03 兼隆が来た

「京とのやり取りが黙認されているのも、そういうことだろう」


 さあもう帰れと頼朝は戸を見た。

 何をそんなに焦っているのか、頼朝はそわそわしていた。


「もうすぐ客人が来る。邪魔だ」


 義時がもう帰ろうと政子の袖を引っ張る。

 政子はまだ頼朝と話したげだったが、あきらめるしかないかと面を伏せた時。


「御免」


 戸外から声が聞こえた。

 頼朝は舌打ちした。

 だが義時と政子を脇にどけ、戸を開けた。


「……失礼する。おやこれは北条の」


 入って来た相手は、伊東祐親いとうすけちか

 伊豆の東部、すなわち伊東の豪族である。

 祐親は礼儀正しく政子と義時に一礼し、政子と義時も礼を返す。

 そして頼朝に向き直り、おごそかに告げた。


「娘の八重が、子を産んだ」


「そうか」


 頼朝は喜色を露わにした。

 おそらく、頼朝の子なのだろう。

 政子は露骨に機嫌の悪そうな顔をした。

 少なくとも義時の目には。


「で、その子だが」


「もちろん、会いに行きたい。何か、巻狩りの場を催していただきたい。それで」


「殺した」


「……え?」


 祐親はおごそかな態度を崩さない。

 それがまるで、神仏への祈りのように、語り出す。


「暴れると困るのでな、火牟須比ほむすび神社の橘の枝を取って、それであやしてな。こう……」


 身振りまでして説明する祐親を、頼朝は無表情で、政子は怒りを込めて、見つめた。


「こう……きゃっきゃっとしているところを、それっと柴で縛りつけ……それを重しにして、轟ヶ淵にぽちゃんと、な」


 柴漬けといわれる処刑方法である。

 幼子になんてことをと義時が言うと、祐親は凄んだ。


「ならお前ならどうする! 北条ならどうする! 伊東うち北条そちらと同じく、平家についているんだ、源氏との子をこさえて、清盛入道さまににらまれたら、どうしてくれる!」


「それならば、この頼朝はいずれ官人に復帰……」


「そんなのが信じられるか! 口から出まかせを言うな! いいか、二度とうちの娘に近づくなよ! 近づいたら……」


 祐親はすたすたと頼朝に近づいて、その股間に手を伸ばした。

 一瞬早く、政子がその手をはたく。

 祐親は「チッ」と舌打ちをしながら、何かを潰す仕草をした。


「今度娘に近づいたら、その睾丸たまを潰してやる。いくら治天の君のだったからといって、おごるんじゃあない!」


 祐親は戸に蹴りをくれて、出ていった。



「……帰れ」


 頼朝はそっぽを向いていた。

 正確には置いてある小さな仏像に向かって読経どきょうしているが、いずれにしろ、顔を見せたくないのだろう。


「子どもを殺されたから、納得いかないのか」


 明け透けな政子の問いかけに、頼朝は嫌そうな雰囲気を漂わせた。


「私が言うのも何だが、叛逆者の子は殺すに限る。これは往古むかしからそうだ」


「往古からそうだとして、貴方は納得しているのか」


「している」


 ここで頼朝は振り向いた。

 無表情だった。

 無表情だったが、万感の思いが込もった顔をしていた。


「たとえば、私が一国の王だとしてもそうする。子が欲しいなどと言われて、のぼせ上がった自分が悪い」


 またそっぽを向いて読経を始めた。

 懺悔か供養か知らないが、もう邪魔をしてくれるなという背中だった。


「……わたしなら、子を殺させない。そうなら、その殺そうとする父上を殺す」


「姉上ッ」


 義時がぐいと引っ張る。

 ここぞという時は、やる男だ。

 それに、政子の発言の二重の危なさに加え、頼朝の心情をおもんぱかっている。

 だから政子は、帰ることにした。

 急展開だし悲劇であったし、されど政子は伝えるべきことを伝えられたと思った。

 だから去ることにした。

 

 ただ、最後に少しだけ、頼朝がこちらを見ているような気がして、振り向いてみた。

 頼朝はそっぽを向いたままだったが、読経はしていなかった。



「まったく、あのようなことをおっしゃられて、まるで頼朝どのの子を産みたいと言っているみたいですぞ」


「……………」


 帰り道、政子は無言だった。

 その顔は紅潮していたが。

 義時はそれを見て、話題を少し変えた。


「それに加えて、父上を殺すなどと……不穏にもほどがありますぞ」


「相手が相国入道清盛さまでも、遠慮するつもりはない」


 義時はやれやれとため息をついた。

 しかし、同じ赤い顔でも、意味がちがうからいいかとあきらめた。


「……とにかく、戻りましょう。宗時兄上も心配しておられますぞ」


「わかった」


 北条館に戻った政子と義時は、もう蛭ヶ小島に行ってはならんと宗時に命じられ、黙然とうなずくのであった。



 父・時政はなかなか帰ってこなかった。

 鹿ヶ谷の陰謀の処理は終わったものの、まだまだ政局が不安定であるためだ。


「つまりは、武力が必要なのだろう」


 政子はそううそぶいては、弟の義時をおろおろとさせた。

 宗時は「捨ておけ」と言って、総領息子としての仕事に向かった。

 蛭ヶ小島に近づかなければ、宗時としてはいうことはない。

 どこかいいところに嫁に行かせたいが、それは父である時政の領分であり、口出しするわけにはいかぬ。


「好きにさせておけ……まあ、裸で泳ぐのは、あまり感心しないが」


 変わった趣味だが、文句を言うつもりもない。

 まさか、北条館の主の娘をのぞいたり、襲ったりする命知らずもいないだろうし、そういう不逞な輩を排除するぐらいは、まともな治政をしているつもりだ。


「それよりも、だ」


 宗時は父・時政から届いたばかりの書状をひらひらとさせた。

 気に入らない内容らしい。

 義時が怪訝な表情をすると、宗時は「また、流人だ」と答えた。


大掾だいじょう兼隆かねたかというらしい」


 平家の一族だが、ゆえあって罪を得て、この伊豆に流されることになったらしい。

 時政の書状は、伊豆でその兼隆を預かる者を、誰か物色しておくようにということだった。


「親父どのも、しておいでだ」


 時政としては、もう流人を一人預かっているから、これ以上はできないと言いたいのだが、表立っては言えないので、「こういう者がいる」と言って、紹介して寸法なのだろう。


「何しろ京からの流人は、いいのに当たれば良いが、悪いのに当たったら、目も当てられぬ」


 京から来た、という時点で、高い教育と文化をもたらしてくれる期待はあるが、所詮は罪人である。悪人である場合が多いし、世話するのも金銭かねがかかる。

 できることなら、自分ではない者に世話をさせ、その京仕込みの知識なり技なりだけを貰いたい。

 それが地方豪族の本音だった。


「……何しろ、頼朝どのは読経三昧。おとなしいし、金銭かねがかからずに済む」


 あとは、たまの巻狩りぐらいだが、これは武士のたしなみだし、宗時も好きなので、大目に見ていた。

 伊東祐親との揉め事はあったが、基本的には満足している。


「……そういえば頼朝どのは? 政子の奴、まさか蛭ヶ小島にまた行っていないだろうな」


 義時はその時、時政の書状に目を落として読んでいたので、端的に答えた。


「頼朝どのは伊豆山権現へ参詣。姉上は蛭ヶ小島に行っていません」


「そうか」


 ……義時の答えは間違っていなかったのだが、ということに宗時は気づけなかった。

 それだけ、大掾兼隆という新たな流人に意識を取られていたからかもしれない。

 

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2024年12月17日 05:00
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笹竜胆(ささりんどう)咲く ~源頼朝、挙兵~ 四谷軒 @gyro

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