第12話 二人の目的地

「ノックス先生、ルーナです。借りていた服を返しに来ました」


 ルーナはトントンと診療所のドアをノックした。普段の質素な格好に着替えた少女の隣で、やはり少し窮屈そうな服を着たレムールが、大判の布に包んだ二人分の貸衣装を抱えている。


 何度か扉を叩いてみたものの、診療所の中から返事はなかった。この時間帯はステラが開院の支度に追われているはずだが、いつも外の物干しロープに掛けられている煮沸消毒済みの包帯やサラシも見当たらない。


「どうしたのかしら。二人そろって寝坊するとは思えないけど……」

「今日は診療所が休みなのでは? 二人ともどこかに出かけているようですし」

「どうして分かるの?」

「中から人の気配がしませんので。……ですが、入り口は開いていますね」


 レムールがドアノブに手をかけると、扉はあっさり開いた。外出中に鍵を掛けないとはずいぶん不用心だ。ノックスだけならやりかねないが、几帳面なステラにしては珍しい。


「姫様、服はひとまず待合室に置いておきましょう。礼を伝えるのは、後であの医者と助手に別れの挨拶をするときでもよろしいかと」

「……それもそうね」

 ルーナは一抹の寂しさを感じつつ、小さく笑って首肯した。


 ――今夜、ルーナとレムールは帝都を旅立つ。

 理由は二つある。まず、この街でレムールと二人で生活するのは目立ちすぎること。劇場での騒ぎや帝都の〝幽鬼〟事件によって、警吏の目も厳しくなっている。変装して誤魔化すにも限度があるし、何より彼に肩身の狭い思いはさせたくなかった。


 もう一つの理由は、レムールの〝呪い〟だ。

 ルーナの歌と祈りによって一時的に鎮めることはできるが、根本的な解決には至っていない。この先ずっと亡者たちの復讐心に囚われたまま生きていくのは、あまりにも憐れだ。


「〝呪い〟を根絶するために、私はテュフォン王国へ帰るわ」


 ルーナがそう告げたとき、レムールの返答は快いものではなかった。


「王都があった場所は、今や帝国の要衝ようしょうとして戦時下にあります。奴らがテュフォンを襲った最たる理由は、周辺国を侵略する足掛かりとするためでした」

「それでも、行かなければならないの。故郷の面影すら残っていない、危険な土地だとしても……人々の嘆きに耳を傾けるのは、最後の王族たる私の役目だから」


 決然として意思を表したルーナに、これは説得しても聞かなそうだと判断したのか、レムールは「分かりました」とうなずいた。

「姫様がそう仰るのなら、必ずや俺が道を切り開きましょう。……ですが、どうか俺の願いも聞いていただけませんか」


 やや圧のある笑顔と物腰でルーナに迫り、レムールは旅の目的に一つの条件を付け加えた。

 ――魔工技師クオード・ヴェラを見つけ出し、ルーナの心臓を直させること。

 これだけは絶対に譲れない、とレムールは言う。彼はまだ諦めていなかったのだ。


「よほどの田舎でなければ、途中の街にも魔工技師はいるはず。姫様の心臓を診てもらいつつ、クオードの居場所も探るのです!」


 レムールはやけに生き生きとして宣言した。自身を蝕む〝呪い〟より、ルーナの延命のほうがよほど大事らしい。利害は一致しているので、ルーナは悩んだ末にその条件を飲むことにした。


 そんなこんなで帝都を発つことになった。しかしその前に、世話になったノックスとステラにはせめて挨拶の一つでもしておきたい。

 診療所に入ってから念のため声をかけたが、やはり誰もいないようだ。


「二人はいつ戻ってくるのかしら。今日中にお別れを言えたらいいのだけど」

「しかし、先日来たときよりも妙に片付いていますね。もっと書類や器具類で雑然としていたような……ん?」


 待合室の長椅子に荷物を置いたレムールが、傍のテーブルに目を留めて首をかしげた。「どうしたの」とルーナは歩み寄る。


 テーブルの上には、一輪の白い花を添えた封筒が、洒落た木の小箱に立て掛けられて置いてあった。封筒にはしっかりと赤い封蝋印ふうろういんが押してある。


「これは……ノックス先生の置き手紙? けど、先生にしては丁寧すぎる気がするわね。宛名も送り主も書かれていないし」

「……いえ、お待ちを姫様。その封蝋印をよくご覧ください」


 突然、レムールが神妙な顔をして言い出した。封筒の裏側を見ていたルーナは表にひっくり返し、彼の言わんとすることに気づく。我知らず呼吸を止め、目を見開いていた。

 ぱっと見ただけでは分からなかったが、封蝋印はルーナもよく知る不可思議なマークをかたどっている。


「――クオード・ヴェラのサイン……?」

 

 円を貫く鳥のくちばしと、短い一本線。ルーナの背にも刻まれている、あの印だ。


 レターナイフを使うことも忘れ、ルーナは手紙を開封した。中から折り畳まれた一枚の便箋が出てくる。二人がうなずき合って便箋を開くと、そこには見覚えのある筆跡でこう書かれていた。

 

『これはキミたちへの餞別せんべつだよ。肌身離さず持っていれば魔力の足しにはなるだろう。あと、診療所にあるものは好きなだけ持っていくといい。この八年、とても楽しい経過観察期間だったよ。――――オジサンより』


 読み終えた途端、便箋はふわりと浮き上がってルーナの手を離れる。かと思えば中心から火がついて、あっという間に燃えてしまった。


 レムールが便箋の燃えかすを手で払い、慎重な手つきで小箱を開けた。出てきたのは、手のひらに乗るほど小さな金色の鳥籠。中には親指ほどの大きさもある魔力結晶が収まっていた。

 二人は黙し、呆然として顔を見合わせる。


「……まさか、ノックス先生がクオード・ヴェラ本人?」


 ルーナは自分で言ってもにわかに信じられなかった。混乱する頭の中で、見知った町医者の顔が浮かんでくる。そんなはずがない、と彼の行動の一つ一つを思い返すものの、疑念を絶対的に否定できる要素は見つからなかった。


 ノックスが金も取らずにルーナの心臓を診続けた理由――この八年は、自らの手で埋め込んだ魔導機構の心臓マギクス・コアが〝器〟に適合するか、無事に動いているかどうかを観察するためにあったから。

 クオードは善良な町医者のふりをしてルーナに近づき、主治医となり、自分の作品が生き続けていることを定期的に確認していた。医者という立場を利用すれば、帝都で他に頼る相手がいないルーナは疑わずに身を預けてくれる。


 しかし、そこへレムールが現れた。ルーナに四六時中付き従い、周囲を警戒する彼がいては、心臓の観察もままならない。自身がクオード本人であるとバレたら間違いなく殺される。だからルーナたちが幽鬼探しに奔走している間に帝都から逃げた。もしかしたら、ノックスが幽鬼の噂を口にしたのは、最初からこのためだったのかもしれない。


「……やられたわね」


 深い溜息の後、ルーナは笑っていた。ノックスことクオード・ヴェラに対する怒りよりも、完全に出し抜かれた自分自身への呆れのほうが勝っている。それはレムールも同じなのか、てっきり先日のように「八つ裂きにしてやる」などと言い出すかと思いきや、悔しげな顔で唸るばかりだ。


「なんという男だ……このために八年も身分を偽っていたというのか」

「今となっては、本当に男だったかどうかも分からないわね」


 ノックスは常にサイズの大きい白衣を着ていたし、ぼさぼさの髪と丸眼鏡のせいで人相も分かりにくかった。身長のわりに痩せ型だったのは不摂生のせいではない可能性もある。力仕事もほとんどは助手のステラに任せきりだった。


 神出鬼没で、その性別や年齢すら明らかではない、唯一無二の魔導機構マギクスを作り出す魔工技師。確かにそのとおりだとルーナは思った。この八年間、自分はずっとクオードの手のひらの上で踊らされていたのだ。


 ルーナは、クオードからの餞別だという魔力結晶を小箱から取り出して眺めた。結晶は鮮やかな輝きを放っており、確かに強い魔力を感じる。鳥籠のてっぺんには、ちょうどルーナが首からさげられる長さのチェーンがついていた。

 ルーナとレムールが帝国を発つことを、クオードは想定していたのだろうか。


「あら? 小箱の中にまだ何か……」

 小箱の底に小さなカードが入っていた。そこにも短い一文が書かれている。


『不変の心臓はニヴィスルイナにある。あなたたちなら辿り着けるはず』


 隠れて急いで書いたような少し荒っぽい字だった。クオードの手紙とは異なり、やや丸みのある筆跡だ。これには何も仕掛けられていないようで、燃えて消えることもない。


「これは、ステラが書いたのかしら。意味がよく分からないけど……」

「ニヴィスルイナというのは土地の名前に見えますが、聞いたことはありませんね。それに、〝不変の心臓〟とは何のことでしょう」


 二人でカードと小箱をまじまじと観察しながら頭をひねったが、書かれている以上の情報は得られそうにない。


 それからしばらく、手分けして診療所の中をくまなく探し回ったものの、彼らの居場所を示す手がかりは出てこなかった。髪の毛一本すら落ちていない徹底ぶりで、二階の生活スペースも人が住んでいたとは思えないほど綺麗に片付けられている。


 町医者ノックスと助手のステラは、もう帝都に戻ってくるつもりはないのだろう。ルーナの経過観察ができなくなった時点で仮面を外し、魔工技師クオード・ヴェラとして次の〝器〟を探す旅に出たのかもしれない。


「本当に、厄介な置き土産を残してくれたわね」


 待合室の長椅子に腰を下ろしたルーナは、小窓から射し込む朝陽に〝餞別〟の魔力結晶をかざした。光の当たる角度によって夜闇のごとく暗く陰り、怪しい炎のように赤みがかって揺らめき、宵口の空の星々を思わせるきらめきを内包している。隣に座ったレムールも、様々な一面を持つ結晶をじっと見つめていた。


「奴はいったい、何がしたかったのでしょうか」

「……さあね。でも、きっとまたどこかで会えるわ」

「なぜそう思うのです?」

「八年も執着し続けたを、そう簡単に諦めはしないでしょう」

 ルーナが不敵に笑むと、レムールは虚を突かれたように目をぱちくりさせた。


 クオードがルーナに新たな魔力結晶を託した意味を考えれば、彼の言わんとしたことはおのずと分かる。

 ――もっと生きてみせてくれ、と。

 悪趣味な魔工技師の、食えない笑みが目に浮かぶようだ。


 遠くない未来、彼らと再び相まみえる日が来るだろう。そんな予感が確かにある。いっそクオードの予測を大幅に超えるくらい長生きして鼻を明かすのも悪くない。旅の目的が一つ増えたと思うことにしよう、とルーナは密かに決意を新たにした。


「それじゃあ、行きましょうか。レムール」


 立ち上がり、隣の騎士に手を差し伸べる。レムールは一瞬ぽかんとした後、少し照れくさそうにはにかんで少女の手を取った。


「エスコートは騎士の務めですよ、姫様」

「ふふ、一度やってみたかったの」


 いたずらっぽく笑って、ルーナはレムールの手を引いた。

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マギクス・コアの歌姫は亡霊騎士に祈りを捧ぐ 木立ゆえ @yue-kodati06

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