第9話 釣瓶落としの妖怪

佳奈さんの自宅に戻り、夕食の時間になったので階下に降りると、今日の夕食はうどんすきだった。そして今夜は佳奈さんのお兄さんが同席していた。緊張するが、特に話しかけられなかったので、いつも通りにしていよう。


私はうどんすきという料理についてよく知らなかったので佳奈さんの母親に聞くと、


「うどんすきの『すき』はすき焼きのことで、大阪では昔肉の代わりに魚を入れたうおすきという料理があったの。そこからヒントを得て考え出されたのが美々卯みみうのうどんすきだけど、すき焼きというよりはうどん入り寄せ鍋に近いわね」と教えてくれた。


鍋の中には鶏肉、エビ、白菜、ニンジン、シイタケと多めのうどんが投入されていた。昆布と鰹節のダシで炊いて、タレはつけずにそのまま食べるようだ。


各自でうどんと具を取り皿に取って食べる。鍋からすくってすぐに食べるので、普通のうどんよりも熱かったが、とてもおいしかった。


食事中に佳奈さんが住所の暗号を解いたことを話し始めた。


「寛子の住所は暗号だったの。それを妖怪ハンターの美知子さんが解き明かしてくれたのよ!」


「妖怪ハンター!?」佳奈さんの家族が食いついたのは私の二つ名の方だった。


「藤野さんって陰陽師の家系の方だったんかね?」と私に聞く佳奈さんのおばあさん。


「ち、違います!」と言って私は弁明を始めた。


「話は長くなりますが、高校時代に推理小説好きの同級生がいて、その子が学校の七不思議の謎を解き明かすのを見てました。それを真似て私も妖怪が絡んだと思われた事件の謎を解いていたら・・・本当の妖怪じゃなかったけど・・・友人が私のことを冗談で妖怪ハンターと呼ぶようになったんです」(『一色千代子の事件録』第5章参照)


最初に妖怪ハンターと名乗ったのは自分だった気がするが、あれはあの場だけの冗談だった。その後もそのように呼ばれるとは思ってもみなかった。


「それに、佳奈さんのお友だちの住所がわかったのは私の手柄ではなくて、三人で一緒に知恵を絞った結果なんです」


「その暗号って?」と佳奈さんの母親が聞いてきたので、佳奈さんが解き明かすまでに至った経緯を説明した。


「昨日私が話した大阪の難読地名と、芽以が思いついた万葉仮名というヒントから美知子さんが解法を導き出したのよ!すごいでしょ!」と、自慢するかのように話す佳奈さん。


「さすがだな。妖怪ハンターというより名探偵と呼ぶ方がいいんじゃないか?」と佳奈さんの父親が言った。しかし一色を差し置いて自分が名探偵だと名乗るほど自信過剰ではない(一色の名探偵ぶりについては『一色千代子の事件録』参照)。


「私ひとりではとうてい考えつきませんでした」と謙遜しておこう。


「藤野さんは頭がいいんだな」と佳奈さんのお兄さんが突然口をはさんで、全員がちょっと驚いた。


「なら、俺が抱えている謎も解いてくれないかな?」


「謎?謎って何なの?」と聞き返す佳奈さん。全員がお兄さんの発言に聞き耳を立てた。


「これは大々的には報道されてない話だから、某大学の某学部の話と言っておこう。今年に入ってからの話だけど、その日は大阪でも雪が少し降っていて、地面にうっすらと積もっていた。その学部は二年前から別のところへ移転している最中で、旧校舎にはあまり人が残っていない状況だったんだ」


「人気の少ない、近々取り壊される予定の校舎なんですね?」と私は聞いた。


「そう。そんな人気のない校舎の裏口の近くで、夕方、ひとりの教授が亡くなっているのが発見された」とお兄さんが話したので、私たちは絶句して話の続きを待った。


「校舎と校舎の間の狭い通路で、頭の上から植木鉢が落ちて来て、頭を強く打って亡くなっていたそうだ」


「植木鉢?」


「そう。素焼きの植木鉢だけど、直径が三十センチ、高さも三十センチくらいある、ちょっと大きめの鉢だった」


「それが真上から落ちて来たのですか?それとも、誰かが植木鉢を持って殴ったのですか?」


「通路にうっすらと積もっていた雪にはその教授の足跡しかなかった。教授の足跡の上を別の誰かが踏んだような跡はない。靴底の模様がくっきりと残っていたからね」


「じゃあ、少し離れたところから誰かが投げつけたんじゃないの?」と芽以さんが言った。


「大きな植木鉢だから遠くから投げて当てることは砲丸投げの選手でも不可能だろう。だから、真上から落ちて来たとしか考えられないんだけど、真上には空しかないんだ。だから釣瓶落としという妖怪の仕業じゃないかと言う人まで出てくる始末さ」


「釣瓶落としって?」と聞く佳奈さん。


「大木の上から落ちて来たり、釣瓶と呼ばれる井戸から水を汲む桶を落としたりして通行人を襲う妖怪のことさ」


「それで妖怪ハンターの異名を持つ美知子さんに聞いたのね」と芽以さんが言った。


「校舎と校舎の間の通路って言われましたよね?近くの校舎の上の階の窓から投げ落としたのなら、頭に当てることも不可能ではないのでは?」と私は聞いた。


「近い方の校舎は三階建てで、教授までの距離は約五メートルだったから、投げられない距離じゃない。しかしその校舎は移転済みで施錠され、無人になっていたんだ。警察が調べたけど、誰かが侵入した痕跡はなかったらしい。どの窓も蝶番が錆び付いていて、力を込めても開かなかったそうだ。ちなみにその旧校舎の屋根は瓦葺きで、昇れる屋上などはない」と佳奈さんのお兄さんが説明した。


「近くに木は生えていませんでしたか?」


「旧校舎より丈の高い木が通路の曲がりに沿って何本も生えているけど、教授からの距離は校舎よりも遠かった」


「通路の曲がり?・・・通路が曲がっていたのですか?」


「口で話してもわかりにくいかな?」と言ってお兄さんは紙に現場の模式図を書いてくれた。


(図1:近況ノートに掲載)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093083452230225


二つの校舎の間を通る通路は教授が倒れた場所よりも少し先で左に直角に曲がっている。そして曲がった道に沿って木が何本も生えているが、そのうちの一本は通路の右側にある旧校舎の向こう側(通路の曲がり角よりも右側)に生えている。


「近い方の旧校舎までの距離が約五メートルとすると、通路の左側にある向かいの校舎までの距離が十メートル強、一番近い木までの距離はもっとありますね」


「向かいの校舎はまだ使用しているけど、その窓から植木鉢を投げて教授に当てるのは難しいし、木の上に登って鉢を投げ落としても同じだろう」


「飛行機から植木鉢を落としたんじゃないの?・・・飛行機じゃなくても、気球とか飛行船とかヘリコプターから」と佳奈さんが口をはさんだ。


「そんなものから植木鉢が落とせるはずはないし、気球や飛行船やヘリコプターが校舎の上空を飛んでいたという話は聞かないな。警察が調べたから確かだと思う」


「倒れている教授を発見した人は誰ですか?教授を見つけて駆け寄ったなら、足跡が踏まれて犯人の足跡が消されたかもしれませんよ」と私は聞いた。


「発見したのは向かいの校舎の三階に研究室がある助教授の先生だよ。ちなみにその研究室は倒れていた教授に一番近い部屋ではなく、その隣の隣なんだ。たまたま窓から外を見て倒れている教授を発見したそうだ。すぐに救助を呼んだが、来た人が教授の足跡を踏みつぶさないよう現場で注意していたそうだ」


「この図に書かれている校舎ですね。部屋の場所はどこになりますか?」と聞いたら、教授が倒れているところにもっとも近い窓の二つ隣の窓だった。この窓から倒れている教授の位置まで線を引くと、その延長は旧校舎ではなく、旧校舎の横に生えている木に達した。


「教授はどんな服装でしたか?」


「雪が降るくらい寒い日だったからね、コートを羽織り、首にはマフラーを巻き、つばのついた中折れ帽をかぶっていた」


「なるほど。ひとつの可能性に気づきました」


「本当かい!?」と叫ぶお兄さん。ほかの家族と芽以さんも私に注目する。


「あくまで想像で証拠はありませんが、発見者の助教授が犯人の可能性があります」と私は言って、お兄さんが描いた模式図に線を引いた。


(図2:近況ノートに掲載)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093083452205315


「このように向かいの校舎の助教授の研究室の窓から長いロープを下ろして、旧校舎の横にある木の高いところの枝にかけ、再び研究室の窓までロープを戻したんです。つまり、ロープを二重にしているというわけです。植木鉢にはめいっぱいの土を入れて押し固め、植木鉢を網状に編んだ麻縄で吊るし、麻縄の上端を一方のロープに結ぶんです。ロープをたぐり寄せればロープウェイのようにその植木鉢が移動し、通路の真上に吊るすことができます。教授がちょうど通りかかった時にロープを離すと、植木鉢は落下して教授の頭部を直撃します」


(図3:近況ノートに掲載)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093083452182279


「でも、現場にはロープも麻縄も落ちてなかったけど・・・」


「植木鉢が粉々に砕けると麻縄の網からすり抜けます。そこでロープをたぐり寄せて麻縄もろとも回収するんです」


「その説は面白いけど、いくつか納得できない点があるね」とお兄さん。


「何でしょうか?」


「その方法でうまく教授の頭に当たるか・・・という点に関しては、正確な図面を引いてロープの高さや植木鉢の位置を計算し、さらに何度か予行練習をして確認したということで説明できるかもしれないけど、帽子がわずかでも衝撃を和らげるだろうから、もし教授が死ななかったらどうするつもりだったんだろう?教授なら凶器を見て誰が犯人か気がついただろうに」


「大学の先生ですから、この仕掛けでどのくらいの力が頭部に加わるか計算できたんじゃないでしょうか?万が一即死しなくても、脳震盪を起こして雪の中に倒れたままだったら、凍死する可能性もありますしね」


「それに、窓と木の間に二重に張ったロープの一方を切って片方をたぐり寄せたら回収はできるけど、ロープが地面に落ちるから、ロープを引っ張った線状の跡が倒れている教授の近くの雪の上に残る。そんな跡があったという話は聞かないし、跡があれば犯人と殺害方法に気づく人がいるだろう」


「そうですね。それを防ぐためには別のロープを別の木に回して、植木鉢を吊るしているロープに横からかけるんです。植木鉢が教授の頭に当たった瞬間に植木鉢を吊るしていたロープが窓から出て行くのを止めて、この別のロープを引いて別の木の下に引っ張るんです。そこで二重に張ったロープの一方を切ってたぐり寄せると、そのロープは教授のそばではなく、木の下や校舎の近くに落ちます。それらのロープを回収しておけば、教授の近くにロープの跡が残らないので、警察も殺害にロープを使ったことに気づかないでしょう」


(図4:近況ノートに掲載)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093083452124509


「なるほど。・・・証拠はないけど、方法としては考えられなくもないね。でも、宙に植木鉢が浮いていたら、近づく前に気づくんじゃないかな?」


「寒くて縮こまっていて、しかもつばのある帽子をかぶっていたら、上に何かがあっても気づきにくいのではないでしょうか。遠くから近づいて来る時は、雪が降っている上に、進行方向にある木々と重なって視認しにくかったかもしれません」


「そうか。・・・これらの木にロープがこすった痕がまだ残っているかもしれない。すぐに電話して、調べるように言っておくよ」


「どなたに連絡されるのですか?ひょっとして警察にお知り合いがいるのですか?」と私はお兄さんに尋ねた。


「警察に直接の知り合いはいないけど、友人がその事件が起こった地区の所轄警察署の署長の息子なんだ。警察が本気になって調べてくれるかわからないけど、一応連絡しておくよ」


そう言ってお兄さんは居間を出て玄関前の電話をかけに行った。


「美知子さんは殺人犯のトリックも暴けるのね」と芽以さんが感心して言った。


「まだ正しい推理かわからないけど」と言い返す。


「今回の大阪旅行では万博や遊園地や歌劇や旧跡を見て回れて本当に来てよかったと思うけど、最後に美知子さんの妖怪ハンターぶりもみられて大満足だわ」と芽衣さんが楽しそうに言った。


「今の事件の顛末がわかったら春休み明けにでも教えるわ」と佳奈さんも言った。




翌日は土曜日。大阪に来てもう一週間目だ。今日は東京に帰る日だ。


私たちは朝食をいただき、お弁当のおにぎり(塩昆布入り)まで包んでもらって、佳奈さんの母親とおばあさんに心からお礼を言った。


(父親は土曜日も仕事でもう家を出ていたが、出勤する前に玄関で丁重にお礼を言っておいた)


そして玄関を出る頃に、遅くまで寝ていた佳奈さんのお兄さんも顔を出してきた。


「昨日はどうもありがとう」と私にお礼を言うお兄さん。


「助教授が犯人らしいとわかったので本腰を入れて捜査するようだ」


「本腰?」


「容疑者を別件で逮捕して、取調室で執拗に尋問して吐かせるのさ」


私はお兄さんの言葉にぞっとした。警察の捜査の自白中心主義は昭和四十五年でも健在だった。


「もし私の推理が正しければ、助教授は長さが百メートル近いロープをどこかに隠し持っているはずです。捨てるのが大変ですから」と言っておく。客観的な証拠が見つかれば、恫喝じみた強引な取り調べをしなくてもいいだろう。


「ところで、東京に帰った後で君に連絡してもいいかな?」


「え・・・?」


このお兄さんの言葉は私ではなく芽衣さんに向けてのものだった。「え・・・?」と言ったのも私ではなく芽衣さんだ。


お兄さんはいつの間にか芽衣さんに好意を持っていたらしい。


赤くなる芽衣さんを見ながら、これがきっかけで芽衣さんは将来関西に嫁ぐことになるのかな、と想像した。

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