花男くん

平中なごん

花男くん(※一話完結)

 トイレの花子さん……誰もが知る、言わずと知れた最も有名な〝学校の怪談〟である。


 全国的に様々なバリエーションで語られているが、スタンダードなところでは、女子トイレの三番目の個室の戸をノックして、「花子さん、遊びましょ」などと声をかけると、おかっぱ頭の少女の霊が現れる…といった感じのものだろうか?


 起源については諸説あり、屋根の積雪によるトイレの崩壊で圧死した実在の少女がモデルになっているのだとか、いや、かわやの神さまに花を供える民間信仰が変容したものなのだとか、いろいろと言われていていまだ定かではないものの、そのブームは昭和・平成を通して何度か繰り返し訪れている。


 私が小学生だった頃も、そんな〝花子さん〟ブームの到来時期と見事に重なっていた。


 他にもコックリさんや学校の七不思議、心霊写真にテレビの心霊特番などなど……まだ昭和なオカルトブームの気配が残る時代でもあり、もとよりオカルト好きであった私も、当然のことながら、この〝花子さん〟という魅力的な怪異の虜となった。


 音楽室の目が動くベートーヴェンの肖像画や、数えるたびに段数が変わる階段、はたまた墓地の上に建てられたため、体育館の床下に残るという墓石等、情報を集めて学校の七不思議の場所が特定できたら、実際、そこを訪れ、それが真実かどうかを検証するという探偵気取りな遊びをしていた私は、もちろん花子さんについても確かめてみたくて仕方がない。


 しかし、いかんせん花子さんが出るのは女子トイレ。さすがに男子の私が女子トイレにまで入って行って、検証実験をするわけにはいかない。


 好奇心に駆られてそんなことをした日には、女子からは総スカン、男子にも揶揄からかわれ、翌日からは〝変態〟の称号を冠して呼ばれること必至である。


 ところが、そうして知的好奇心と世間的常識との狭間で悶々と過ごしていたある日のこと。そんな、私を含むオカルト好き男子達のフラストレーションが生み出したものなのか? 唐突に今度は〝花男くん〟なる怪異が語られ出したのである。


 その名前の通り、それはつまり〝花子さん〟の男子バージョンだ。


 何年生の何階の校舎だったかまでは憶えていないが、そこの男子トイレで「花男くん、遊びましょ」と声をかけると、「はーい」と返事が返ってくるという内容の怪異だったと記憶している。


 三番目の個室だとか、ノックをするのだとかいう、〝花子さん〟に見られる細かいルール設定はなかった。


 男子トイレはほとんどが小便器であり、個室は一つくらいしかないのが通常なので、あるいはそんなこともこの設定に影響していたのかもしれない。


 にしても、〝花子さん〟の男子バージョンだから〝花男くん〟とは、あまりにも短絡的で捻りのないネーミングセンスである。まあ、いかにも小学生的な発想といえば発想であるが、もうちょっとこう凝った名前とか付けられなかったものだろうか?


 怪異の内容も〝花子さん〟の焼き直しのような感じであるし、いったい誰が言い出したものか……しかし、これは後年、つい最近になって知ったことであるが、この〝花男くん〟に関しても〝花子さん〟同様、広い範囲で語られていた学校の怪談ではあるらしい。


 とすると、うちの小学校で自然発生的に生まれた怪談ではなく、他地域で語られていたその話を誰か生徒が耳にして、それがこちらへ伝えられた可能性ももしかしたらあるのかもしれない。


 ともかくも、そんなチープなネーミングの二番煎じ的怪談ではあったものの、小学生男子のオカルト的欲求を満たすには充分だった。


 さっそく私は同じ趣味を持つ友人達二人とともに、休み時間、くだんの男子トイレへと向かう……そして、若干の緊張を伴いながらお互いに頷き合うと、お約束のあの言葉を一緒に口にした。


「は〜なおく〜ん、あ〜そび〜ましょお〜」


 子供同士が遊びに誘う際の、独特の節回しを付けた定型句が無音のトイレ内に響き渡る……。


 まあ、常識的に考えて、そんなことをしたところで特に何も起きないというのが現実というものであろう。これまでに行ってきた学校の怪談検証だって、そうして期待を裏切る眉唾物ばかりだった。


 ……だが、この時だけは違っていた。


「はぁ〜あぁ〜いぃ〜…」


 そんな低い地鳴りのような唸り声が、静寂に満たされたその場の空気を不気味に震わせたのである。


 もしかしたら、それは偶然にもタイミング良く水道管や通気口などが発した無機質な共鳴音だったのかもしれないし、あるいは怪異を期待するあまりに脳が作り出した、ただの幻聴だったのかもしれない。


 しかし、私の耳には「は〜あ〜い〜」と、確かに低い男の声が返事をしたように聞こえたのだ。


 いや、私ばかりではない。一緒にいた友人二人にも同様の声が聞こえたようだった。


「……う、うわあああああっ!」


 わずかな時間差を置き、一瞬にして恐怖心に飲み込まれた私達は、一目散に我先にと男子トイレから逃げ出した。


 その後、教室へ戻った私達が興奮気味に、今起きた出来事について話しまくったのは言うまでもない……だが、すると自分達も予期していなかったような、思わぬ副作用が起きてしまう。


 怪現象の起きたことを知ったクラスメイト達が、我も我もと現場の男子トイレへと押し寄せ、けっこうな大騒ぎになってしまったのである。


 男子ばかりか女子までが、廊下から開け放たれたドア越しに男子トイレ内を覗き見ているような始末だ。


 また、クラスメイトだけでなく、噂を聞きつけた他のクラスの者達までも野次馬根性に集まって来ていたように思う。


 騒ぎがどう収束したものかはよく憶えていないが、休み時間が終わって三々五々に自然解散となったのだろうか? あるいは先生に注意されて強制的に教室へと戻されたのかもしれない……。


 いずれにせよこの一件によって、私の通っていた小学校では〝花子さん〟以上に〝花男くん〟が、リアリティを以て語られるようになったのは確かだ。


 今となってはそんな事件を憶えている者も少ないであろうし、仮に憶えていたのだとしても、その事件の中心に私が関わっているという事実を知る者は、一緒にその場にいた二人の友人以外、まず他にはいないであろう……なので、まあ、今さらな話ではありますが、スミマセン。あの怪談を定着させたのは私です。


(花男くん 了)

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