マタニティブルー
冬寂ましろ
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僕の言葉が聴こえるのなら、どうか松浦京香という女へ祈ってあげて欲しい。やさしくて、愚かで、そして愛おしかった、この人のために。
かわいそうな京香さん。搾取され、黒く塗りつぶされ、そして透明になって消えていく。京香さんの言ったとおりになった。僕の体をこんなにも変えたのに。
でも、京香さんは悪くない。僕はそう信じている。
僕の体は、あれから地表から80km離れたところに浮かんでいる。拡大された意識は成層圏より下へ広がり、その乱れた気流も、地表から迫ってくるミサイルの悪意も、みんな感じていた。全長3kmに及ぶ細いしなやかな羽をいくつも震わせ、崩れかけた体からガスを噴き出し、僕は少しでも自分の運命を遅らせようとしていた。
透明なケラチンで覆われた瞳に青が映る。宇宙と地球の境界ににじむコバルトブルー。僕は京香さんの目の代わりに、そのずっとつかめない青を見つめていた。そうだね。僕は自分ができることをしよう。最後の瞬間が来るまで、僕は京香さんのことを想っていたい。
◆◇◆
京香さんとは、歌舞伎町から少し離れた歩道の植え込みで出会った。そのときの僕はそわそわとして落ち着かず、産毛で触っているものがわかるぐらい過敏な体が気持ち悪くて、歩道の脇にある街路樹のそばで座り込んでいた。男が僕の飲み物に薬を盛っていたのはわかっていた。でも、あの男から3万円をもらわないと、泊まるところも今日食べるものもなかった。
深夜なのに多くの人々が叫び声をあげている。夜になっても変わらない夏の熱気と、風で運ばれる何かが腐った匂いが、ますます僕を気持ち悪くさせる。
何してんだろう、僕は……。
自分の正体を親に知られるよりも早く家を出た僕にとって、都会は温かい逃げ場所でもあったし、冷酷に捕食されるところでもあった。自業自得。きっとみんなそう言う。でも僕はそんなみんなから追い立てられ、ここへやってきた。
京香さんの低くおだやかな声を聞いたとき、助けようとするその気持ちに申し訳なく思った。きっと僕のことを女の子と間違えたのだろう。僕は女の格好をしているけれど、女の人からは嫌われる。変態。頭がおかしい。僕はそれを小さいときからずっとわかっている。
少し呂律があやしい声で「大丈夫です」と返事をすると、京香さんは怪しむように黒縁メガネを指先でかけ直した。ああ、そうだよね。関わらないほうがいい。僕は顔を背ける。その先に、差し出されたペットボトルが見えた。
「たくさん水を飲んだ方がいいよ。おしっこ出したほうがすぐ薬が抜けるから」
「わ……かり……ますか……」
「まあ、私は何人も君みたいな子を見たからね」
「そ、そうじゃ……なくて……」
「うん、まあ。そっちもわかるよ。青線とか言うんだっけ。ここはそういうとこだし」
「ご……、ごめん……なさい……」
京香さんがスマホを取り出して、指先で操る。救急車? それとも警察を呼ばれるのだろうか。そう思うと、なぜだかほっとした。刑務所でも何でもいい。こんな生活から離れられるかもしれない。でも、ほどなくしてやってきたのは、パトカーではなくてタクシーだった。京香さんが僕にその細い手を差し出す。
「立てる?」
意味がわからず混乱する。それでも、がんばって立ち上がった。だめだ、よろけてしまう。とっさに京香さんが僕に腕を回した。近づいたその体から、少し甘い大人の人の匂いがした。
「このまま放っておけないから、ちょっとわかるところに連れて行くね」
「僕は……」
「いろいろなことはあとで。いまは体を治すほうを優先して」
「はい……」
それからタクシーに乗り、やってきたのは中目黒にある古いマンションだった。目黒川の向こうにあり、大きな通りから外れて、とても静かなところだった。部屋に入ると、小さなテーブルがあり、その横には白いシーツが敷かれた大きなベッドがあった。生活を感じるものは何もない。僕はベッドに腰掛けると、そのまま横に倒れた。京香さんが毛布を僕にかけてくれた。
「少し寝なさい。ここなら安全だから」
安全ではないのはわかっている。僕はこういうところへ連れて行かれたことがある。お金がある人は自宅とは別に部屋を借りて、そこへ男か女を連れ込む。ホテルより身元確認が要らないし、バレても打ち合わせだったと言い訳ができる。そういう場所なのだろうと思った。
それでも僕はここにいた。体が動かないのもあったけれど、こんなことをする女の人に興味を持ったからだ。僕にとって女の人は恐怖だったし憧れでもあった。でも京香さんはそのどれでもないようだった。不思議。よくわからない。そう思いながら僕は眠ってしまった。
◆◇◆
翌日、目が覚めると、京香さんはいなかった。丁寧な字で書かれていた手紙が一枚、テーブルの上に置かれていた。冷食があるのでチンして食べてと書かれている。僕は使われた跡がないきれいなキッチンに入る。大きな冷蔵庫を開くと、そこには水が入ったペットボトルしかなかった。下の段を開けると、冷凍チャーハンだけが何袋もあった。うーん、どうしよ。まだ体の感覚が少し変だった。僕は少しだけ息を吐くと、ベッドボトルをひとつだけ取って、ごくごくと飲み干した。
ベッドのそばに僕が持っていたトートバッグが置かれていた。緑色の折り畳み財布を開ける。足が付くものはロッカーに置いてきているけれど、入れっぱなしだったネカフェのポイントカードが普段と違うところに入っていた。
「誰だか知りたいよね……。僕もだけど」
財布を探られていたのは、そういうことなのだろう。現金はそのままだった。このまま出ていくこともできた。でも、僕はあの女の人がどういう人なのか知りたかった。ホテルに放置するか、警察へ連絡したほうが楽なのに、どうして……。ベッドに腰掛けたまま、少し汚れてしまった薄手のワンピースをきゅっと僕は握る。
だいぶ夜がふけた頃、京香さんは帰ってきた。僕を見るなり、心配そうに声をかけた。
「体、どう?」
「だいぶ楽になりました」
「そう、良かった。顔色もいいね。なんか食べた?」
「いえ、まだ……」
「おなか空かない?」
「いえ、その……」
僕が口ごもると、京香さんの心配が増したようだった。
「アンフェタミン系だと食欲がなくなるのよね。まだ薬の影響が続いているのかもしれない」
アンフェタミンって……。僕でもそれは何かは知っている。
これ以上、迷惑をかけてはダメだ。もっと知りたかったけれど……。でも、僕がいたらこの人は困ることになる。
僕は立ち上がると精一杯謝った。
「ごめんなさい。このご恩は絶対忘れません。ここから出ていくので……」
「出て行ってどうするの?」
「それは……」
「ネカフェとラブホを渡り歩くぐらいなら、ここに居なさいよ」
「それはダメです。絶対ダメです。迷惑をかけます。それに……」
「そんなのわかってるよ。うーん。ちょっと話さない?」
京香さんはベッドに腰掛けると、その端をパタパタと叩いた。どういうつもりなんだろう……。僕は促されるままにそこへ座った。
「まず自己紹介をしたほうがいいよね。私は松浦京香。医者というか……。医師免許は持っているんだけど研究者なんだ。分野は生殖医療。だから怪しい人じゃないよ。君のことを襲ったりもしないから。ね?」
そう言ってにっこりと微笑む京香さんを見て、僕も自分のことを教えたいという思いに駆られた。でも、教えていいのか悩んでしまった。僕はこんなだから……。
「あ……、あの……。」
「話したいことだけでいいよ。ゆっくりでいいから」
「僕は……水無瀬悠里と言います。その……」
「悠里君って言うんだ。よろしくね。あ、これは言っといたほうがいいかな」
京香さんは僕を見ずに告げる。
「私もウリをしていたときがあるんだ。あの近くで」
「え?」
「医学部に行きたかったのに、親がお金を出してくれなくてさ。女は頭が悪いほうが世間を渡っていけるんだって言われて、奨学金も認めてくれなかった。高校にいる3年間で学費を貯めるにはそれしかなかったんだ」
「え、えと……」
「急にこんなこと言われても困るよね。君にも君の事情があるのだろうし。だだ、なんかさ。ほっとけなかった。それだけだよ」
恥ずかしくなったのかもしれない。京香さんは腰かけていたベッドから立ち上がると、「なんか温かいのでもいれるよっか。紅茶しかないけど、ごめんね」と明るく言う。でも、ちょっとだけ声が震えていた。僕も教えなきゃ……。これは京香さんの勇気なんだ。見ず知らずの僕にこうして伝えたんだから。そう想ったら、誰かに伝えたくて心の中でずっと溜まっていた言葉があふれていった。
「僕は! 僕は……。自分の正体に気づいたのは中学生の頃で……。悩みをネットで相談していたら、上京して来なよと仲良くしてくれた人に言われて……。中学卒業してそのまま行方をくらまして、東京に出てきて……。でも、その人は何人も僕みたいな人を囲ってて。暮らしていくには、男の人に抱かれないといけないと言われて……。何人かとそこから逃げ出して……。でも、結局生活できなくて……。帰れば親に何をされるかわからないし……、行き場がなくて……」
「そう……。よく話してくれたね」
京香さんの体が近づく。僕の前に立つと、手を出して少し止める。それから思い直したように僕の頭をそっと撫でてくれた。
嫌じゃなかった。何年かぶりにうれしいと感じた。人の好意に触れて、泣いてしまいそうになるのを僕は我慢する。
「僕は……子供を産みたかったんです……。ただそれだけだったんです」
「子供?」
「自分の子供をお腹に宿したかったんです。産んで育てたかった。男だけど……」
「どうして?」
「その……。かけがいのないものを持ちたかったというか……。親がああだったし……。それが僕の幸せだと思ったから……」
黙ったままの京香さんを見ながら、僕はしまったと思った。自分の中のものを話し過ぎた。
「やっぱり変ですよね。おかしいですよね……」
「そんなことはない、と私は思うけれど。ただ応援もしづらい。妊娠は女性にとってはリスクが高い行為だし、それをしたいという男の人はそのことをわからないのかと普通は責める」
「ですよね……。忘れてください……」
「忘れないよ、その思い。話してくれたことも」
「でも……」
ぐうと僕のお腹がなった。京香さんがぷふと笑う。それから僕は、京香さんに誘われて深夜までやっている近所のラーメン屋さんに行った。背油が浮かぶラーメンを食べながら、僕たちはたくさんのことを話した。京香さんのまわりは男性の研究者が多い。女だからと差別されることはそれほどないけれど、それでも男同士の輪には入りづらい。仕方がないこと。でも寂しさをずっと感じている。僕は上京したての頃、似たような人たちと、朝までずっと話していたことを教えた。恋愛のこと、友達とのこと、そんなことを同じ視点で話せた大好きな人たち。もうそこへは戻れない。僕は汚れすぎているから。
社会と抗いながら生きていくのは、たいへんだ、その苦労をわかりあいたいと、みんなは言う。でも、僕たちのことは誰も知らない。そして僕たちは伝えない。理解してくれないことはわかっているから。性別も立場も違うけれど、同じことをふたりで話し合っていた。
ラーメンを食べ終え、僕達は目黒川沿いの道を歩いていた。茂った桜の葉が、夜空の星を隠していた。もっと話したい、そう僕は思いながら、京香さんの後をついていった。
「悠里、たまに空しくなるんだ」
「なんでですか?」
「いま私がやってる研究って少子化関係から予算出してもらっているんだけど、なんかさ。子供をたくさん作れたとしても、このままじゃ、ずっと誰かに消費されて、すりつぶされて、いつか消えてしまう。大人たちに黒く塗りつぶされて透明になる。私達みたくね。そのことがわかってると、なんで子供を増やそうとしているのかって……」
そんなのダメだ。透明なんかじゃない。僕は勇気を出して、京香さんの手を握ってあげた。
「消えないです。だって僕達はここにいます」
「あはは。そうだね」
おかしそうに笑う京香さんに僕がなぜだかとても安心した。こんなにも人の近くにいて安心できたのは、僕は生まれて初めてだった。
「ねえ、悠里。悔しくない?」
「何がです?」
「なんか負けたようでさ。ああ、そうだ。もう一回、青春するかな。深夜のファミレスでだべったりとかさ。あ、修学旅行もいいかも。私、どこも行けなかったんだよね」
「僕もそういうのは無かったから……」
「ならさ。悠里も私のささやかな社会への反抗に付き合ってくれる?」
「はい! もちろんです」
僕が笑うと、うれしそうに京香さんも笑い出した。そうだよ。僕たちはあの日から、一緒に戦う戦友みたいになれたんだ。恋人とか親友とか名前が付いた関係じゃなかったはずだった。
それからは僕はあの部屋で京香さんを待つ日々を過ごした。僕がご飯を作って、くたくたになって帰ってきた京香さんと一緒に食べる。つまらない映画を見て「ありえなくない?」とふたりで言い合う。つらいことがあればお互い話を聞く。仕事が一段落したら京都へ修学旅行のやり直しをしようと約束した。
この部屋の生活感のなさは、京香さんが勤め先の研究所に泊まり込むことが多いせいだとわかった。僕が勘違いしていたことを話したら、京香さんは笑い出して、それから「つらかったね」と抱きしめてくれた。
そんな日が続いて半年経った頃だった。僕は働こうとしていた。罪滅ぼしみたいなことをしようとしていた。せめてクリスマスには京香さんに何か贈りたい。それもできるだけきれいなお金で。コンビニバイトなら務まるのかなと思いながら調べていたら、いろいろ足らないものがわかってきた。銀行口座、身分証明、そして社会常識。僕には何もかもが欠けている。長く伸ばした髪の毛を切ろうと思った。接客をするのなら、それがいる。僕にできることはとても狭い。それを広げるには何かを捨てるか、途方もない努力がいる。
コタツが置かれ、こまごまとした物が増えた部屋を眺めながら、僕はため息をつく。どうして僕みたいなのが産まれるんだろう。そっと自分のお腹をなでる。もし自分で子供を産めるとしたら、僕みたいにはならないように育てたい。京香さんとならいっしょに……。僕はまたため息をつく。そんなこと考えてもどうにもならないのに。
京香さんが勢いよく玄関の扉を開けて、部屋へ入ってきた。抱えていた通勤用のリュックと買い物袋を放り出すと、コタツに入ったまま何事かと見上げる僕へ嬉しそうにたずねた。
「すごく良いことがあったんだ、悠里。やっと全部準備できた」
「何がです?」
「クリスマスは暇? 暇だよね?」
「暇も何も、わかってますよね」
「ならさ、ちょっと来てくれない?」
「どこへ?」
「うちの研究所へ!」
◆◇◆
クリスマスの夜、多くのカップルが歩いているお台場の街を、僕たちは足早に通り過ぎる。暗さが増した一角にその大きなビルはあった。産業医療総合研究所と書かれたスチールの文字がかろうじて読めた。広い駐車場を横切ると、灰色の小さな扉を京香さんが開けた。
「こっちから入って。あ、このIDカード、首から下げて」
「これでいい?」
「うん。大丈夫」
「どうして、ここなの?」
「まだ、秘密だよ」
京香さんがいたずらっ子のように笑っていた。白い廊下の照明は少し暗く、人はいなかった。「今日はクリスマスだからみんな早く帰ってるんだ」と京香さんは教えてくれた。廊下を奥へと進み、階段を降りると、大きな赤いマークと〈生物実験中、立入禁止〉と付けられた、窓のない扉が増えていく。やがて処置室と書かれた部屋の前に出た。京香さんが手をかざすと、銀色の扉が開く。中はテレビドラマで見たような手術室とそっくりだった。京香さんから「こっちに座って」と言われ、緑色のシーツがかけられたベッドに座る。少し硬い。それから京香さんが僕の前にガラスの容器を見せた。
「これね。私からのクリスマスプレゼント」
「なんです?」
「悠里に子供をあげる」
「子供って?」
「受精卵は私のだから安心してね。精子は教えられないけれど」
「え、えと……。京香さん、話がわからなくて……」
「あっ、ごめん! なんか浮かれててさ。ええと、最初から言うね。私の研究は人工子宮に関することなの。少し遺伝子いじった豚の子宮で人の胚は育てられる。それはわかってるのだけど、あとはどう効率を高められるのか、というあたり。歩留まり率というのかな。どうしてもある程度不良品は出ちゃって……。でも、悠里の話を聞いて思ったんだ。人類のもう半分に子宮を持たせればいいじゃないかって。それが責任というものだよね」
「それがこれ?」
「白いそら豆みたいでしょ? この中には胚が入ってる。出口がない子宮。人由来のがん細胞から作られていてさ。がん細胞って止めどもなく栄養を吸って増殖するんだ。その仕組みを利用して、体内に根を下ろすと栄養を吸い上げて中の胎児に与えていくように作ってみた。一応豚では実験済みだから、安心して」
不安しかなかった。それでもこれをずっと準備していたのはわかっていた。
「最近、京香さんの帰りが遅かったのはこのせいですか?」
「うん、まあ……」
「ほんとですか?」
「浮気とかじゃないよ」
「知ってますよ。京香さんに男の人の匂いがしたことないし」
「ええっ、悠里に言われるの、なんかやだ」
「なんですか、それ」
京香さんがベッドに腰掛けた僕を抱きしめた。ブラで固められた胸を僕に感じさせながら、耳元で吐息を漏らす。
「だって悠里は女の子なんだから。同性だから彼氏いないって言われるの、ちょっと恥ずかしい」
そうだね……。僕達はそういう関係だ。でも……。
結局僕からは何もあげられなかった。イヤリングも、そういう気持ちも。だから、この体をプレゼントするぐらいしかなかった。
「京香さん。ありがとう。プレゼント、うれしいです」
京香さんの体が離れていく。表情が自分の職を全うしようとする人のそれに変わる。
「じゃ始めるね。そこに寝て。そう、そんな感じ。お腹めくって」
「こうです?」
「うん。もう少し下まで。あ、そんな感じで大丈夫。ほんとは全身麻酔なんだけど、麻酔の量で研究所にバレちゃうから、局所麻酔で腹直筋鞘ブロックするね」
それがどういうことなのか僕にはわからない。むき出しになった僕のお腹に注射器の針が刺さる。透明な液体が体の中へ入る。チクっとした痛みが薄れていく。針を抜くと、僕のおへその下を京香さんがトントンとたたいた。
「感じる?」
「いえ、ぜんぜん……」
すぐにツンとした匂いがいる茶色の液体を、叩いたあたりにガーゼでびしゃびしゃと塗り広げる。それから京香さんは「正中縦切開するね」と言い、手にしたメスをおなかに当てた。その刃先は震えていた。
「ごめん。私、実技が下手くそで、自分で泣けるほどなんだ。だから……」
たぶんそうじゃない。京香さんはやさしすぎる。人を傷つけられない。これが危ないことなんて、こんな僕ですらわかっている。
「抱き締めながらしてもらえたらうれしいです」
それが正解かわからなかった。それでも僕は京香さんに一歩を踏み出してもらいたくて、そう言ってみた。僕にできるのはそれぐらいだから。
京香さんは銀色のトレイにメスを置いた。起き上がろうとしていた僕のそばに来ると「足をこっちに出して」と言う。言われた通りにベッドに腰掛けたら、京香さんはベッドに上がり、僕を後ろから抱えるようにして抱き締めた。
「悠里、本当にいいの?」
「僕の願いを叶えてくれるんですよね?」
「うん……」
「なら僕は何があっても、ありがとうって言います」
「……わかった」
抱き抱えられたままメスを入れられた。一筋の赤い線が僕のお腹ににじむ。さらにその奥へメスは進む。鉗子で僕の中を広げられる。片手で白い塊をピンセットでつまみ、京香さんは僕のお腹にそれを入れた。ピンセットが離れていく。お腹の中から押される感覚だけが僕に残った。
それからすぐ針と糸で手早く縫合されていく。まるで綿が出たぬいぐるみを直しているみたいだった。すっかり縫い終わると、白いテープを切られた傷の上に貼られた。京香さんはうめくようなため息をつくと、ピンセットをトレイに投げた。その勢いでトレイが床に落ちる。血の付いたメスやピンセットが、鋭い音を立てて白い床に散らばっていく。
それからずっと京香さんは僕を抱き締めてくれた。ずっといつまでも抱き締めてくれた。
「悠里。今日は神様が生まれた日なんだ。きっとこの子も私達の神様になれるよ」
◆◇◆
クリスマスから2か月が過ぎた。吐き気がする。気持ち悪い。だるい。ずっと重い感覚がしている。逃げ場がない不快感のせいで、ベッドに横たわる日が多い。京香さんに申し訳ない気持ちがずっとしている。少しぽっこりしてきたお腹をさすりながら、なんとか耐えようとしていた。
毛布をかけようと体を起こす。また吐いたほうがいいのかなと悩んでいたら、京香さんがキッチンから戻ってきた。手にしていた小さな皿を僕へ渡した。
「これ、かじってみて」
「なんです?」
「緑茶の葉。つわりに良いんだって」
つまんでみる。口の中に入れてみる。爽やかな苦みが、気を紛らわせてくれた。
「悠里、少しはいい?」
「はい……。これってつわりなんですか?」
「たぶんね。私も経験したことがないからわからないけれど……。あ、もうこんな時間。そろそろ行かないと」
寂しくなる。ここにいて欲しい。でも京香さんは仕事へ行く。仕方がない。引き留めたらいけない。
そのとき僕はどんな顔をしていたのかわからないけど、京香さんはとても心配そうに言った。
「もっと怒ったり泣いたりしていいんだよ、悠里は」
「でも……」
「マタニティブルーって言ってさ。妊娠中に怒ったり泣いたり、情緒が不安定になる。ホルモンバランスが崩れるからね。とくに悠里はホルモンの値がそもそも女性のとは違うから、かなりの落差になってると思う。症状としては激しいはずだよ」
「だからって、京香さんには……」
「怒ってよ、悠里」
京香さんが寂しそうに僕を見つめていた。
「なんでですか? こんなに良くしてもらってるのに……」
「違うよ、私が君を変えてしまった。私から逃げられないように、悠里に傷をつけたんだ」
「傷だなんて……」
僕はそっと京香さんに手を伸ばす。京香さんへその意味が伝わり、僕のそばに近づく。僕はスーツが皺にならないようにそっと京香さんを抱き締めた。
「だから、ありがとうっていつも思ってます」
「ダメだよ。そんなのダメだよ……」
「なんでですか?」
「子宮内膜症って知ってる?」
「え、いえ……」
「私はそのせいで不妊なんだ。何しても受精卵が子宮に着床しない。たぶん昔やってたウリのせいだと思ってる。自分の体も親も友達も、全部犠牲にしていまの研究職に就いたのにね。論文は評価されない。研究はいつも厳しく指摘される。同僚はどんどん成果を出して私を置いていく。誰も私のことを知らない。誰にも知られない。何も成せないまま、私は無駄に消えていくんだと思ってた」
「無駄なんかじゃ……」
「だからね。悠里に傷をつけた。お腹の傷と私達の子がいる限り、悠里に覚えてもらえる。私は君の気持ちを利用してそんなことをした、ひどい女なんだ」
「ひどくなんかないです」
「ダメだよ、悠里。怒ってよ……」
京香さんは泣いていた。僕はそんな京香さんをただ抱き締めてあげた。
それから、ずっとそばにいてくれたけれど、京香さんは塞ぎこんだり、何かをずっと考えているようだった。僕はそのたびに京香さんを慰めた。やさしい言葉、ハグ、それからキス。京香さんの罪悪感が少しでも薄くなればいいと願いながら。
◆◇◆
冬の寒さが過ぎ、春を迎えた。目黒川沿いの桜が見たいと言い張る僕に、京香さんは危ないからと心配する。それでも結局根負けして、京香さんはだぶっとしたワンピースと大きめのダッフルコートを着させてくれた。「絶対体を冷やさないでね」と何度も言われた。
着替えるときに自分の姿を見る。お腹はだいぶ目立つようになった。まるでスイカみたいだった。お腹をさすると、ぽこんと蹴り返してくれる。これが面白くて仕方がない。
不安はたくさんある。
京香さんはあれから少しずつ前を向いてくれるようになったけれど、それでもふとしたときに自分を責めていた。
この子のこともずっと悩んでいる。ちゃんと生まれてくれる? どんな子に育ってくれる? 僕達は誰かに頼れない。ふたりで考えていくしかない。
それでも京香さんと、この子のために、僕は生きようと思っていた。京香さんと出会う前の日々と比べたら、僕は本当に幸せだ。
坂を下り、共済病院のほうへ回る。中目黒駅のあたりは人がいっぱいだからと、みんなが向かうのとは逆の方向へ僕達は歩いていた。川沿いの遊歩道には桜の木々が生い茂り、薄紅色の花びらを散らしていた。春の日差しが、まだ鋭い冬の風を柔らかくしてくれる。
手をつないだまま、京香さんは僕に言う。
「気持ちいいね」
「この子が産まれたら、また来たいです」
「そうだね……」
春の日差しできらめく川を見ながら、京香さんは静かに僕へ告げた。
「何も残せない私が、悠里に子を残せたんだ。だから私は幸せ。ずっと幸せだよ」
僕は返事の代わりに京香さんの手を強く握る。もっと京香さんを幸せにしたい。この子と一緒に。ずっと幸せになれなかった僕だから。
◆◇◆
8か月目を過ぎ、僕と京香さんは、部屋に持ち込んだ超音波エコーの映像を見ながら相談していた。どうやら女の子のようだった。名前、出生届、授乳、おむつとか産着を揃えないといけないし、あと……。どうやって僕の子供を取り上げるのか。また研究所へ行くしかないけれど、最近警備が厳しくなったらしい。京香さんは研究所で忍び込めそうな時間を探ってくると言った。
いつもと変わらず出勤する京香さんを見送った。それから1週間経っても京香さんは帰ってこなかった。
それは朝6時ごろだった。ピンポンという音で、僕は京香さんがやっと帰ってきたのだろうと思った。眠い目をこすりながら玄関の扉を開ける。そこにはネクタイを締めていないスーツ姿の女の人と、何人かの男の人が集まっていた。女の人は僕の顔とお腹を見てから、低い声でたずねた。
「水無瀬悠里さんですね?」
「はい……」
「警察の者です。同行いただけますか?」
「え、えと……」
「松浦京香には逮捕状が出ています。主に業務上横領になります。研究していた物を勝手に使った。精子は窃盗されている。あなたも重要参考人です。わかっていますよね?」
「京香さんは……」
「私達が身柄を預かっています」
「その……。会えますか?」
女刑事が後ろを振り向いて、奥にいた年配の刑事を見る。その人がうなずくと、女刑事は僕に向き直った。
「パトカーの中にいます。来てください」
冷たい言葉とは裏腹に、女刑事は僕の着替えを手伝ってくれた。ワンピースのボタンをすっかり大きくなったお腹の上で止めていく。女刑事は僕の変わってしまった体を見ながら言う。
「私はこれを許せません。生命倫理から大きく外れている」
「でも、これは……」
「あなたの中にはもう命が宿っている。おもちゃじゃない。その行為は自然に反する」
最後のボタンを止めた僕から震えた声が出た。
「……僕が男だからですか?」
「そうだとは言いたくはないのですが、この嫌悪感はそうだと思います」
知らないくせに。僕たちのことを何も知らないくせに……。女刑事はあきれたように自分の正しさを告げた。
「あの女が、あなたの体に何を埋め込んだのか知らないのですか?」
「教えてはもらっていません。教わる必要もありません。この子は僕の子ですから」
「堕胎していただくことになると思います。罪に問われることはないでしょう。人ではないのですから」
「どういうことです?」
「何が生まれるのか、わからないということです。あなたの中にいるのは神様、あるいは悪魔かもしれません」
僕はお腹をさする。それでもこの子は僕と京香さんの子供だ。刑事はそんな僕を見て、怒りを募らせる。
「あの女は自分の研究が認められないからって、あなたをだまして研究中のある精液を使ったんです。これがどういうことか、わかりますよね?」
「……京香さんに聞いてみます」
女刑事はため息をつく。それから前後を刑事さんに固められながら、僕はマンションの外に出た。9月になってもまだ蒸し暑い朝だった。パトカーはマンションから少し外れたところに止まっていた。これから強くなる陽の光に照らされていた。後ろのドアを女刑事が開ける。京香さんがいた。奥の座席から僕の近くへやって来ると、車の中から手錠がされた手首を掲げて、困ったように笑った。
「捕まっちゃった。ごめん」
飛びついて抱き締めたくなるのを僕は我慢する。京香さんがそうしたように、僕は安心させるように笑ってあげた。
「もう……」
「悠里のほうは、平気?」
「うん、僕もこの子も平気です。たまに暴れて困るぐらいです」
「良かった。心配していた」
「それは僕もです」
「ごめん」
「謝らなくていいです。僕は言いました。いつでもありがとうって言います。どんなことをされても。この子が何であっても」
僕はそっとお腹をさする。
「これは京香さんからの贈り物だから」
京香さんの顔が曇っていく。涙がこぼれないように必死に我慢していた。その顔を僕へ見せないようにして「悠里はちゃんとお母さんしてるね……」と震えた声でつぶやいた。
女刑事が「そろそろ」と声を上げた。京香さんが女刑事に向かって言った。
「ごめんなさい。ちょっとお腹の音を聞かせてもらってもいいですか?」
女刑事がうなづく。京香さんは座席に座ったまま僕のお腹にそっと耳につけた。どうしても愛おしさがあふれてしまう。少し乱れた京香さんの髪をそっと撫でてあげた。
ふいに京香さんが顔をあげた。
「私が悪者になる。悠里は逃げて」
え?
京香さんが「あっ!」という大声を上げた。女刑事が何事かと僕たちに振り向く。まだお腹に耳を当てている京香さんをのぞき込む。すばやかった。京香さんが狙っていたのは、女刑事の脇の下からちらっと見えていた拳銃だった。ホルスターから拳銃をつかむと、すぐに女刑事へ銃を向けた。「やめなさい!」と女刑事が京香さんへつかみかかる。パトカーの座席から勢いよく京香さんは飛び出し、女刑事に体当たりして転ばせた。あわてて起き上がろうとした女刑事に、京香さんは銃口を向けた。
「おとなしくしてくれるかな? 私は人殺しをしたいわけじゃないの」
女刑事はゆっくりと立ち上がりながら腕を上げた。
「京香さん!」
「この人たちは悠里とこの子を無かったものにしようとしている。逃げないとダメ」
「でも……」
「私だってその子の母親なんだ。母親らしいことをさせてよ」
女刑事は「銃を下ろしなさい」と怒りに満ちた声で告げた。他の刑事達は次々と銃を抜き、そして僕たちに向けた。
騒ぎになっていた
出勤しようとしていた人たちが僕たちを取り囲む。
学校へ向かおうとしていた学生たちが僕達へスマホを向ける。
大勢と向き合ったまま、京香さんは困ったように言った。
「パトカーで逃げようか。私、免許ないんだけど」
「僕だってないですよ」
「そうだよね。ダメだな私はいつも。ねえ、悠里」
「なんです」
「ありがとう、こんな私を……」
パンパンッ。
クラッカーを鳴らしたような軽い音がした。
京香さん?
京香さんっ!
アスファルトの上に京香さんが倒れていた。こめかみから一筋の血が流れていた。「バカ、何をしている!」という男の人の怒声が聞こえた。呆然としているひとりの刑事が銃を構えたまま固まっているのが見えた。
僕は泣いた。
「ああ、もう嫌だ。もう嫌! どうしてこうなるの! 僕たちのことを知らないくせに……、知ろうともしないくせに……」
僕は怒った。
「それともさ。みんな殺してしまえばいいの?」
僕はどうにもならなくなった。
「ねえ、教えてよ、あなたたち!」
銃を構えた人たちが、スマホのカメラ越しに見てる人たちが、僕を遠巻きに見ている。
僕は膝をつき、京香さんを見下ろした。ぽたぽたと流れ落ちる僕の涙が、光を失っていく瞳に伝わっていく。
――死んじゃったの?
声が聞こえた。体の中から聴こえた。僕はその問いかけにやさしく答えてあげた。
「うん、そうだよ」
――どうして?
「みんなが……。みんなが僕達を見なかったら。だから、ずっと消費されて、すりつぶされて、こんなふうに消えてしまうんだ」
――なら、見せようよ。僕たちはここにいるって。
「でも……」
――飛ぼう! お母さん!
体が弾けた。
背中から大きな羽が何枚も勢いよく生まれた。それはマンションや家々に刺さり、薙ぎ倒し、破壊していく。
体が膨らむ。
むくむくと体の肉があふれ、新しい皮膚を作り、そしてまた肉を生み出す。止まっていた車も、街路樹も、みんな何もかも飲み込んで膨らんでいく。
体が跳ねる。
飛び出そうとする。変わってしまった体の動かし方がわからなくて、何度もよろめく。不器用に何度も、何度も飛ぼうとした。
飛ぶ。
何千枚もの大きな羽をいっせいに広げ、空気を蹴った。
飛び立つ。
壊れた街がみるみる小さくなっていく。
空を翔ける。
何もかも空の下に置いてきた。そして、京香さんも……。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
湧き上がる感情のまま、僕は泣いて怒って、そして叫んでいた。
もっともっと上へ。
空気が薄くなるのを感じる。体中にできた気嚢からガスを噴出させ、僕は大きな羽を何度も羽ばたかせた。
もっと、もっと……。
空の色が暗くなった。
もっと広く、もっと遠くに……。
意識が広がっていく。遥か下の方でうごめいているのは飛行機だろうか。風の流れが産毛の先をくすぐる。雲の柔らかさを感じる。
そうやって全長10kmほどになった僕は、北半球のほぼ半分を、自分の意識下に置いた。
みんな見えているのかな?
僕はここにいる。僕の子を抱えながら、地表に向かって問いかける。みんなは京香さんのことを、自分が認められたくてそのために僕を踏み台にしたと言うかもしれない。でも、僕たちの関係はそういうものじゃなかった。一言で言えない関係だけど、そういうものじゃなかった。ぜんぜん違うんだ。
みんな見えている?
君たちは見たいものしか見ない。本当のことなんか見もしない。
みんな僕が見えている?
みんな僕達が見えている?
「僕達を見てよっ!」
震えた。僕の声が空間自体の振動となって広がっていく。地表に届く。海が震えているのが、この高さからでもわかる。僕の声は地表へ降り注いだ。それは大勢の人の命を奪ってしまうだろう。放たれた怒りと入れ替わりに罪悪感が僕を満たす。こんなことしても……京香さんは戻らないのに……。
ちりちりとした感じがした。悪意? きっとミサイルか何かが僕を狙っている電波かもしれない。化け物になった僕を殺そうとしている。わかるよ。僕はいつだってみんなの化け物だった。
でも、この子は違う。
僕は10本目の手を使って、かつてお腹だったところをさすった。それからやさしく僕は問いかけた。
「さあ、お前は行きなさい」
――お母さんは一緒に来ないの?
「うん。行けない」
――やだよ、そんなの。
「そうだね。僕も嫌だな。でも、あなたは僕と京香さんの子供なんだ。だから大丈夫」
――でも……。
「広い世界へ行きなさい。こんな狭い世界じゃなくて。そこはきっといいところだから。ね、アイ」
――私の名前、アイっていうの?
「そうだよ。京香さんとずっと考えていたんだ。愛、合い、逢い。それは僕と京香さんが、ずっと欲しがっていたものだから」
――そっか……。
「行ってきなさい」
――うん……。あのね。
「なあに?」
――愛してる、お母さん。
「……ありがとう。産まれてきてくれて」
パキンと何かが僕の体から離れていく。手の先から少しずつ剥がれていく。分離した僕の体は意思を持って、地球の引力から少しずつ離れていく。
ああ……。僕の子供が、僕の体から離れていく。
それは思っていた出産というものとは違っていた。僕の半身をもがれるようだった。痛さより、いままで一緒だったものが離れていく寂しさのほうがつらかった。
足の先まではがれると、その子は暗闇の中に浮かんだ。それから泳ぐように不格好な手足を動かし、暗闇へと向かっていった。
「いってらっしゃい」
自分の子供の旅立ちを見守った。振り返らず、ただまっすぐに、僕と京香さんの子は、外の世界へ向かって歩き出した。
僕の体が崩れていく。それはもう止まらない。僕のかけらは地球の熱に晒され、きっと僕ではない何かに代わってしまうだろう。でも、それでいいと思った。
青い地球を散り散りになった体で感じる。きっと腹を立てたり、悲しんだり、地球はずっとマタニティブルーだったのだろう。うん、僕にはわかるよ。おめでとう。君の子供はいま産まれた。進む先は暗闇だけど、あの子には僕と京香さん、ふたりの希望を託したんだ。きっと星の輝きが待っている。
けれど、それでも……、まあ……。そうだね……。
なんか、悔しい……、かな……。
京香さんにもう一度触れたい。唇に触れたい。京香さん……。好きだったんだよ、京香さん。だからもう謝らないで。僕がこうなったのは、京香さんのせいじゃないよ。きっと僕たちじゃない、誰かのせいなんだよ。
僕の声が聞こえる誰かへお願いしたい。どうか祈って欲しい。愚かで愛おしい京香さんへ。こんな世界に産まれてきた子供達へ。そして自分が見ようとしなかった人達にも。
流れ落ちた涙が肌の上で蒸発していく。僕はそれを感じることがもうできない。
境界の向こうに青を感じた。澄み切っていて、遠くて、寂しくて、苦くて、そして愛おしい気持ちを。それは京香さんが僕に与えてくれたものだとわかっていた。僕は、その彼方へ、もうなくなってしまった手をゆっくりと伸ばそうとした。
<了>
マタニティブルー 冬寂ましろ @toujakumasiro
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