終章

廃兵院

 ランスの首都ルティ中心部に現在では廃兵院ロテル・ド・アンヴァリットと呼ばれるかつては傷病兵を看護していた施設がある。数世紀にわたって拡張と改修が行われた歴史的な建造物で、六度勃発した対ランス合従連衡戦争でも活躍した軍病院であったが、最後の戦いが終わった新世紀一〇一五年のとある事件によってその長き歴史に終止符を打たれることとなった。


 皇帝ジャンヌは戦争に関係した国の代表をルティに集めて会議を行い、戦後の処理を話し合った。その席でジャンヌは今後の平和協定を決議することと、皇帝の座を退位することを明言し、自らも再び表舞台に立たないことを各国の重鎮らが居並ぶ中で誓約した。戦勝国たるランスに天文学的な賠償金を請求されるのではないかと内心怯えていた各国の代表者達はジャンヌの宣言に度肝を抜かれ、それならばと不戦条約、経済協力などに批准した。

 会議は終始ランス主導で和やかに推移し、幕が下ろされた。ジャンヌは無事に終了したことを代表らに感謝し、彼らの要望もあって、ランスが誇る歴史的な軍病院で傷病兵を見舞うことにした。


 そこでジャンヌは異様な姿形をした暴漢に襲われたのだ。


 異形の暴漢は魔王軍の戦士ディアゲリエで間違いなく、それまでも影で勢力を伸ばし、時折事件を起こしてきたが、この時が魔王軍として初めて公の場に出たとされる。常人離れした魔力と武装で繰り出される攻撃は守備兵では太刀打ちが出来ず、被害は拡大の一途をたどった。

 多くの病棟が破壊され、夥しい死傷者を出した。各国から会議に出席した参加者の中にも重傷を負った者が複数出た。


「ジャンヌ、逃げろ。あの怪物の狙いはお前だ!」


 勇敢な黒人将校が皇帝を庇った。もう一人、彼女の右腕である女武官からも逃げるように促されるのだが、むしろジャンヌは彼らよりも前に出て自分を狙う怪物に相対した。


「シャルロット、余があやつの相手をしている間に各国の代表者を連れてこの場を離れよ。エルリックは手の空いている人間を総動員し、自力で避難できない傷病者を助けろ。これ以上の犠牲者を出すな」


「バカ、歳を考えろ。お前ひとりで何とかなる相手か」


「そうよ母さん。皇帝でなくなれば、やっと親子に戻れると言ってくれたばかりじゃない。せめてラセンがこの場にいてくれれば……」


「無礼者、余を一体誰と心得る。ランス皇帝、常勝将軍ジェネラルヴィクトリュージャンヌ・ヴァルトであるぞ。相手がネコでもない限り負けはせん」 彼女は長年連れ添った戦友達に屈託のない笑顔を見せた。その手には女神カノンより授かったとされる神秘の剣と盾が握られている。「それと、ラセンが如き風来坊ヴァガボンを当てにするでない」


 彼らが止めるのも聞かず、ジャンヌは怪物に飛び掛かっていった。その姿を見せられては、シャルロットもエルリックも皇帝の命令に背くことはできなかった。激しい剣戟の響きを背に二人は部下に檄を飛ばしてジャンヌの意志を徹底させた。


 彼らの的確な指導もあり、これだけの大惨事となった現場であったにも関わらず大きな混乱は起こらず、避難は粛々と行われた。

 それでも時間はかかった。

 エルリックが手勢を連れてジャンヌの元へ戻ると、彼女は地面に突っ伏した怪物の体に剣を突き刺した姿で屹立していた。エルリックと部下が驚愕して見ている目の前で怪物は塵となって消えた。兵士達はわっと歓声を上げた。


「ジャンヌ!」


 だが異常に気付いて近づくエルリックににやりと笑みを浮かべたジャンヌは、そのまま彼の胸の中に倒れ込んだ。


「どうだ、やってみせたぞ。よ、よくも歳などと……」


「喋るな!」


 自分の制服に付着した大量の血に驚愕したエルリックは直ぐに部下を呼んでジャンヌに応急手当を施し、緊急搬送させた。その日から懸命の治療が施され、世界中の人間から回復を祈願されたが叶わなかった。

 年を跨いだ新世紀一〇一六年初頭にジャンヌは死去。享年四十六歳であった。


 この事件は傷病兵の惨劇トラジティ・デ・アンヴァリッドと呼ばれ、これを機に長い歴史を持つ軍病院は閉鎖された。代わりにそこはランス皇帝の御霊を祭る記念碑として残されることとなった。金のドームを屋根にした荘厳な教会が建立され、そこの地下に彼女の遺体は埋葬されたのである。

 ジャンヌの棺は赤い閃緑岩ディオリット、台座には緑の花崗岩グラニットが用いられて作成され、床の大理石マーブルには彼女の偉業を伝える様々なレリーフが刻まれていた。決して自分の墓に金をかけるな、とジャンヌは遺言を残したというが、同時に多くの人間が訪れられるように一般開放するようにとも言い残した。だから偉大なランス皇帝の墓は(有料ではあるが)誰でも訪れることができる。


 新世紀一〇二七年冬、魔王軍ヴァイダムによるマージへの攻撃があったこの日も廃兵院には多くの観光客が訪れたが、彼らに戦争の実感はなかった。せいぜい物価の値上がりが続いているな、程度である。

 やがて閉館時間となった。

 警備員が館内に誰もいないことを確認すると明かりを消し、鍵をかける。仕事終わりの解放感からか、この後に嗜むワインの味を想像したのか、その警備員は鼻唄まじりにその場を去っていった。

 そんな緊張感のない勤務態度であったので、一人の男がジャンヌの棺の前に鎮座していたことなど微塵も気が付かなかった。


 その男の年齢は不詳で、若くも年老いたようにも見えた。非常に背が高く、ろくに手入れもしていないざんばらな髪を垂らし、額にはいぶし銀の装飾を付けていた。着ているものはひどい襤褸ぼろだがその下にある肉体は鋼のように鍛え上げられている。

 腰には二振りの奇妙な形をした短剣を差していたが、男の身長には不釣り合いの短さで、そもそも西方社会オクシデントでは見かけない形をしていた。

 見れば見るほど怪しげな風来坊ヴァガボンであるが、表情は穏やかであり、目は閉ざされたままでいた。


「ジャンヌ」 男は棺の上に白い西方菊クリザンテームの花束を添えてつぶやいた。


「戦いが始まった。これから忙しくなる。しばらくここにも来られないだろう。あいつは勇敢だが、まだまだ未熟で、カーバンクルを敵に奪われるなど話にならん。奪還するにはヴァイダムの本拠地に乗り込む羽目になるが、そのためには残りの仲間が必要だ」


 と、男はここで一度言葉を区切った。そして、ふっ、と自嘲する。


「……とはいえ獅子は監禁、龍は問題山積で扱い辛く、鯨は沈んだまま。手元にあるのは象だけだが、こいつも性格には難があるしで、まったく見通しはつかん。それでもよければ……カノンと共におれ達を見守っていてくれ」



(第二章 https://kakuyomu.jp/works/16818093089415051942 へ続く)

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機罡戦隊-きこうせんたい- あおくび大根 @aokubi

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