第10話 富士山に棲む大蛇
私は芽以さんと一緒に新大阪駅に向かった。そこで東京行きのこだまの自由席を買い、ホームに停車しているこだまに乗り込んだ。新大阪始発だから自由席を取りやすくていい。
新幹線に乗る前に飲み物を買う(おにぎりをもらったので駅弁は買わなかった)。売り場には万博のポスターが貼られていた。
万博会場の人の多さが脳裏に蘇る。数日前のことなのに、日常と異なる風景だったせいか、妙に懐かしく思えた。
「短いけど内容の濃い旅行だったわね」としみじみと言う芽以さん。
「結婚相手も見つかったしね」と芽以さんをからかうと、芽以さんは顔をまっ赤にした。
「まだつき合うと決まったわけじゃないから、早まらないで」と抗議する芽以さん。
「でも、将来関西に引っ越すとなったら、こっちでやっていけるのかしら?」
「大丈夫よ、住めば都と言うじゃない」と私は人ごとなので適当に言った。
まもなく新幹線が発車した。
新大阪を出て三十分弱で京都駅に着く。駅のホームに入る前に京都タワーの奇妙な姿が目に入った。古都京都なのに、何となく近代的なタワーだ。万博のパビリオンと印象が重なる。
京都駅を出た頃にお弁当を広げる。塩昆布入りのおにぎりだ。大阪では塩昆布もよく食べるということだった。
おいしくいただきながら四月以降について芽以さんに相談する。
「四月から短大二年生で最終学年なんだけど、就職活動はどうすればいいのかしら?」
「名目上の就職協定では会社訪問や学校推薦、企業が出す内定は十月以降ってことになっているけど、今はいざなぎ景気で売り手市場だから、どんどん内定が早まっているみたい。四月になったら早めに調べた方がいいわね」
「大学が適当な企業を推薦してくれるの?」
「売り手市場なことと、最近まで大学紛争があったことで、大学就職部の推薦だけじゃなく自由応募のところが多いから、学生が勝手に会社訪問することが増えているみたい」
「案内が来るのかな?」
女性なら結婚という永久就職が許される、というか、それが珍しくない時代ではあるが、当分結婚する気はないし、将来結婚するかどうかもわからない。
だからと言っていい就職先が見つかるとは限らない。以前に先輩の祥子さんが、秘書として就職するなら自分の父親に相談してあげると言ってくれたこともあったが、それでうまくいくのだろうか?
そんなことを思い悩んでいるうちに新幹線は琵琶湖のそばを通り、米原駅に向かっていた。
「佳奈から聞いたんだけど、佳奈の高校の同級生が大学受験のために名古屋まで新幹線で行ったんだって」と芽以さんが話題を変えた。
「へ〜、それで?」
「その子は名古屋に着くまでの間、富士山が見えると思ってずっと窓の外を見ていたんだって」
私はそれを聞いて笑った。
「さすがに愛知県なら東の端の豊橋市あたりまで行かないと、新幹線の窓から富士山は見えないでしょうね」
「それで思い出したんだけど、私の高校の時の同級生が愚痴を言っていたことがあったの」
「愚痴?」
「ええ。その子は高校の夏休みにお父さんと福井県の祖父母の家へ遊びに行くために米原まで新幹線に乗ったんだって。新幹線に乗るのが初めてだったので前の日から楽しみにしていて寝付けず、東京駅を出てからまもなく眠くなってしまったの。車窓から富士山を見ようと思っていたから、お父さんに『富士山が見えたら起こしてね』と頼んだの」
「気持ちはわかるわ。新幹線から見る富士山は雄大だものね」
「ところがいつまで経っても起こしてもらえず、気がついたら浜松を通り過ぎていたんだって。そこでお父さんに文句を言ったら、『富士山は見えなかったぞ』と言い返されたそうなの」
「天気が悪かったら見えないかもしれないわ」
「その日は薄曇りだったけど、雨は降ってなかったそうなのよ。だから見えないはずがないとお父さんを怒っていたけど、福井県に着いてからある伝説を思い出したんだって」
「伝説?」
「福井県坂井郡(作者註、現在の坂井市)に丸岡城というお城があってね、そこに伝わる伝説なんだけど、戦国時代に敵に襲われた時に大蛇が現れて口から霞を吐き、城を覆い隠して守ったと伝えられているの」
「大蛇?なんでその大蛇がお城を守ったの?」
「お城を建てる時にそのお城を守るために自ら名乗り出て人柱になった人がいたそうなんだけど、その人が大蛇に化けてお城を守ったという言い伝えがあるんだって」
「人柱?建物や橋を造る時に生け贄のように生きたまま地中に埋められる人のことね?自分の命を投げ打って、さらに死んだ後も大蛇になってお城を守るなんて、立派なことなのかどうかわからないけど、そこまで尽くすの?って思っちゃうわ」
「別の言い伝えだと、お城が攻められた時にお姫様が自分の命と引き換えにお城を守ってほしいと願って井戸に飛び込んだことがあったそうよ。その井戸から霞が立ち上ってお城を隠したとも言われているわ」
「どっちが正しいの?それともそう言うことがどっちもあったのかしら?」
「それはわからないけど」
「そのことが富士山とどう関係するの?」
「その子はその伝承から、富士山にも霞を吐く大蛇が棲んでいて、新幹線で近くを通った時に霞で富士山を覆い隠したんじゃないかって連想したのよ」
「富士山にも大蛇がいるの?」
「その子が気になって調べたら、昔聖徳太子が馬に乗って富士山に飛んで行って、洞窟の中で出会った大蛇が大日如来だったとか、鎌倉幕府の二代将軍源頼家が御家人の新田忠常に富士山の人穴と呼ばれる洞窟を探検させたら奥で大蛇に出会い、それが浅間大菩薩だったとか、大蛇にまつわる伝説があることはあるの。富士山を隠したとは書かれてなかったそうだけどね」
「なるほどね。でも、その子は本当に大蛇が富士山を隠したと思ってたの?」
「まともに信じてはないと思うけど、お父さんが嘘をついていないのなら、それしか考えられないって言ってたわ」
「実はね、富士山は近くからでも見えないことがよくあるそうなの」
「え?・・・そうなの?」私の言葉に芽以さんが驚いた。
「富士山は大きいから、見ている人と富士山の間には見た目で想像するよりもずっと距離があるの。そして夏場は富士山の周りの湿度が高いことがよくあって、濃い霧が発生しやすいらしいわ。そうなると近くに住んでいる人でも富士山が見えない日がよくあるし、山麓を通る道路を車で走っても、すぐ近くにあるはずの富士山がまったく見えないことも珍しくないそうなの」
「そうなんだ。・・・つまり、新幹線から富士山が見えないことはよくあることなのね?」
「そうなの。富士山が見えたらラッキーと思っていいくらいよ。ちなみに大学受験の時に新幹線から富士山が見えたら受験に落ちるというジンクスがあるらしいわ」
「何よそのジンクス。嫌なことを言う人がいるのねえ」
「妙なジンクスはけっこうあるわよ。井の頭公園にカップルで行ったら必ず別れるとか、島根県にある出雲大社にカップルが行ったら結婚できないとかね」
「え〜なんで?出雲大社なんて縁結びの神様がいるんでしょ?」
「カップルで行くと神様が嫉妬するからだとか何とか。・・・私もよく知らないけどね」
「将来恋人ができたらそんなところへはいかないようにするわ。それはともかく、途中で富士山がまた見れたらいいわね。受験に行く途中じゃないから見えても問題ないし」と佳奈さんが言った。
その言葉通り帰路でも富士山がよく見え、改めてその雄大さに感激した。そして東京駅に着き、私は佳奈さんと別れて家に戻った。
「ただいま〜」と言って自宅の玄関に入る。
すると「おかえり〜」と言って両親と弟の武が集まってきた。
「どうだったの?」と聞く母親。
「とても楽しかったわよ。おみやげがあるから待っていてね」と言って私は自分の部屋に荷物を置き、おみやげの太陽の塔の模型(鉛筆削り付き)と絵葉書を持って居間に戻った。
私は絵葉書を見せながらどんな展示があったのかを説明した。武は太陽の塔の模型を手に取り、いろいろな角度から見ていた。
「俺も行きたい!」と言い出す武。
「そうねえ、勉強になりそうね」と母親。
「でも、話に聞いたら人出がとても多いそうじゃないの。行列の待ち時間も長そうだし、武を連れてなんてとても無理だわ」
「え〜!?」と文句を言う武。
「俺も仕事があるからなあ」と父親も言い、再び武が「え〜!?」と文句を言った。
「美知子、今度は武を連れて行きなさいよ。もう慣れたでしょ?」と無茶ぶりをする母親。
「私は友だちの家に泊めてもらったから気軽に行けたけど、武を連れて泊めてくれるわけはないから、どこかホテルを予約しないといけないわよ。客が多いから飛び込みでは部屋をとれないと思うの。お金もかかるわよ」
「お金は出すから二人で行ってきてもいいぞ」と父親が言った。
「旅行会社にでも行って宿を予約したらどうだ?春休みかゴールデンウィークか、あるいは夏休みにでも」
就職活動を始めないといけないからそんな余裕はない、と断りたかったが、武が期待を込めた目で見つめてきたので言い出せなかった。
「とりあえず調べてみるけど、無理だったらあきらめてね」と私は言って引き受けることになった。
「ところで武はどのパビリオンを見たいの?」と私は大阪万博の資料を広げながら武に聞いた。
「パビリオンって?」
「展示する建物のことよ。・・・例えばお奨めはアブダビ館やセイロン館だけど」
「どこのパビリオンだよ、それ!?」
「日本のパビリオンで社会の勉強になるのは、自動車館、生活産業館、せんい館、鉄鋼館、電気通信館、電力館などね」
「よくわかんないっ!それを見せてよ!」と言って武は私の手から万博の資料を奪い取った。
「え・・・と・・・、あ!アメリカ館がいい!アポロや月の石が見られる!」
「そ、そうね、一番人気のパビリオンね」
「それに三菱未来館や日立グループ館が面白そう!」
日立グループ館は行ってないけど、フライトシミュレーターがあって飛行機の操縦が疑似体験できるらしい。おもしろそうだから人気があって混むだろうな。そしてアメリカ館や三菱館のあの長い行列にまた並ぶのか・・・。
すんなり入れるのならもう一度見てみたい気はするが、長く待たなければならないと思うとうんざりしてしまう。しかし武の目は期待に満ちて爛々と輝いていた・・・。
こうして私は両親から多少の軍資金をもらって旅行代理店を回るはめになった。大阪近辺にはたくさんのホテルがあるのだろうが、値段的に手頃なところはすぐに予約がいっぱいになってしまうのだろう。そして私の春休みはホテル探しで潰れてしまうのではないだろうか?
思わずため息をついてしまう。
今日は家に帰ったばかりだ。明日になったら考えよう。「明日は明日の風が吹く」と映画『風と共に去りぬ』のラストでヒロインのスカーレット・オハラが言っていたではないか。
就活も四月になってからでいいよね。
私はそんなことを考えながら夕飯を食べ、銭湯に行き、帰ってから部屋に布団を敷いて寝る準備をした。
武は太陽の塔の模型を握り締めながら万博の資料を隅から隅まで眺めている。中学二年生にもなってまだまだ子どもだな、と微笑ましく思う。
・・・あの太陽の塔の模型は自分用のおみやげだったんだけど、武に取られてしまったみたいだ。もう一度万博会場に行くのなら、また似たようなのを買って帰らなくては。
こうして短大一年生の年度が終わり、まもなく二年生になる。そして卒業し、就職し・・・やがて誰かと結婚するはめになるのだろうか?
時がどんどん過ぎて行く気がする。
いつの日かおばあさんになって、短大生の頃を懐かしく思うようになるのかな?その時になって後悔しないように、今の時期を精いっぱい生きていこう。
藤野美知子の関西旅行(大阪万博EXPO’70に行く) 変形P @henkei-p
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