02 流刑先

「流人としての差?」


 兄・宗時に、政子は「そうです」と答え、それきり何も言わなかった。

 頼朝と別れ、北条館に帰った政子は、出迎えた弟の義時と「流人と会った」と話し、義時があわあわとしている間にも「京からの使い」とか「京からのふみ」など、聞きとがめられかねない言葉を発した。

 そうしたら案の定、父の時政がいない間の当主代行、宗時の耳にとまったというわけである。

 義時は、「偶然に出会ったのです」と政子の代わりに言い訳をしたが、肝心の政子に静かにするように言われ、しゅんとしている。

 意に介さず政子は滔々とうとうと語り出した。

 頼朝からは、黙っていろと言われてはいない。

 隠さずと言った以上、隠さなくていいのだろう。

 それは、政子の体を見たことへの対価というか、実は政子の歓心を引きたかったのか、判然としないが。



 宗時は、実は頼朝が京とやり取りしているのを知っていた。

 仮にも北条の総領息子である。

 むしろ知っていて当然と胸を張った。

 だが、鹿ヶ谷ししがたにの陰謀については初耳らしく、驚き、そして「親父どのはしばらく帰って来れんな、それは」となげいた。


「……で、他には何か言っていたか?」


 最初、政子をとがめようとしていた雰囲気は、今や雲散霧消しつつある。

 なんだかんだ言って、妹に甘い兄であった。

 そうなると政子もつい、なにか価値のあることをと思い、流人の差のことを口にした。


「流人としての差?」


「そうです」


「なんだそれは」


 お前はわかるかと言われ、四苦八苦して義時は「そんな島じゃなくて良かったという意味では」と答えた。


「そりゃそうだ。頼朝どのは蛭ヶ小島ひるがこじま俊寛僧都しゅんかんそうづ鬼界ヶ島きかいがしま。同じ島でも、絶海の孤島じゃない」


 源頼朝の流刑先は、正確には蛭ヶ小島という、島状の高み、あるいは川の中洲と言われる。

 つまりは陸地で、俊寛の鬼海ヶ島のような、絶海の孤島ではなかった。


「何でそこまで差がついたのかが、気になったのでは」


 政子がそういって頬に指をあてる。

 宗時は、ばかばかしいとため息をついた。


「そんなのお前、池禅尼いけのぜんに平清盛たいらのきよもりの継母)さまが相国入道しょうこくにゅうどう(平清盛のこと)さまに、お願いしたからだろうが」


 ちまたでは有名な話である。

 平治の乱の敗者、源義朝みなもとのよしともは叛逆者とされて討たれた。

 だがその子の頼朝は、「喪ったわが子に似ている」と池禅尼が言い出し、その助命を願った。

 ここでいう「喪ったわが子」とは、平家盛たいらのいえもりのことで、清盛と平家の家督争いをした相手である。

 清盛としては業腹な言い分だったが、池禅尼が断食までして頼朝を救おうとしたため、受け入れることにしたという。


「……そうまでして助命した相手を、絶海の孤島に送れるか? ばかも休み休み言え」


 しかも北条家は平家の支流だが、その本拠である伊豆は、摂津源氏・源頼政みなもとのよりまさが国主である。

 頼政は平治の乱において義朝と同じ陣営にいたが、最後の最後で清盛に味方し、生き残った源氏だ。

 同じ源氏が国主を務める伊豆ならば、という配慮もあろう。

 それが、宗時の言い分だった。


「……いやでも、たしか俊寛僧都も源氏ですよね、村上源氏」


 ここで、義時が余計なことを言った。

 ちなみに、村上源氏とは、村上天皇の子から出た源氏で、清和天皇の子から出た清和源氏とは、またちがう源氏である。


「だから! 池禅尼さまが助命を願ったと言うとろうが! お前は黙ってろ!」


「……ほんとうに、そうかな」


 政子は頬にあてた指を離さない。

 にらむ宗時と、不安げに見る義時。

 と目をつむって、政子は語る。


「相国入道清盛さまは、陰険奸譎いんけんかんけつと聞きます」


「おいおい……」


 陰険奸譎とは、内面が意地悪で、いつわりの多い、つまりはよこしまだという意味である。

 仮にも北条家――平家の本家の棟梁に、しかも事実上この国の支配者である清盛相手に、そこまで言ってのけるのは、政子ぐらいであろう。


「……そのようなお方が、そういう、家督争いした相手の母親が願ったからと言うて、助命して、しかも流刑地に気を遣うのでしょうか」


「現実、そうではないか」


 宗時は大して気にした風もなく、「もう行く」と立ち上がった。

 当主代行として、やることは山積みだ。

 政子が流人と触れ合ったと聞いて泡を喰ったが、この様子では愛だの恋だのではなさそうだ。

 そう判じた宗時は、あとは義時に任せて、行くことにした。


「……大体、あの流人が京とのやり取りをするのは、見過ごしておけと、親父どのに言われておる」


 ひとりごちて、歩き出す。

 それを政子が耳ざとく聞いているとは、知らずに。



「姉上、どうされたのですか」


「頼朝どのに会いに行く」


「は?」


 宗時が出て行ったあと、少しして政子は身支度をした。


「流人としての差について、思いついた。答え合わせがしたい」


 すたすたと歩きだす政子。

 義時は少し考えたが、ここでついていかないと、かえって兄の疑惑を招くと、おっとり刀で追いかけていった。



「帰れ」


 頼朝はにべもなかった。

 これ以上、見張り役とその姫に近づくと、命が危ういと、臆面もなく言った。


「貴方はわたしの裸を見たじゃないですか」


「…………」


 だがそれで引く政子ではない。

 うしろに義時がいることをいいことに、そんなことを言って、頼朝の譲歩を引き出した。


「用事を果たしたら、帰れ」


「では言います。流人としての差は、将来、貴方が官人として復帰するがある、ということですね」


「えっ」


 驚きは義時のものだ。

 だが義時はすぐに理解した。

 将来的な復帰を見越しているのなら、この温暖な伊豆、しかも、源氏ゆかりの鎌倉に近い土地に配流したのにも納得がいく。

 それに何より。


「貴方の京とのやり取りは黙認されています。それは、そういうことでは」


「……清盛入道が、どうして私をこんな風に遇したのか、ずっと考えていた」


 頼朝は語る。

 禍根を断つという意味なら、殺せばいい。

 そうしないというのなら、これは何かある。

 それを頼朝はずっと考えていた。


「池禅尼が頼んだというのはほんとうだろう。だがそれだけで、あの清盛入道が、甘い真似をするか」


 いや、しないだろう。

 だから頼朝は考えた。

 何しろ、相手は天下人。

 やることなすこと、考えに考え抜かれたものであろう。

 それを知ることは有益であり、価値がある。


「平家は天下を取った。されどそれは、まだ中途だ。半端だ。平家にあらずんば人にあらずといわれているが、それは虚勢だ。だからこそ、鹿ケ谷の陰謀などが起こる」


 頼朝は、なら自分が殺されたらどうなるかを考えた。

 かつての源義朝に味方した豪族たちは、落胆するだろう。

 もう、自分たちは平家の天下では芽が出ない、と。

 だが、頼朝がまだ生きていれば、そこに活路を見出せる。


「清盛入道は、おのれの――平家の支配にほころびがあるのを知っていたのだ。だからこそ、不平不満をつのらす豪族らに、希望をもたらした。源頼朝という希望を」


 下手に暴発したら、頼朝を殺す。

 清盛の無言の脅迫に、豪族たちは沈黙するしかない。


「……そして最後は、平家の適当な姫をめあわせ、平家の藩屏はんぺいとされるんだろう」

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