気温がさらに高くなった。
ジャムを煮詰める火事場が特に酷い。
巨大な釜がいくつも並び、火をかけるうえに、異物混入、とりわけ害虫の侵入を防ぐために部屋は閉め切られていた。
従業員の安全を考慮してスポットエアコンを人数分導入したはいいが、効果は焼け石に水なうえ、負債だけが今も重たくのしかかっている。
「社長……全自動の機械導入してくださいよ……暑さで死んじゃいますよ。それか検品場に移動させてください」
一年前に入ったばかりの加藤が怠そうに口を開いた。
「今は経営が厳しいから予算がないんだ。検品場はシルバーさん達や、留学生でも出来るから加藤さんはこっちをよろしく頼むよ」
市特産のブルーベリーを煮詰める加藤にそう言うと、彼女は憚る様子もなく大きな舌打ちをした。
「使えね」
聞こえないフリをして事務所に向かい、僕はパソコンを開く。
何本かのメールに返信を済ませ、次の納期を確認すると、デスクに置かれた固定電話のベルが鳴った。
小さな液晶に表示された文字を見て、思わずごくりと唾を呑む。
呼び出し音の数をかぞえ呼吸を整えてから、僕は最後のベルで受話器を取った。
「もしもし……」
「もしもし壱山様のお電話でしょうか? 一〇八銀行の笹川です」
「お世話になっております。融資の件ですよね?」
「さようでございます。この度ですね、壱山様の会社を審査させていただきましたところ、ご融資は難しいという結論に至りました。お力添え出来ず大変申し訳ありません」
「そうですか……」
予想通りではあったが思わず椅子に崩れ落ちた。
相手もこちらの落胆を察したようで、電話を切ろうと挨拶を始める。
「あ……! ちょっと切らないでください……笹川さん。あの、教えて欲しい事があるんですが、今お時間大丈夫でしょうか?」
「どういったご要件でしょうか?」
マニュアル通りの丁寧な返事が返ってきた。
しかしそれは親切そうな声色とは裏腹に、客との間に明確な線を引く冷酷なものだった。
「あの、正直に教えてください……うちが銀行から融資を受けるのは不可能ですか……?」
しばらくの沈黙の後、笹川は言葉を選びながらゆっくりと口を開いて言う。
「正直に申し上げます。複数の消費者金融から融資を受けてらっしゃいますよね? これはかなりのマイナスポイントになります。事業の発展性も正直に言って乏しく、増益の見込みが低いこともマイナスポイントです。魅力的な新規事業の開業資金等でしたらまだ可能性がありますが、それも上を説得できるほどの相当魅力的な内容でなければ難しいかと」
「……債務整理はどうですか? 他所の債権を一〇八銀行さんにまとめるとか……」
「厳しいですね。先日の株価暴落で不良債権が多発しています。多くの債権が不良債権化する可能性が全国的に高まっている中、あえてリスクを引き受ける銀行は少ないかと」
銀行からの融資は絶望的だった。
だからといってこれ以上町金から金を借りれば、金利が嵩みさらに自分の首を締めるのは目に見えている。
電話の前で項垂れ両手で顔を覆ったまま、しばらく動けずにいると火事場の方から怒鳴り声が聞こえてきて、僕を目の前の現実に引き戻した。
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