第四話『私と彼女』

——私はついにシャン・ドゥ・マルス=トゥール・エッフェル駅に到着した。

 

 地上に出る。

 やや暗い空。

 その次に私の目に飛び込んできたのは、名前のわからないスタジアム。

 が、それは私の目当てのものではない。

 振り返ると……

 

 錬鉄れんてつ製の、鈍いブラウンイエローの背高のっぽが見えた。


 エッフェル塔だ。

 私は無意識に、そちらに歩みを進める。

 高さ三三〇メートル。何を隠そうこのエッフェル塔は、紛れもなく、日本にいる我が隣人であるあかい鉄塔のインスピレーション元であり、それらの高さや構造、形状はそっくりだ。だが私は、これに上りはしない。最も安いチケットでも、大人料金で十四・二ユーロ。日本円で二千円強だろうか。その上、エレベーターを使わずに六〇〇段以上の階段を上ることになり、二階の展望台までしか行けない。もしエレベーターを使ったり、三階や最上階まで行くなら、最大で六千円近くかかるはず。私はエッフェル塔を、外から見るだけ。塔の周りには、果てしなく長い、入場待機列が見える。朱色の安全コーンと白いプラスチック製チェーンとで組み上げられた簡易式通路に沿って、観光客がずらりと並ぶ。うん、やはり上らないのが正解のようだ。

 皆が揃いも揃って塔の方向に吸い込まれていく中、私の目は、その逆を行く一人の女性の姿に留まった。

 背の高く、スラリとした、スタイルのいい、モデルのようで、目鼻立ちの整った女性。そして彼女はなぜか……


 裸だった。


 これまたなぜだかわからないのだが、周囲の人間は皆、その裸の女性に目もくれない。

 私は、何かに突き動かされるように、彼女の方へ、走った。


 私は立ち止まり、彼女と対峙する。

「あなたは、どうして裸なんです?」

 私はそう尋ねる。

 だが、言葉は一才通じないようだ。

 耳が聞こえないのだろうか。

 ジェスチャーを使って、対話を試みる。

 彼女はなんとも言えない顔をして、首をかしげる。

 そんな彼女も……


 美しいのだ。

 

 だが、あまりに積極的に彼女を美女と呼ぶのは、私としてははばかられる。

 私は実を言うと、さっきひと目見て、なんとしてもこの首から下げた一眼レフに彼女の生まれたままの姿をおさめなければならないと、感じていた。

 ファインダーを覗き込み、カメラを構える。

 すると彼女は、まるで『撮って』と言うかのような顔をした。

 彼女と鉄塔の両方が収まるように立ち位置を調整すると……

 すぐさま私は、シャッターを切る。

 フラッシュ。 

 世界がほんの僅かな時間、光に包まれる。

 一瞬遅れてパシャリ。

 私は、彼女のピンショットを、手に入れることに成功した。

 次に私は……

 彼女にカメラの使い方を伝授し始める。

 そうして今度は、私は彼女にカメラを手渡し、立ち位置を入れ替わる。

 彼女が私に向かってカメラを構える。

 シャッターが切られる。

 フラッシュ。

 遅れてパシャリ。

 さらには……

 ツーショットも撮る。

 フラッシュ。

 パシャリ。

 それは、不思議な、不思議な写真だった。


 私は、彼女が布切れ一枚身につけていないことを思い出す。

 どこかで服を調達しなければ、と思い、周囲を見渡す。

 するとすぐそこに、洋服店のガラスのショーウィンドウがあるではないか。

 私は彼女の手を……

 取ろうとしたが、そうはせずに、

 そちらへ駆ける。

 ガラスには……

 私たち二人の姿が、ぼんやりと、映る。

 ぼんやりと、である。

 夕日の反射もあって、少し眩しいので、はっきりとは二人の姿を確認できないのかもしれない。

 ガラスの端の方に、タバコの火をつける男の姿が反射しているのが見える。

 火が赤々と目立つ。

 それだけ暗くなってきたということだ。

 ショーウィンドウの内側では、黒いマネキンたちが、パリコレよろしくポーズを決めて、立ち並んでいる。中にはジャケパンスタイルの格好のマネキンもいるのだが、そのコーディネートは私の格好と……


 寸分違わず、同じだ。


 マネキンの背後には、服のかかったハンガーもあるが、その中に一つだけ、何もかかっていないものがある。

 そのすぐ下に、黒い布が落ちている。

 それが、元々ハンガーにかかっていたであろう服であることは容易に想像できた。

 そしておそらく、その丈の長さからして、ワンピースだろうか。

 色は、黒。

 その黒いワンピースは、私と同じ格好をしたマネキンの、細身のスラックスを履いた足先から、影法師のように伸びている。

 それを見て、隣の裸の美女は『これ買って』という仕草をする。

 彼女は、必死に訴えた。

 その必死さは、単に裸の体を纏う布が欲しい、という理由から来るものではないようだった。 

 むしろ、本来服など必要はないのだが、この私と同じ格好をしたマネキンのそばに落ちている黒いワンピースだけは、欲しいのだと、主張しているようだった。

 とにかく、彼女は必死だった。

 だから私はそれを……


 買ってあげた。


+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-


 直後。

 私と彼女は、エッフェル塔からそう遠く離れていない、安ホテルに移動した。

「やあ、お嬢ちゃんたち。泊まりかい? にしても……随分とそっくりだな。双子かい?」

 ホテルの受付スタッフが尋ねる。

 私たちは、同時に、同じ深さで頷く。 

 するとスタッフは、大きな迷いもなく、鍵をよこした。

 鍵の刻印は……


 九六号室。


 私と彼女は、部屋に向かう。

 『96』の札のかかった前で立ち止まる。

 鍵を開け。

 部屋に入ると。

 同じベッドに寝転んだ。

 私は、枕側に頭を置く。

 彼女は、足を置く。

 ベッドを天井から見下ろせば、まるで、トランプのクイーンの絵柄のように上下逆さまの、そっくりな二人が見えるだろう。

 私たちは今、そばにいるが、 

 そっぽを向いて見つめ合わないし、

 決して触れ合っては……


 いけない。

 

 しかし私は彼女に、

 触れたくなってしまった。

 触れてしまえば、

 大変なことが起こってしまう。

 そう、本能で察知した。

 私は出会ってしまった。

 私の、対となる存在に。

 触れたくないけど、

 触れたい。

 私は、

 寝返りを打ち、

 枕元にある彼女の両足を見つめる。

 私は、

 その二本を、

 そっと、

 

 抱きしめた。


 彼女の方も、

 同じように、

 私の足を抱く。


 すると辺りはまばゆい光に包まれ……


 世界は、

 宇宙は、


 消えた。


〈完〉

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ローブ・ノワール・ドゥ・エッフェル 〜エッフェルの黒いワンピース〜 加賀倉 創作 @sousakukagakura

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